第2章

郁美視点

 混乱する頭を抱えながら、私は無理やり車を走らせてマンションへと戻った。彼を直接問い詰めるべきか? それとも、すべてを知っていると匂わせるべきか? 玄関の前に立つまで、思考の波は静まることがなかった。

 一瞬の躊躇い。そして、私はドアを押し開けた。

 最初に目に飛び込んできたのは、ダイニングテーブルに座る悠介の姿だった。彼は丁寧に、実に慎重な手つきで、朋子のために桃の皮を剥いている。

 私はソファの横で立ち尽くし、彼の手にあるその果実を凝視した。

 彼は桃が嫌いだ。正確には、あの皮の産毛に耐えられないのだ。皮が綺麗に剥かれていない限り、一口も口にしようとしない。私はそれを知っている。三年もの月日をかけて、彼の好みをすべて記憶してきたのだから。

 私は桃が大好きだったから、以前はよく買っていた。産毛が一片も残らないよう細心の注意を払って皮を剥き、皿に盛って彼に出したものだ。けれど彼はいつも一口かじるだけで、残りは腐るまで放置された。だから私はもう買うのをやめ、冷蔵庫には彼が本当に好きな果物だけを入れるようになった。

 なのに今、彼は朋子のために桃を剥いている。その顔には不快感も、苛立ちの欠片もない。鼻の奥がツンと痛み、涙が溢れそうになる。だが、私は必死に冷静さを保った。ここへ来たのは、結婚式のことを問い質すためなのだ。

「悠介、話があるの――」

「あ、郁美、お帰りなさい!」

 朋子は私の言葉を遮り、あの愛らしい笑顔を向けた。

「一緒に桃を食べましょ」

 悠介は顔も上げず、桃に視線を落としたまま言った。

「郁美は桃が嫌いだろ。柿でも食わせておけ」

 頭が真っ白になった。言おうとしていた言葉が、すべて彼方へと消し飛んでいく。

 は?

「私、柿アレルギーなんだけど」

 私は歯を食いしばり、悠介を睨みつけた。

「ああ」

 彼はようやく、関心なさげに私を一瞥した。

「じゃあ食うなよ」

 その瞳を見つめながら、私は彼のことを何一つ理解していなかったのではないかという思いに囚われた。

 朋子がクスクスと笑う。

「もう、悠介ったら。どうしてそんなこと忘れちゃうの?」

 彼は肩をすくめると、完璧に皮を剥いた桃を彼女の手に乗せ、優しく微笑んでみせた。あんな笑顔、私にはもうずっと見せてくれていないのに。

 その瞬間、私は悟ってしまった。人は誰かを愛している時、すべてを覚えているものなのだ。もし愛していないなら、たとえ目の前で死んだとしても気づきもしないだろう。

 過去三ヶ月間の出来事が津波のように押し寄せ、私を飲み込んでいく。

 二ヶ月前、映画に行く約束をしていたのに、彼は朋子の買い物に付き合うからとドタキャンした。送られてきたのは『行けない』という短いメッセージだけ。電話もなければ、謝罪の言葉ひとつなかった。結局、私は一人でロマンチック・コメディを観た。周りのカップルがキスをしたりポップコーンを分け合う中、私はずっと泣いていた。映画がつまらないせいだと自分に言い聞かせながら。

 先月は、二人のお気に入りのレストランで、向かいの空席を見つめながら一人で座っていた。本来ならそこに彼がいるはずだった。悠介は食事の途中で、朋子が体調を崩したという電話を受けて出て行ってしまったのだ。『様子を見てすぐ戻る』と言ったきり、彼は二度と戻らなかった。私は呆然とパスタを咀嚼し続け、気まずそうな店員に閉店時間を告げられるまでそこにいた。やっと店を出た時の、あの惨めさ。

 朋子と私に対するあまりに違う態度を目の当たりにし、私はただただ滑稽さを感じていた。

 足から力が抜け、陸に上がった魚のように息ができない。

「郁美、何か言いたいことでもあるのか?」

 悠介は、いつまでも突っ立っている私を鬱陶しそうに見る。

 私は背を向けた。

「ううん、何でもない」

「待てよ――」

 だが、私はもうドアの外に出ていた。

 新居へと車を走らせる間、涙で視界が滲んだ。何度も路肩に車を停めては涙を拭わなければならなかった。

 家に入り、私は呆然と立ち尽くした。念入りに設計したこの家。ここは私たちの未来の青写真そのものだった。けれど今、それはただの美しい抜け殻に過ぎない。

 携帯が鳴った。大学時代の恩師、村木教授からだ。

 画面に表示された名前をしばらく見つめてから、私は応答ボタンを押した。

「郁美、もう一度聞きたくて電話したの」

 懐かしい温かな声に、喉の奥が熱くなる。

「私の事務所に来る気はない? チューリッヒで大きな契約を結んだばかりなの。あなたこそ適任だと思ってね」

 口を開こうとしたが、言葉が出てこない。

「もし来るなら、次の学生たちと一緒に連れて行くわ。出発は十日後よ」

 十日後。

 胸が締め付けられるようだった。教授は卒業以来、ずっと私を事務所に誘ってくれていた。けれど私は毎回断ってきた。悠介から離れられなかったからだ。彼と離れ、異国の地で一人で生きるなんて想像もできなかった。

 だが、今は違う。

「行きます」

 電話の向こうで沈黙が流れた。

「え?」

 村木教授は驚愕している様子だった。

「今、『はい』って言ったの?」

「はい。チューリッヒに行きます」

「郁美、あなた……」

 彼女は情報を整理しようと言葉を詰まらせた。

「あんなに悠介君のことを愛していたじゃない。彼と離れたくないからって、ミラノへの全額奨学金も蹴って、大学院への進学も諦めてここに残ったのに。一体何があったの?」

 私は手で口を覆い、嗚咽を漏らさないよう必死に堪えた。

「大したことじゃありません。ただ、結婚式を取りやめることにしただけです」

 長い沈黙の後、電話が切れたかと思った頃。

「そう……」

 彼女の声が優しく響いた。

「残念だったわね。いいの、今は何も説明しなくていいわ。しっかり休んで、自分を大切になさい。十日後にチューリッヒで会いましょう。いいわね?」

「ありがとうございます、先生」

 通話を終えた途端、張り詰めていた糸が切れ、私はその場に崩れ落ちた。

 結婚式は中止だ。私が作り上げたこの家の中身もすべて処分して、家ごと売り払ってやる。

 悠介は望み通りの人生を送ればいい。朋子と、二人の子供と、彼が脳内で作り上げた完璧な幻想と共に。彼が欲しがるものは全部くれてやる。

 そして私は、彼の人生から跡形もなく消え去るのだ。

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