第7章 戻らなければ

彼は直接的な退去命令を下した。態度は強硬そのものだった。

「貴様!」

桐島蓮は相手がこれほど強気に出るとは思っていなかった。自分を否定し、帰れと言い放つとは!

顔色は鉄のように青ざめ、拳を握りしめ、怒りを爆発させそうだった。それは権威への挑戦であり、所有物を覗き見られたことへの激怒だった。

その時、客室のドアが静かに開いた。

綾瀬美月が入り口に立っていた。外の騒ぎで目を覚ましたらしい。

アシスタントが用意したシンプルな服に着替え、髪を整えている。顔色はまだ蒼白だが、その瞳はもはや単なる脆弱さではなく、冷然とした静けさを湛えていた。

彼女はリビングで一触即発の状態にある二人の男を見つめた。形相を変えた桐島蓮に視線が止まると、そこには冷たい嫌悪と深い疲労だけがあった。

「桐島蓮」

彼女の声は明瞭で安定しており、他人行儀だった。

「私の去就は、あなたがここで大声を張り上げて決めることじゃないわ。ここはあなたを歓迎していない。帰って」

ヒステリックになることも、恐怖で哀願することもなく、彼女は冷淡に近い落ち着きで彼を追い払おうとした。まるで彼こそが招かれざる侵入者であるかのように。

身なりを整えた彼女が橘奏太のテリトリーに立ち、これほど冷静で他人行儀な口調で自分に話しかけ、他の男を庇っている。桐島蓮は、嫉妬と怒り、そして侮辱されたというどす黒い感情が脳天を直撃するのを感じた。「裏切り」と「挑発」の感覚が理性を飲み込んでいく。

どうしてそんな目で俺を見る? どうして他人を庇う?

「綾瀬美月、こっちへ来い!」

彼は所有権を再確認するかのように怒鳴り、彼女の手首を掴もうと乱暴に歩み寄った。

だが橘奏太の方が速かった。彼は素早く綾瀬美月の前に立ちはだかり、桐島蓮の手を遮ると、冷ややかに彼を見据えた。

「桐島社長、警備員を呼んで『お送り』しましょうか?」

その保護の姿勢は明白だった。

桐島蓮は目の前の光景を、橘奏太の背後で冷ややかに、しかし守られることを黙認している綾瀬美月の姿を見て、胸を激しく上下させ、額に青筋を浮かべた。

彼は綾瀬美月を食い入るように見つめ、その心を読み取ろうとした。やがて、歯の隙間から言葉を絞り出した。

「綾瀬美月、下で待っているぞ。週末は、お前とその息子を連れて祖父に会いに行く!」

彼は彼女の急所を握っていた。祖父と息子。彼女が拒絶できるはずがない。

その言葉を投げ捨てると、彼は猛然と踵を返し、ドアを叩きつけるようにして出て行った。

綾瀬美月はその轟音の後、体が微かに揺らいだが、すぐに持ち直した。

今の冷静さを保つのに、かなりの気力を消耗していたのだ。

橘奏太はすかさず彼女の腕を軽く支えた。伝わってくる微細な震えを感じ、低く声をかける。

「大丈夫だ。彼は行ったよ」

綾瀬美月は顔を上げ、目の前の男の意志の強そうな顎のラインを見つめ、複雑な思いに駆られた。

桐島蓮が決して諦めないことを彼女は知っている。

そして橘奏太は彼女のために、あの権勢を誇り、執念深い男を完全に敵に回してしまった。

彼女は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。再び目を開けた時、そこには覚醒した決断があった。

「橘奏太、守ってくれてありがとう。でも、私は戻らなきゃいけない」

橘奏太の瞳が鋭くなった。

「戻る? あの場所へ戻って辱めを受け続けるつもりか? 彼と白石麻里奈に虐げられるために? 綾瀬美月、本当に覚悟はあるのか?」

「分かってる!」綾瀬美月は息を吸い込んだ。「でも、私が戻らなければ、あの子を守れない。あの子を……連れ出すこともできない!」

彼女は橘奏太を見つめた。瞳には絶望と、しかし無比に鮮明な光が宿っていた。

「あれは私の息子よ。私が獄中で命がけで産んだ私の分身。私が今まで生き延びてきたのは、あの子のためなの」

桐島蓮との復縁などあり得ない。だが、戻らなければ離婚して親権を奪うチャンスもない!

橘奏太は、彼女の瞳にある「母としての強さ」を見て、反論の言葉を失った。

彼女の選択を理解し、止めることはできない。

「分かった」橘奏太はようやく頷いた。「君の選択を尊重する。だが覚えておいてくれ、私はいつでも連絡を待っている。何か必要な時、危険な時は、何とかして連絡してくれ」

彼は見た目は普通の新しい携帯電話と、極小の緊急アラームを彼女に手渡した。

「携帯には私のプライベート番号だけが入っている。絶対に安全だ。アラームを押せば、すぐに君の位置が分かる。隠し持っていろ。見つからないように」

綾瀬美月はその二つを受け取った。まるで千斤の重荷を受け取ると同時に、一筋の希望を受け取ったようだった。

彼女は力強く頷いた。「ありがとう」

「礼には及ばない」橘奏太の眼差しは深い。「綾瀬美月、自分を守るんだ。それが、守りたい人を守ることに繋がる」

彼は自分の携帯を取り出し、先ほど桐島蓮が残していった番号にかけた。

「桐島社長」橘奏太の声は波一つない。「綾瀬さんは考えた末、あなたと共に戻ることを決めた」

電話の向こうで明らかに息を呑む気配がし、すぐに桐島蓮の嘲笑が聞こえた。

『ふん、身の程を知っているようだな。下へ寄越せ。車は下にある』

「私が送っていく」橘奏太はそう言うと、電話を切った。

橘奏太は自ら彼女を階下まで送った。

マンションの下には、桐島蓮の黒いベントレーが停まっていた。窓が下がり、彼の冷厳で不機嫌な横顔が見える。

高価なスポーツウェアを着た綾瀬美月が橘奏太の後ろから現れるのを見て、桐島蓮の目の殺気が増した。

綾瀬美月は彼を見ず、うつむいてベントレーに向かい、自分でドアを開けて乗り込んだ。

桐島蓮は橘奏太を一瞥もしなかった。まるで取るに足らない存在であるかのように、前の運転手に冷たく命じた。

「出せ」

車は走り去った。

橘奏太はその場に立ち、遠ざかる車影を見つめ、海のように深い瞳で、指先を微かに握りしめた。

車内は窒息しそうなほど重苦しい空気に包まれていた。

桐島蓮は鼻を鳴らし、沈黙を破った。

「少しは脳みそがあったようだな。誰が本当にお前の運命を握っているか分かったか。橘奏太にお前は守れない。夢を見るな」

綾瀬美月は窓の外を流れる街並みを横目で見つめ、答えなかった。

彼女の沈黙は、桐島蓮には従順と諦めに見えた。橘奏太の件で燃え上がった怒りは少し収まったが、代わりにより深い軽蔑が湧いてきた。

やはり虚栄心が強く、ふらふらした女だ。橘奏太に少し力があると見てすり寄ったが、やはり桐島家の方が勢力が強いと見て、大人しく戻ってきたのだ。

彼は自分が無理やり連れ戻したことを、すっかり忘れていた。

車が桐島家の別荘に入り、見慣れた景色が見えると、綾瀬美月の静かな瞳にようやく波紋が広がった。

逃げられないなら、真っ向から立ち向かうしかない!

車が停まると、桐島蓮は先に降りて本館へと向かった。

綾瀬美月は自分でドアを開け、冷たい大理石の地面を踏みしめた。

リビングに入ると、白石麻里奈が柔らかな部屋着を纏い、ハーブティーのカップを手に、まるで女主人のように微笑んで出迎えた。

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