第4章
礼奈視点
健一と私は、朝一番――正確には二番目くらいには、あの番組宛てに電話をかけるつもりだった。一刻も早く自分の体に戻りたくて、もう死にそうだったの!
それなのに、八時半に電話をかけたら、出た相手にこう言われた。「機械が故障したので、一週間休業します」だって!
最悪。私たちは顔を見合わせて、「嘘でしょ?」「マジかよ」って表情になった。彼は「まあ、仕事はお互いにカバーし合うしかなさそうだな」なんて言ってくるし。
私は会社に病欠の連絡を入れる気満々だったけど、健一曰く、月曜日には絶対にすっぽかせない重要な昇進会議があるらしい。おかげで私は渋々仕事着を選ぶ羽目になり、彼も私の職場へ行くことになった。
健一のクローゼットは色別に整理されていて、ボタンダウンのシャツもスラックスも完璧に整列していた。私は青いシャツとグレーのパンツを引っ張り出し、ネクタイ掛けの前で散々迷った挙句、ネイビーの一本を選び取った。
洗面所の鏡の前に立つと、そこには健一の顔をして、健一のスーツを着た私がいた。
「大丈夫、やれる」私は鏡の中の自分に向かって、健一の声で言い聞かせた。「忙しそうで、ストレス溜まってますって顔をしてればいい。そうすれば誰も余計な質問はしてこないはずだ」
健一の会社まで車を走らせ、駐車スペースを見つけると、私は数分の間、車内でじっとしていた。手汗でじっとりと湿った掌が、ハンドルを握りしめている。
プレゼンなら前にもやったことあるじゃない。気難しいクライアントへの売り込みだってこなしてきた。これもただの仕事よ。
私はロビーを歩きながら、健一のように振る舞おうと努力した。自信に満ちて、堂々とした足取りで。でも、何もかもがしっくりこない。
「よう、健一! 週末はどうだった?」
開放的なオフィスの向こうから、三十代くらいの男が手を振ってきた。誰なのか見当もつかない。
「あー……よかったよ。そっちは?」
「まあまあだな。例の重要な会議、準備は大丈夫?」
お願いだから思い出させないで。
「ああ、もちろん」
三台の巨大なモニターが鎮座する健一のデスクを見つけた。二つの画面にはコードだけが表示されている。黒い背景に浮かぶ緑色の文字の羅列は、私にとっては宇宙語も同然だった。
席に着き、仕事をしているふりを始めた。適当なファイルを開き、スクロールする。さも自分が何をしているか分かっているかのように、あちこちクリックしてみた。
「健一」
眼鏡をかけた背の高い男が、コーヒーマグを片手にデスクの横に現れた。
「金曜に修正してたAPIのバグだけど、終わったか?」
何のバグ? どこのAPI? 一体何の話をしてるの?
「……まだ作業中だ」
彼は眉をひそめた。「会議までに終わるんだろうな? 佐藤部長が特にその進捗を気にしてたぞ」
「わかった」
彼は疑わしげな視線を残して立ち去った。私はコードで埋め尽くされた画面を見つめながら、胸の内で膨れ上がるパニックと戦っていた。
ここにいる全員が、健一なら答えを持っていると期待している。私が認識さえできない問題を、彼なら解決してくれると信じているのだ。
九時半になると、私はふりをするのにも疲れ、トイレへと逃げ込んだ。健一の顔に冷たい水を浴びせ、鏡の中の自分を見つめる。
「とにかく乗り切るのよ」私は小声で呟いた。「余計なことは喋らないで、さっさと終わらせるの」
会議室は大きな窓に囲まれ、十二人は座れそうな大きなテーブルが置かれていた。上座には佐藤部長が座り、その脇には見知らぬ重役が二人。さっきの男――清水俊介は私の向かいに座り、何やら勝ち誇ったような表情を浮かべている。
手のひらは汗でぬるぬるしていた。私は震える指でノートパソコンを開き、プレゼンテーション資料を立ち上げた。
佐藤部長はテーブルの上で手を組んだ。「お疲れ様。例のクラウド基盤の件、進捗はどうだ?」
最初のスライドをクリックすると、喉がぎゅっと締め付けられた。
「プロジェクトは順調に進んでいます。いくつかの重要なマイルストーンを達成し、そして……」
それ以上、言葉が出てこない。箇条書きの項目に目を落としたが、それらはただの意味を持たない文字の羅列にしか見えなかった。
「そして?」佐藤部長が先を促す。
「インフラの改善に関して、良好な進展が見られています」
「もっと具体的に頼めるか? 正確には何が完了したんだ?」
そんなの知らない。分かるわけないじゃない。
「データベースの移行作業が進行中です」
そこで清水俊介が、わざとらしく咳払いをした。「APIインターフェースのデバッグはどうなんだ? あれは先週中に終わっているはずだろう」
「まだ、最終調整中です」
重役の一人が身を乗り出した。「鈴木君、大丈夫か? 今日はなんだか調子がおかしいぞ」
だって、私は健一じゃないもの。何ひとつ理解できてないんだから。私は彼の仕事を台無しにしていて、きっと彼も今頃、私の仕事で失敗しているはずだ。
「大丈夫です。少し寝不足でして」
佐藤部長の表情が、関心から落胆へと変わった。「はっきり言わせてもらうよ、鈴木君。今回のプレゼンは、私が期待していた詳細なレベルに達していない。いつもの君らしくないな」
「今日の出来を見る限り、昇進は清水君に譲るべきだろうな。最近の彼は、自分のプロジェクトをしっかりと管理できている」
清水俊介は笑みを噛み殺そうとしていたが、隠すのが下手だった。
「君は堅実なエンジニアだよ、鈴木君。だが、もっと集中し直す必要があるな。気を引き締めてくれ」
私はただ頷いた。自分自身の声を発するのが怖かったからだ。会議はその後すぐに終わった。私はノートパソコンを掴んで部屋を出た。泣き出しそうなのを悟られないよう、視線を落としたままで。
ぶち壊しちゃった。
彼はこの昇進のために、どれだけの期間努力してきたんだろう?
それを私は、たった一度の会議ですべて台無しにしてしまった。
昼休み、私は休憩室に逃げ込んだ。飲みたくもないコーヒーを手に、隅っこに突っ立っていた。
廊下から話し声が聞こえてくる。
「今日の健一、どうしたんだ? 会議で大失敗したらしいぞ」
「家のことか何かか? 最近様子変だしな」
「俊介には好都合だったな。どのみち昇進はあいつのものだったんだろうけど」
私は目を閉じ、スマホを取り出した。健一の番号にかける。私の番号だ。
二コール目で彼が出た。「もしもし?」私の口から、彼の声がする。
「あなたの昇進、ダメにしちゃった」喉が張り詰めて、言葉がうまく出てこない。「ごめんなさい、専門的なことが何も分からなくて、何も答えられなくて……清水さんに決まっちゃった。私が全部台無しにしたの」
沈黙。そして、「いいんだ」という声。
「よくないわよ! あの昇進、必要だったんでしょ!」
「礼奈」彼は長く息を吐いた。「俺も散々な一日だったよ。酒井さんからセクハラを受けた」
胃がねじれるような感覚に襲われた。酒井拓也。私の部署の課長。いつも際どい発言をしてきたり、無駄に近づいてきたり、何やかやと理由をつけて私に触ろうとする男だ。
「酒井さんが厄介だって言ったじゃない。何度も何度も」
「ああ、分かってる。すまない。今ならよく分かるよ」
お互いに黙り込んでしまった。これ以上、何を言えばいい? 私たちは二人とも、どう生きればいいか分からない人生の中で溺れかけ、訓練も受けていない仕事で失敗を重ねている。
「何とかしよう」やがて健一が言ったが、その声は今の私と同じくらい途方に暮れて聞こえた。
「うん……」
電話を切り、私は一人で立ち尽くした。
午後二時にはデスクに戻り、メールが次々と届くのを眺めていた。
水曜までの変更を要求するクライアント。進捗報告を求める上司。デバッグの手助けを頼んでくる同僚。
どの一通も私には不可能なタスクで、また一人、誰かの期待を裏切ることになる。
私は同じ無意味な返信を何度も何度も打ち込んだ。「至急確認します」「現在作業中です」「追ってご連絡します」。
実行能力のない人間の、空虚な約束だ。
四時頃、佐藤部長が私のデスクの横を通り過ぎた。その表情は冷ややかだった。
「鈴木君、しっかりしてくれよ。仕事ができない人間を置いておく余裕はないんだ」
「承知しています。挽回します」
彼はそれ以上何も言わずに立ち去り、私は自分がちっぽけで役立たずな存在に思えて、ただそこに座っていた。
これが、健一の日常なんだ。これらすべての要求、締め切り、そして期待。
彼がすべてをこなしきれず、遅れを取り戻そうと残業しているとき、私は家で「夕食に遅い」と彼に腹を立てていた。
彼が何と戦っているのか、私は何も知らなかったのだ。
六時頃になるとオフィスから人が減り始めた。私はゆっくりと荷物をまとめた。これまでの人生で感じたことがないほどの疲労感だった。
健一の仕事をたった一日やっただけで、私は完全に打ちのめされていた。
健一はこれを八年も続けているのだ。
私はゆっくりと車を走らせて家路についた。彼に何と言えばいいのか、そのことばかりを考えて気が重かった。
