第四章
麻痺していたはずの心臓が、男の嘲るような口調を聞いた途端、鈍い痛みを訴えた。
橘詩織は西園寺玲央の彫りの深い横顔を見つめ、口を開きかけたが、言葉が出てこなかった。
この五年間、彼女がしてきたことのすべては、彼の目にはただの演技として映っていたのだ。
橘詩織は初めて、自分が滑稽でならなかった。
「いいか、今日は祖父の屋敷で食事だ」
携帯の通知音が鳴り、西園寺玲央は彼女の瞳の奥に渦巻く悲哀に気づくことなく、適当に相槌を打った。その眉間には不機嫌さが滲んでいる。
祖父が呼び出した目的は明白だ。二人がリゾート開発プロジェクトを巡って争っているという噂を聞きつけたに違いない。
「食事の席で何を言うべきか、分かっているな」
彼は顔を上げて警告した。橘詩織が黙り込み、無表情なままでいるのを見て、まだ意地を張っているのだと思い込んだ。
心の中で冷笑する。この気を引くための駆け引きを、一体いつまで続けるつもりなのかと。
実家へ向かう車内、空気は凝固したように静まり返っていた。
「坊ちゃん、旦那様が書斎でお待ちです」
広間に入ると、執事が恭しく歩み寄ってきた。
西園寺玲央は予想していた通りといった様子で、橘詩織に意味深な視線を投げかけると、二階の書斎へと上がっていった。
「義姉さん、最近兄さんとリゾートの件で争ってるって聞いたよ?」
橘詩織が広間の息苦しさに耐えかねて廊下で涼んでいると、西園寺玲央の従弟である西園寺快がいつの間にか背後に立っていた。
彼女は視線を上げただけで答えなかった。西園寺玲央のこの従弟が苦手だったのだ。
当初、西園寺家の当主である祖父が株式の話を持ち出した際、一族の子孫たちは皆虎視眈々と狙っていたが、彼だけは我関せずといった態度で、スキャンダル一つなく潔白を保っていた。
だが彼女には、その儒教的な謙虚な仮面の下に、あからさまな権力争いよりも恐ろしい、深く暗い何かが潜んでいるように思えてならなかった。
まるで闇に潜む毒蛇のように、西園寺家の一挙手一投足を窺い、好機と見るや一撃で仕留めようとしているような。
「義姉さんはどうして急にあのプロジェクトに興味を持ったの?」
西園寺快の問いかけには意図がある。橘詩織は思わず眉をひそめた。
「あなたは暇なの?」
「そんなことないよ。ただ、自分を売り込みたいだけさ」
西園寺快は不意に声を潜め、彼女の耳元に顔を寄せた。生温かい吐息が肌にかかり、彼女は不快感から一歩後退して距離を取った。
「そんなに警戒しないでよ。義姉さんが離婚した後、真っ先に僕のことを考えてくれたらと思ってね」
「橘家と西園寺家の利益は切り離せないだろう?」
つまり、彼女が離婚したいなら、西園寺家の中から別の相手を選べということだ。
その言葉は雷鳴のように橘詩織の耳元で炸裂した。彼女の瞳に驚愕の色が走る。西園寺快がそんな下心を抱いていたとは思いもしなかった。
「それに義姉さんは美しい。兄さんのように独り寝させるなんて、僕にはとてもできないよ」
「気が狂ってるわ……」
橘詩織は背を向けて立ち去ろうとしたが、そこに西園寺玲央が立っていた。
二人の会話をどこまで聞いていたのだろうか。
男の顔色は陰鬱で、全身から冷気を発している。押し寄せる寒気に、橘詩織は不吉な予感を覚えた。
「兄さん、今義姉さんとちょうど……」
西園寺快の顔には何の動揺もなく、ニコニコと西園寺玲央に挨拶をする。
だがその言葉は、相手の鋭い視線によって遮られた。
「話がある」
西園寺玲央は橘詩織の腕を掴み、客室の方へと引きずっていく。彼自身、自分の口調にどれほどの怒りが込められているか気づいていなかった。
「いつから西園寺快とデキていた?」
ドアに鍵がかかる。
西園寺玲央の声は低く沈んでいた。
彼は元々、橘詩織が離婚を騒ぎ出したのは気を引くための芝居だと思っていたが、まさか退路を用意していたとは。
「何を言ってるの!?」
「西園寺快がまともな男だとでも思っているのか? お前はあいつより五歳も年上だぞ。橘家の後ろ盾がなければ、あいつがお前を相手にすると思うか!?」
「独り寝だと? お前が教えたのか?」
西園寺快の最後の一言で理性を焼き尽くされた西園寺玲央は、怒りに燃えていた。
彼は彼女の腕を掴み、大きな手でその細い腰を引き寄せると、熱を帯びた手が薄い布地越しにスカートの中へと伸びた。
「お前がそんなに男に飢えていたとは知らなかったな!」
「自分が汚れているからって、何でも汚い目で見ないで!」
橘詩織は怒りで顔を真っ赤にし、これまでの彼の行いを思い出しながら、必死に抵抗した。
「離して!」
「子供が欲しいんだろう? くれてやるよ。こんな大掛かりなことをしなくてもな」
彼女の怒りは、西園寺玲央の目には図星を突かれた羞恥心のように映った。彼は彼女の手を押さえつけ、背後のベッドへと押し倒す。
「どいて!」
男女の力の差は歴然としていた。橘詩織は逃げ出すことができず、屈辱と怒りで涙が頬を伝う。
西園寺玲央は一瞬動きを止めた。
結婚して五年、橘詩織が彼の前で涙を見せたことなど一度もなかったからだ。
その隙をついて、橘詩織は彼の下から逃げ出した。彼女は乱暴に涙を拭い、西園寺玲央を睨みつけて言った。
「誰もがあなたと同じだと思わないで!」
「何を装っているんだ? これがお前の望みだろう? 子供ができれば西園寺夫人の座は安泰、株式も手に入って橘家を支援できる。両家の利益も完全に結びつく」
一石三鳥だ。
「橘詩織、お前が離婚したがっていることはもう祖父の耳に入っている。いい加減にしろ。これ以上続けるなら許さないぞ」
祖父の名を出して、西園寺玲央は頭痛を堪えるように鼻梁を揉んだ。
「今の急務は、お前が早く妊娠して祖父の疑念を晴らすことだ」
この大事な時期に離婚騒動など、外野に笑われるだけだ。
内を安んじて外を攘う道理を、彼女が知らないはずがない。
「だからあなたは最初から最後まで、私の気持ちなんて一度も見ていなかったのね」
橘詩織の心は、彼の言葉を聞くたびに冷え切っていく。
これまでの努力が、この瞬間、笑い話のように思えた。誰の心にも留められていなかったのだ。
「お前……」
西園寺玲央が何か言おうとしたが、橘詩織はそれを拒絶して部屋を飛び出した。
富裕層エリアにはタクシーが入ってこない。彼女が走り去った後、西園寺玲央は追いかけてこなかった。彼女に教訓を与えようと決めたかのようだった。
彼女は三十分近く歩いてようやく車を拾い、帰宅した。
部屋の中にある見慣れた家具を見ると、橘詩織は心身ともに疲れ果て、空気に充満する抑圧感に窒息しそうだった。
脳裏には先ほどの西園寺玲央の言葉がリピートされている。彼女は苦笑を漏らすと、決意を固めた眼差しで立ち上がり、素早く荷物をまとめ始めた。
最速で準備を終えると、彼女は玄関に立ち、この冷たく生気のない家を振り返り、決然と去った。
橘家には当分帰れない。彼女は都心に広いマンションを借りることにした。
慣れない環境のせいで、その夜も橘詩織は浅い眠りしか得られなかった。長い間寝返りを打った後、彼女は起き上がって秘書にメッセージを送った。
