第1章

小島葵視点

チアリーディングの練習室から出ても、まだ額には汗が滲んでいた。そんな時、スマホが震えた。

親友の松本美咲からのメッセージがポップアップで表示される。「葵、助けて! 今日、直樹くんがすれ違いざまに笑いかけてくれたの。どうしよう? 今すぐ探しに行って話しかけるべき!?」

思わず天を仰いだ。この子の恋愛偏差値は絶望的に低い。

「絶対ダメ!」私は素早く返信する。「今追いかけたら必死な子だと思われる。明日はあの黒のフィットするTシャツを着て、図書館の二階へ行くの。日の光が当たる席に座って、本に夢中になってるフリをするのよ」

「どうして黒いの?」

「あのシャツはあなたの体のラインが綺麗に見えるから。それに、太陽の光で肌が輝いて見える。信じて。直樹くんはきっとあなたから目が離せなくなるわ」

「本当にそれでいいのかな? なんだか……ちょっとあざとすぎない?」

「美咲、男ってね、見た目で恋に落ちる生き物なのよ。自分の武器をどう使うか、ちゃんと学ばなきゃ。忘れないで……少し恥じらいを見せて、でもやりすぎないこと」

でも正直、最近の私は少し混乱していた。桜井直樹の反応が妙なのだ。先週、美咲が私のアドバイス通りに食堂で「偶然の」出会いを演出した時、桜井直樹はなんと彼女を自分の席に誘い、ごく自然に香水を褒めたらしい。いつからあいつはそんなにスマートになったんだ?

さらに奇妙なのは、桜井直樹の最近のインスタグラムの投稿だ。明らかに誰かが「指導」している。昨日なんて、筋肉のラインが完璧に映るアングルでジムの写真を投稿し、「努力で流した汗は最高だ」なんてキャプションまでつけていた。絶対に彼のスタイルじゃない。

私が頭を悩ませていると、スマホが再び振動した。

「そちらが『伝説のモテ女王』とお聞きしました。俺の友人が、君の『教え子』に手も足も出ない状態になりそうでして……。そろそろ休戦しませんか――桜井直樹の師匠より」

私は目を細めた。そういうことか――桜井直樹にも戦略家がついていたんだ。

「停戦? 面白い人みたいね。度胸あるなら、明日午後三時、学生会館の最上階のカフェで会いましょ」

「いいね。俺も、その噂のモテ女王ってやつに会ってみたかったんだ」

翌日の午後、私はわざと水色のワンピースを選んだ。この色は、私を無垢でありながら魅力的に見せてくれる。

「君が、小島葵さんだね」

振り返った瞬間、私の世界が止まった。

目の前に立っていたのは、身長が180センチを優に超える長身に、癖のある黒髪、日に焼けた肌、そして深い茶色の瞳を持つ男性だった。シンプルな白いTシャツとジーンズという出で立ちにもかかわらず、彼が自然に纏うオーラに、思わず息をすることさえ忘れそうになる。

斎藤隼人――野球部のサブリーダーで、大学内の女子全員の憧れの的。

彼が、桜井直樹の師匠?

「あなたが……隼人先輩? あなたが直樹くんの師匠でしたの?」私は動揺を隠そうと必死だった。

「驚いた?」彼は私の向かいに腰を下ろすと、その深い瞳を面白そうにきらめかせた。「俺も、学内のモテ女王がチア部の副キャプテンだとは思わなかったよ」

「では、最近の直樹くんの口説き文句は――全部隼人先輩が教えたってことですか?」私は単刀直入に切り出した。

「口説き文句?」隼人先輩はとぼけた顔をしたが、その口元に浮かんだ笑みが内心を物語っていた。「ちょっとしたアドバイスをしただけさ。もっとも……」彼は言葉を切り、遊び心のある視線を向けてくる。「君が松本さんにあの黒いフィットしたスポーツトップを着せた一手は、かなり効果的だったみたいだけどな。直樹は昨日、彼女を五分間も見つめてて、危うく電柱にぶつかるところだった」

頬が熱くなるのを感じた。「あれはただの標準的なユニフォームのコーディネートです」

「標準的?」彼は身を乗り出し、声を潜めた。「じゃあ、あのちょっと唇を噛む仕草は? 直樹、今ので彼女のこと、たまらなく色っぽいって思ったでしょ」

空気に、ふと微妙な緊張感が走った。

「言わせてもらうけど」彼の視線が私の顔に留まる。「君は本当に男の弱点をよく理解してる」

心拍数が上がる。「それなら、隼人先輩が直樹くんに投稿させたジムの写真だって、潔白とは言えませんよね」

「俺はただ、彼の努力の成果を見せるよう提案しただけだ」彼は肩をすくめる。「松本さんがあの写真にすぐ『いいね』したところを見ると、かなり効果があったみたいだけど」

「彼女が『いいね』を?」私は即座に身を固くした。

「『いいね』だけじゃない。保存もしてる」隼人先輩は得意げに笑った。「直樹には、誰が自分の写真を保存したかチェックする方法を教えておいたんだ」

私は目を見開いた。「そんなことできるんですか?」

「インスタグラムの隠し機能さ。君の知識ベースもアップデートが必要みたいだな」彼は片眉を上げた。「もっとも、松本さんにあの『さりげない』パジャマ姿の自撮りを投稿させたのは賢かった。直樹は何度も見返してたぞ」

「何のパジャマの自撮りです?」私は混乱して尋ねた。

「昨夜の投稿だろ? シルクのパジャマで、髪を下ろして、『おやすみ前の読書』ってキャプションの」隼人先輩の声には、どこか含みがあった。「直樹はあれで理性を失いかけてた」

私の顔は真っ赤になった。「そんな投稿しろなんて、一度も教えたことありません!」

「おや?」隼人先輩の表情が興味深そうなものに変わる。「君の教え子も、アドリブを効かせるようになったみたいだな。ということは……」

「どういうことですか?」

「君が思っている以上に、直樹への彼女の想いは本物だってことさ」彼は私を見つめ、その視線が焦点を結ぶ。「ちょうど、本物の好敵手に出会って興奮する人間がいるようにな」

彼の言葉に裏があるような気がしたが、深く考える前に彼が続けた。

「さて、ここからが問題だ。直樹は松本さんをデートに誘いたいんだが、どうすればいいか分からないでいる」

「簡単なことでしょう。直接誘えばいいじゃないですか」

「だが、あまりに直接的だと彼女を怖がらせてしまうんじゃないかと心配してる。だから俺は、『偶然の出会い』を演出させようかと考えてるんだ」

「偶然の出会い?」私の目が輝いた。「私も同じことを考えてました! 美咲もずっと、彼と二人きりになるチャンスを欲しがってたんです」

「だったら」隼人先輩は私を見て、その唇に危険な笑みを浮かべた。「俺たち、協力しないか?」

「協力、ですか?」

「ああ。俺たちで最高の『偶然の出会い』をセッティングして、二人が自然に結ばれるように仕向けるんだ」彼は手を差し出した。「どうだ、相棒?」

差し出された彼の手を見つめると、心臓が速鐘を打つ。握った瞬間、奇妙な電流が走ったような気がした。

「……上等です」

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