第1章
「お客様、まだ乗りますか?」
タクシー運転手の苛立った声が、私を驚愕から現実へと引き戻した。私は呆然と道端の桜並木や、周囲の建物と看板を見つめる。
ここは、私の世界じゃない。
自分の両手を見下ろすと、そこには細く白い、爪が綺麗に整えられた手があった。
身に纏っているのは濃いグレーのスーツ、足元は少なくとも十センチはあろうかという黒いハイヒール。
「すみません、桜花高校までお願いします、できるだけ急いで!」
私は運転手にそう告げ、慌ててタクシーに乗り込んだ。
タクシーが走り出す間、私は思考を整理しようと試みた。
私は安藤美雪、江川花の継母。
そして江川花――ああ、なんてこと。私がかつて何気なくぱらぱらと捲った、あのアダルト漫画のヒロインだ。
私の記憶が正しければ、今日、放課後に彼女は倉庫で不良少年の林田一郎とその仲間たちに凌辱される。
それが彼女の堕落の始まりであり、不健全な関係に満ちた物語の起点だった。
腕時計に目をやると、もうすぐ六時。夜間自習が終わったばかりの時間だ。
時間がない!
「すみません、もう少し速くお願いします!」
私は焦って言った。
「この時間帯は渋滞がひどくてね」
運転手は困り果てたように答える。
「学校の近くまでしか送れませんよ」
ようやく桜花高校の近くに着くと、私は料金を払って車から飛び出した。
校門からはすでに生徒たちが続々と出てきており、私は必死に江川花の姿を探す。
しかし、このハイヒールのせいで素早く動くことなど到底できず、私はふらつきながら学校の方へと走った。
その時、電動自転車に乗った若い男性が私のそばを通り過ぎた。彼は二十代に見え、清潔感のある髪型で、シンプルながらも上質なカジュアルウェアを身に着けている。
「ちょっと待ってください!」
私は彼に向かって叫んだ。
彼は自転車を止め、訝しげに私を見る。
「何か御用ですか?」
私は彼に見覚えがあった――神谷拓。
原作漫画では、後半になってから登場し、江川花に好意を寄せることになる人物だ。
「あなたの自転車をお借りしたいんです、非常に緊急で!」
私は単刀直入に言った。
「は?」
彼は明らかに私の要求に度肝を抜かれている。
説明している時間はない。私は駆け寄り、彼がハンドルにかけていたヘルメットをひったくると、彼を押し退けて電動自転車に跨った。
「すみません、緊急事態です!」
私は呆然とする神谷拓に一礼し、素早く自転車を発進させ、体育倉庫の方向へと走らせた。
学校裏の小道で、私は遠くにあの光景を捉えた――金髪に染めた三人の不良少年が、小柄な少女を薄暗い倉庫へと引きずり込んでいる。
少女はもがいているが、口を塞がれ、制服はすでに乱れていた。
中心にいる少年が誰だか分かった――林田一郎だ。
彼は江川花を乱暴に蹴りつけ、地面に転がせた。
怒りが、私の心の中で燃え盛る。
「私の娘に手を出すな、この社会のクズども!」
私は叫びながら、彼らに向かって加速した。
最初の不良少年は全く反応できず、私にそのまま撥ね飛ばされた。二人目を追撃しようとしたが、慣れない自転車の操作のせいで地面に転倒してしまう。ハイヒールが吹っ飛び、膝が火辣に痛んだ。
三人目の不良少年が野球バットを振りかざし、私に殴りかかってくる。私は咄嗟に落ちていたハイヒールを掴み、その鋭いヒールで彼の急所を突き刺した。
彼は悲鳴を上げ、腰を折ってその場に崩れ落ちる。
林田一郎は形勢不利と見て逃げ出そうとしたが、私は飛びかかってその制服の襟首を掴んだ。
「あんた、私の娘に指一本でも触れてみろ。この世に生まれてきたことを後悔させてやる!」
私は歯を食いしばって言い放った。
不良たちを片付け、私は急いで隅で縮こまっている江川花の元へ駆け寄る。彼女の小さな体は震え、制服にははっきりとした継ぎ接ぎの跡があり、その瞳は恐怖と不可解な色に満ちていた。
「花ちゃん、大丈夫よ! もう安全だから、お母さんがいるわ」
私はできるだけ優しい声で彼女を慰めた。
江川花は困惑した様子で私を見つめている。自分の継母がなぜ突然現れて助けてくれたのか、理解できないのだろう。
原作漫画での彼女の継母は、彼女のことなど一度も気遣ったことのない、意地悪なキャラクターだった。
その時、眩しいライトがこちらを照らした。
「この女性が僕の自転車を借りました」
聞き覚えのある声がする――神谷拓だ。彼は警察を連れてきたらしい。
数人の警官がすぐに私を取り囲んだ。
「手を上げて、動かないで」
