第1章
絵里視点
意識が暗闇から浮上したとき、最初の感覚は熱だった。
夏の気だるい暖かさじゃない。鼻をつく、つんとした匂いを伴う、息が詰まるような灼熱の熱気。無理やり目を開けると、オレンジ色の炎が視界に突き刺さった。
炎。炎が、至る所に。
和也の車の車内が燃えている。レザーシートからは黒い煙がもうもうと立ち上っていた。動こうとしたけれど、手足に力が入らない。くそっ! 薬がまだ切れてない、頭が朦朧として、綿でも詰められたみたいだ。
待って……一体、何が起きてるの? 和也が星を見せてくれると言っていたのを思い出す。彼が渡してくれたジュース。その、病的なまでに甘ったるい味がまだ舌に残っている。それから、瞼が重くなって、意識が霞んで……
おかしい!
「和也? 助けて……」なんとか、か細い声を絞り出した。
車の外から声がした。
「保険金が下りれば、俺たちのギャンブルの借金もチャラだ」和也の声! でも、いつもの優しい彼氏の口調とは似ても似つかない、冷たい声。
「見たところ、完全に事故ね。完璧よ」女の声、間違いなく、彼のいとこの五条梨乃だ。「警察の連中も、まさか仕組まれたことだなんて思いもしないでしょう」
血の気が引いた。
保険金? 事故? 彼らは何を言っているの? 必死に言葉の意味を理解しようとしたが、炎はすでに私の服に燃え移っていた。身を焼く激痛で少しだけ頭がはっきりし、津波のように恐ろしい真実が押し寄せてきた。
和也は私を薬で眠らせ、車に火を放ち、事故に見せかけた――すべては、私の保険金のため!
なんてこと! 一番信じていた人に裏切られたんだ!
「いや……」もがこうと、逃げようとしたけれど、体が言うことを聞かない。薬が完全に筋肉の自由を奪っていた。なすすべもなく、炎がすべてを少しずつ蝕んでいくのを見ていることしかできない。
熱波が顔を打つ。皮膚が水ぶくれになり始め、髪が焼ける吐き気のする匂いがした。痛みは耐えられる限度を超えていた。叫びたかったのに、声すら出せない。
意識が遠のく直前、悟のことを思った。
兄さん、たった一人の家族。私は和也の口車に乗せられて、その兄さんを永遠に置いていく決心をしたばかりだった。私が死んだら、一人ぼっちの兄さんはどうなるの?
ごめん、兄さん……ごめん、悟.......
暗闇が、ゆっくりとすべてを飲み込んでいった。
―――
「絵里! 起きなさい!」
ばっと目を開けると、心臓が破裂しそうなほど激しく脈打っていた。部屋は太陽の光で明るい――炎も、煙もない。聞こえるのは、友達の沙耶香の心配そうな声だけ。
「悪い夢でも見てた? ずっと助けを求めたり、悟を呼んだりしてたよ」沙耶香はベッドの端に腰かけ、眉をひそめながら、やりかけの心理学の課題を手に持っていた。
見慣れた天井を呆然と見つめる。頭が混乱していた。ここは私たちのアパート――O大近くのシェアハウス。ピンクの花柄のベッドシーツ、ベージュの壁、沙耶香お気に入りのテディベアのランプ。ブラインドの隙間から太陽の光が差し込み、床に金色の縞模様を描いている。
待って! これが全部……リアルすぎる!
スマホを掴む。画面にはこう表示されていた。『二〇二三年、十月十五日、日曜日、午前七時三十二分』。
手が震え始めた。
ありえない! 絶対にありえない! 私が死んだ日は和也にドライブに連れ出された夜、十月二十二日だった。今日は十五日――ちょうど、七日前だ!
「ありえない……」私は囁いた。「私、死んだはずなのに。どうして……」
マジかよ、本当に戻ってきたっていうの?
「何が死んだって? 絵里、何言ってるの?」沙耶香が心配そうに顔を近づけ、私の額に手を当てた。「熱はないみたい。保健室、行く? 顔、真っ青だよ」
私は落ち着こうとしながら、死ぬ前の出来事を一つ一つ慎重に思い返した。和也の偽りの笑顔、薬入りのジュース、次第に霞んでいく意識、そして炎、痛み、絶望。それらの記憶は、まるでたった今起きたことのように生々しく、吐き気を催すほどリアルだった。
でも、私は本当に戻ってきた。すべてが始まる前に、本当に!
「大丈夫」私は無理に笑顔を作った。「最近、徹夜続きだったから。すごくリアルな悪夢を見ただけ」
沙耶香は疑わしげな顔で私を見たが、やがて自分の机に戻り、課題の続きを始めた。私はスマホを手に取り、チャットの履歴をスクロールする。和也からのメッセージがまだ残っていた。吐き気がするほど甘ったるい言葉が。
「絵里、今週末、特別な場所に連れて行ってあげたいんだ。君と分かち合いたい、美しい景色があるんだよ」
「そこはすごく静かで、二人きりになれる。俺たちの未来について話そう」
「信じて、俺は絶対に君を傷つけたりしない。愛してるよ、絵里」
これらの言葉を読むと、胃がむかむかした。今ならわかる――その「特別な場所」とは人里離れた田舎道のことだし、「愛してる」なんて、残酷なクソみたいな嘘っぱちだ!キモイ!
もし私が本当に生まれ変わり、死ぬ一週間前に戻ったのだとしたら、まだこのすべてを止めるチャンスがある。
―――
その日の午後、キャンパスの遊歩道では、プラタナスの葉を通して秋の日差しが差し込み、まだらな影を落としていた。学生たちがバックパックを背負い、おしゃべりしながら通り過ぎていく。野球部の選手たちが、週末の試合について大声で議論していた。すべてが、あまりにも普通に見えた。
しかし、私の注意は警備室の近くにいる一人の人物に完全に釘付けになっていた。
悟がそこに立っていた。その長身は人混みの中でもひときわ目立つ。一八八センチはあろうかという身長、広い肩幅から引き締まった腰にかけてのライン。着古した黒のレザージャケットを着ていても、その完璧な体つきがわかる。ダークブラウンの髪は少し乱れ、力強い顎のラインには三日分の無精髭が生え、彼にワイルドな雰囲気を添えていた。その深い灰色の瞳は今、怒りで燃え上がっている。
「いいか、がき、これが最後の警告だ!絵里にストーカーするのはやめろ。さもないと警察を呼ぶぞ!」キャンパスの警備員、田中さんが悟を指差し、厳しい声で言った。「お前みたいなチンピラは、キャンパスにいるべきじゃないんだ」
悟は両手を固く握りしめ、血管が浮き出ている。彼が、養護施設やストリートでの生活で身につけた暴力的な本能――反射神経と戦っているのが見て取れた。
「彼女には護衛が必要なんだ。あんたたちにはわからない!」悟は唸るように言った。「あの和也って野郎はヤバい。あいつは絵里を傷つける!」
「護衛だと?」田中は鼻で笑った。「彼女をストーカーしたり、嫌がらせをしたりするのが護衛だとでも? 絵里は君に会いたくないとはっきり言っている。諦めろ!」
私は遠くに立ち尽くし、胸が締め付けられるのを感じた。前の人生で、私は和也に洗脳され、悟の心配は病的な支配欲であり、彼の「ストーカー行為」は私に彼氏ができたことを受け入れられないからだと思い込まされていた。今と同じように、キャンパスの警備員に彼が私に近づくのを禁じさせることさえした。
なんて馬鹿だったんだろう! 悟が現れるのはいつも、彼が危険を察知したからだった! 和也の具体的な計画までは知らなかったかもしれないけれど、彼の本能は私が安全ではないと告げていたのだ。
突然、ぼんやりとした記憶が頭の中に溢れ出した。私自身の記憶ではない。第三者の視点から見た、奇妙な映像。焼死した後の私、必死に真相を探し求める悟の姿が見えた。和也の犯罪を知った時の彼の瞳に宿る絶望と怒り、そして和也と共倒れになるという彼の最後の選択が見えた。
その映像はあまりに鮮明で、まるで私が幽霊としてすべてを目撃したかのようだった。黒焦げになった私の体を抱きしめ、嗚咽する悟を見た。彼が手製の爆弾で、和也と共に炎の中に消えていくのを見た。
「一緒にいてやるよ、絵里」それが悟の最後の言葉だった。「今度は俺がお前を守ってやる」
いや、二度とそんなことはさせない。
「悟!」私は叫び、道を渡って彼らに向かって走った。
田中は説教を続けようとし、悟は肩を緊張させ、爆発寸前の様子で後ずさりしていた。しかし、私の声を聞いて、彼は完全に凍りついた。
「絵里?」彼は振り返った。その灰色の瞳が、驚きと、警戒と、信じられないという希望で揺らめいた。
私は止まらなかった――まっすぐに駆け寄り、彼を強く抱きしめた。
悟の体は瞬時にこわばり、心臓が速く脈打った。彼は私よりずっと背が高いため、私は彼の腰に腕を回すことしかできなかった。彼のレザージャケットからは、モーターオイルとタバコの微かな香りがした――私の記憶の中で、最も安心する匂い。
「すごく会いたかった」私は彼の胸に顔をうずめ、震える声で囁いた。「悟、本当に会いたかったの」







