紹介
感謝すべきだったはずだ。でも、彼のノートパソコンで見たメール—「青木藤宮結婚式場の確認」。白いバラとシャクヤク。私が言ったすべての詳細が盛り込まれていた。それから、彼の電話から藤宮有希の笑い声が聞こえた。
わかった。投資会社の副社長と建築家の相続人。私?ただの結婚式プランナーで、退職金を持っているだけ。
3ヶ月後、涼介の母親、青木晶子が私に婚約パーティーの計画を依頼してきた。
私はそれを引き受けた。彼がその指に指輪をはめるのを見たかったから。
パーティーの日、有希さんがステージに上がった。「これは私の婚約パーティーじゃない」
照明が消えた。スクリーンが点灯した。
涼介の顔が映し出され、目が赤かった。
そして、匿名音声チャットで私を支えてくれた見知らぬ人が...
私の足は力が抜けた。
チャプター 1
絵麻の視点
朝の光が、床から天井まである窓を突き抜け、寝室に鋭い光の線を引いている。私は手を伸ばし、ベッドの向こう側を探る。
冷たいシーツ。誰もいない空間。
涼介はまたいない。きっと、もう何時間も前に。さよならも言わずに。私を起こしもしないで。
眠気を瞬きで追い払うが、頭はまだ霧がかかっている。ナイトスタンドの携帯が震え、画面が眩しすぎるほどに光る。通知が一つ、滑り落ちてきた。
銀行振込を受信しました。
心臓が激しく脈打つ。震える指で携帯を掴み、タップして開く。
金額、7,500,000円。
備考、「君の夢のために」
時刻、午前5時23分。
私はその数字をじっと見つめる。750万円。画面が滲む。もう一度読み返す。手が震える。
ナイトスタンドに置かれた白いメモカードに、涼介の筆跡が走り書きされている。
「信じてほしい。これは俺たちのためのものだ」
その言葉は、私を慰めてはくれなかった。胸の中に重くのしかかる。
信頼。その言葉。
昨夜のことが蘇る。涼介は私を強く抱きしめ、真剣な表情を浮かべていた。何か大事な用事を片付けなければならない、と彼は言った。私は半分眠りながら、仕事のことだろう、何か取引でもあるのだろうと思い、「わかった」と呟いた。
でも、これ。このお金。
これは、まるでさよならみたいだ。
メッセージアプリを開いて打ち込む。
「涼介、このお金は何?」
送信。
すぐに既読がついた。一分が経ち、二分、五分。
返信はない。
胸の圧迫感が喉までせり上がってくる。あの慣れ親しんだ恐怖が、何年も心の奥底に埋めてきたはずの恐怖が、頭をもたげる。私では足りないのだという、決して十分ではなかったのだという、いつだって置き去りにされる運命なのだという、あの囁き声が。
考えすぎないで。早とちりしないで。
しかし、私の手はすでに冷や汗で濡れている。
涼介の白いシャツを一枚羽織ると、生地が指先よりも長く垂れ下がった。キッチンへ向かう途中、書斎のドアが半開きになっているのに気づく。
机の上には涼介のノートパソコンが置かれ、画面が光っている。
そのまま通り過ぎろ、と自分に言い聞かせる。だが、足は勝手に前へと進んでいた。
画面にはメールの受信トレイが広がっている。その件名が、私を激しく打ちのめした。
『青木藤宮結婚式場オプション – 最終確認』
手にした空のマグカップを落としそうになる。
藤宮。その名前。偶然のはずだ。クライアントの結婚式かもしれない。涼介が誰かを手伝っているだけかもしれない。たぶん……。
私はもう書斎の中へと足を踏み入れていた。自分を止める間もなく涼介の椅子に座ると、革のシートはまだ温かい。指がトラックパッドの上を彷徨う。
三秒。
そして、クリックした。
差出人、藤宮有希。
送信日時、昨日、午後11時47分。
件名『青木藤宮結婚式場オプション – 最終確認』
「涼介、庭園の会場、完璧だと思うわ。彼女、きっと気に入る。来月の枠で予約しておいたから。忘れずに最終確認してね。あと、お花屋さんが、白いバラとシャクヤクは二週間前には注文が必要だって言ってたわ」
世界が傾ぐ。
白いバラとシャクヤク。私の、一番好きな花。涼介がそれを知っているのは、最初のデートで中央公園を歩いているときに私が口にしたからだ。何気なく言った一言。彼は聞いていないと思っていた。
でも、彼は聞いていた。覚えていた。
ただ、私のためにじゃない。彼女のために。
藤宮有希。建築家。彼を子供の頃から知っている女性。彼の世界に属する女性。デザイナーズドレス、チャリティーガラ、繁華街の高級マンション。私とは違う。壊れた家庭で育ち、三ヶ月前までその日暮らしだったウェディングプランナーの私とは。
下へスクロールする。添付ファイルがあった。花屋からの見積書だ。
「結婚式用の花束――白いバラとシャクヤク、52,500円」
結婚式用の花束。
そういうことだったのか、あのお金は。750万円。慰謝料。私を静かに消すための、手切れ金。
マウスを握るのもやっとなくらい、手が激しく震える。涙が目に込み上げてくるが、瞬きで押し戻す。泣かない。まだだ。
携帯が鳴る。涼介の名前が画面に点滅する。私は涙を拭い、電話に出た。
「絵麻」彼の声は荒々しく、疲れ切っているように聞こえた。
「振り込み、確認した」声を平静に保とうとするけれど、隠しきれない震えが混じる。
沈黙。心臓の鼓動が聞こえるほどの、長い三秒。
「大事な準備をするのに少し時間がいる。数週間、俺を信じて待っていてくれないか?」
信頼。彼女の苗字が入った結婚式の計画書を目の前にして、どうやって信じろと言うの?
私は携帯を握りしめる指に力を込めた。
「このお金は、どういう意味なの、涼介?」
その時、聞こえてしまった。背景に響く、女の笑い声が。軽やかで、明るくて、すぐ近くで。
「涼介、こっち来てこれ見て!」藤宮有希だ。
息が詰まる。
「誰といるの?」
「それは……複雑なんだ」その間が、全てを物語っていた。
「その金は、君のスタジオのためだ。ずっと自分のビジネスをやりたいって言ってたろ?」
三ヶ月前。夕食の時に一度だけ、そんな話をした。彼はただ「いいね」とだけ言って、話題を変えた。興味がないのだと思っていた。
それなのに今、突然、750万円?私がこのメールを見つけた、まさにこのタイミングで?
「じゃあ、これは何?手切れ金?」今度は涙がこぼれ落ちたが、声は平静を保った。
「何?違う。絵麻、何を言ってるんだ?」彼は混乱し、傷ついたような声を出した。
私は彼の上着の袖で顔を拭う。深呼吸をすると、何か冷たいものが胸の中にすとんと落ちてきた。
「なんでもない。わかったわ。ご親切に……どうもありがとう」
「絵麻、待って……」
通話を切る。携帯がすぐに震えた。涼介からのコールバック。私はそれを拒否し、電源を完全に落とした。
書斎の床にずるずると座り込む。机に背を預け、膝を胸に引き寄せた。頭上ではノートパソコンの画面がまだ光っていて、あのメールが私を嘲笑っている。
ようやく、泣くことを自分に許した。大声で泣きじゃくるのではない。ただ静かに、震えながら涙を流す。肩が小刻みに揺れる。涙が涼介のシャツに滴り落ちた。
わかっていたはずだ。こうなることは予期していたはずだ。青木涼介みたいな男。投資会社の副社長。名門大学で経営学修士号を取得。そんな彼が、私みたいな人間と一緒にいられるはずがない。私たちはもう一年も付き合っているけれど、私はずっと待っていた。彼が、私が彼の世界にふさわしくないと気づくのを。この時が来るのを。
そして、今、それが起きた。
藤宮さんなら納得がいく。彼女は建築家。美しく、エレガントで、成功している。彼の家族とは昔からの知り合い。彼の世界の言葉を話す。
私は、彼の同僚の披露宴で出会ったただのウェディングプランナー。月収六十万円で、普通のアパートに住んでいる女の子。両親の離婚で、愛なんて続かないと学んだ女の子。
携帯が再び震える。涼介からの三度目の着信。そして四度目。五度目。私は身じろぎもせず、携帯が震えるのを見つめながら、その一つ一つを数えた。
三ヶ月前のあの会話を、今ははっきりと覚えている。
「時々、自分のウェディングプランニングのスタジオを開きたいなって思うの。小さくて、心のこもったやつ」
「いいね」涼介はそう答えると、デザートはいるかと尋ねた。
その時は、彼は興味がないのだと思っていた。でも今はわかる。彼は計算していたのだ。きれいさっぱり別れるのに、一体いくらかかるのかを。
750万円。場所を借りて、機材を買い、半年分の経費を賄うのに十分な額。私がまさに必要とするであろう金額。彼はこれを計算したのだ。細部に至るまで計画していたのだ。
これは衝動的なプレゼントなんかじゃない。これは、退職金パッケージだ。
振動が止まる。静寂。そして、スマホが再び震え、メッセージが殺到する。
涼介、「絵麻、電話に出てくれ」
涼介、「俺、何か悪いことしたか?」
涼介、「どうして急にそんな態度なんだ?」
涼介、「あのお金は本当に君のスタジオのためなんだ。自分のキャリアが欲しいって、いつも言ってたじゃないか」
涼介、「絵麻、頼む。何があったのか教えてくれ」
滲む視界でメッセージを見つめる。一つ一つがナイフのように突き刺さる。彼は混乱している。傷ついている。私がなぜ怒っているのか、本気でわかっていないようだ。
もしかしたら、本当にわかっていないのかもしれない。彼の世界では、これが普通なのかもしれない。金を与え、問題を解決し、きれいな別れを保証する。
なぜ藤宮有希なのかと聞きたい。まだ私のことを愛しているのかと聞きたい。これまでの全ては、本物だったのかと聞きたい。
でも、できない。その答えが、怖くてたまらない。
両親の離婚から学んだことがある。決して、請い願ってはならない。決して、自分を卑下してはならない。誰かが去りたがっているのなら、気高く背筋を伸ばして行かせてあげるのだ。尊厳が第一。
指が震えながら、キーボードの上を彷徨う。深呼吸をして、顔を拭い、そして打ち込んだ。
「大丈夫。ただ、少し一人になりたいだけ」
送信。
そして、膝に顔をうずめ、ようやく声を上げて、本気で泣いた。
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「消えろ」
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「な、何をすればいいの?」
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***
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「仕事なんだ」
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彼は、完璧な医師である自分と、優しい夫である自分を両立できると思っていた。
けれど、彼の天秤は、とうの昔に壊れていたのだ。
そして、心臓が凍りつくような、あの出来事。
私の愛は、ついに底をついた。
だから、私は彼の元を去る。
でも、ただ静かには去らない。
彼が築き上げてきた偽りの日常に、私という存在が確かにあったことを刻みつけるために。
これは、愛が憎しみに変わるまでの、長い長い物語の終着点。
私が最後に贈るプレゼントは、彼が決して忘れられない、真実という名の苦い毒。













