第2章 密謀

ドアは完全には閉まっておらず、隙間が残されていた。

安田美香は冷たいタイルの床に崩れるように座り込んでいた。髪の先から水滴が絶え間なく滴り落ち、彼女は顔色が青ざめ、まるで驚いた子鹿のようだった。

「どうしたんだ?」藤原時は数歩で浴室に入ると、身をかがめて助け起そうとした。

安田美香が顔を上げると、濡れた長い髪が頬の両側に張り付き、水滴が頬を伝って流れ落ち、わざと施していた醜い化粧を洗い流していた。そこに現れたのは素顔の清楚で美しい顔だった。

藤原時の手が宙に止まり、彼は固まった。

目の前の女性は、まるで絵に描いたような美しい眉目を持ち、雪のような肌をしていた。澄んだ明るい瞳は、まるで星が散りばめられたようだった。

これが、あの派手な化粧をして、自分の前ではいつも慎重に振る舞っていた安田美香なのだろうか?

「わたし...足が滑って」安田美香の声には不自然な甘えた調子が混じっていた。まるで何かを隠そうとするかのように。

藤原時は我に返り、急いで彼女を助け起こした。冷たい肌に触れると、眉をわずかに寄せた。「怪我はないか?」

安田美香は首を振ったが、体は柔らかく彼の胸に寄りかかった。「ないわ、ただ驚いただけ」

藤原時の体が一瞬硬くなり、彼女を押しのけようとしたが、腕の中の彼女はまるで驚いた子猫のように、彼のシャツをしっかりと掴んでいて、振り払うことができなかった。

隣の病室では、藤原辰が安田柔子を抱きしめていた。

「辰、あの安田美香って女、今回は焼け死んだりしないかしら?」安田柔子の声には隠しきれない悪意が含まれていた。

藤原辰は面倒くさそうな表情を浮かべた。「知るか、死んだ方が静かになるぜ」

「でも、今回の誘拐事件、何かビデオがあるって噂よ...」安田柔子は目をきょろきょろさせた。

「何のビデオだ?誰がやった?!」藤原辰の声が急に高くなり、顔色も変わった。

「わたしも詳しくは知らないわ。ただ、誘拐犯が安田美香の醜態を撮影して、藤原家と安田家を恐喝しようとしてるって聞いただけ」安田柔子は無邪気な様子を装った。

藤原辰の顔は水が滴るほど暗くなった。「くそっ!これが広まったら、俺の顔はどこに置けばいいんだ?ダメだ、見に行かなきゃ!」

「そうね、様子を探りに行って、あの疫病神がくたばったかどうか確かめましょう」安田柔子の口元の笑みはさらに深くなった。

特別病室内。

藤原時は安田美香をベッドに寝かせ、布団をかけてやった。

「ゆっくり休め、俺はまだ用事がある」藤原時の声からは感情が読み取れなかった。

安田美香の目が一瞬暗くなり、声も小さくなった。「もう行くの?」

藤原時はうなずいた。「ああ、お前を守る者は配置しておく」

「でも...」安田美香は彼の襟元を掴み、指の関節が白くなるほど力を入れた。「怖いの...」

藤原時は足を止め、彼女を振り返った。

安田美香は彼を見上げ、その目は哀れっぽく、まるで捨てられた小動物のようだった。思わず抱きしめて慰めたくなるような表情だった。

「叔父さん、少しだけ...私と一緒にいてくれない?」

藤原時は心が揺らぎ、もう少しで承諾するところだったが、理性が勝った。「まだ処理すべきことが多い。ゆっくり休め、できるだけ早く真実を解明する」

そう言うと、彼は意を決して自分の襟から彼女の手を離し、部屋を後にした。

安田美香は彼の背中を見つめながら、口元に勝ち誇った笑みを浮かべた。

藤原時が病室を出たところで、薬盆を持った介護士とぶつかりそうになった。

「藤原社長、こんにちは。こちらの方のお薬交換に来たところです」介護士は丁寧に言った。

藤原時はうなずいた。「よろしく頼む」

それ以上は何も言わず、大股で立ち去った。

介護士は病室に入り、ベッドサイドに来ると、優しく声をかけた。「お嬢さん、お薬の交換の時間です」

安田美香は目を閉じたまま、まるで熟睡しているかのように動かなかった。

介護士は軽く彼女を揺すった。「お嬢さん?お嬢さん?」

安田美香はまだ反応しなかった。

介護士はあきらめたように溜息をつき、病衣の交換を始めた。

そのとき、安田美香のまぶたが蝶の羽のようにわずかに震えた。

彼女は目を開けず、ただ介護士の動きを感じながら、心の中で何かを計算していた。

彼女は知っていた。藤原時がこのままで済ませるはずがないことを。

すべきことは、あらゆる機会を捉えて、彼が自分にますます関心を持つように、ますます...手放せなくなるようにすることだった。

藤原辰と安田柔子がドアを開けて入ってきた。

「やぁ、これは安田お嬢様じゃないの?どう、まだ焼け死んでないの?」安田柔子の口から出るのは辛辣な言葉ばかりだった。

安田美香はまだ目を閉じたまま、聞こえないふりをしていた。

藤原辰は眉をひそめた。「もういいだろ、もう黙れよ。今の彼女の状態を見れば、十分可哀想だろ」

「可哀想?何が可哀想なのよ?あの子は疫病神よ。自分の実母を殺したばかりか、私たちの家までめちゃくちゃにしたじゃない!」安田柔子の安田美香への嫌悪感は隠しようもなかった。

「もういいって、黙れよ」藤原辰は明らかに長居したくない様子だった。「行こう」

二人は部屋を出て行き、足音が遠ざかっていった。

安田美香はゆっくりと目を開いた。その眼差しは毒を含んだ刃物のように冷たかった。

藤原辰、安田柔子、覚えておきなさい。必ず倍返しで償わせてやる!

廊下で、藤原時が突然足を止め、病室の方向を振り返った。

何か違和感があった。胸に石が乗っているような息苦しさを感じていた。

彼は急に向きを変え、大股で病室へ向かった。

「藤原社長、どうしてまた戻られたのですか?」南崎陽が後ろについて来て、困惑した表情を浮かべていた。

藤原時は何も言わず、ただ足早に歩いた。

病室のドアを開けると、介護士が安田美香の薬を交換しているところだった。

安田美香はまだ目を閉じ、呼吸は安定していて、眠っているように見えた。

藤原時はベッドサイドに行き、上から彼女を見下ろした。

彼女は顔色が青白く、唇は乾いて割れ、非常に弱々しく見えた。

しかし、何か隠しているような、まるで演技をしているような気がしてならなかった。

安田美香の手は布団をしっかりと掴み、手の甲の血管が浮き出ていた。

藤原時の視線は彼女の手に落ちた。

彼女の爪は整えられて清潔だったが、指の間には黒い灰が残っていた。とても微細で、注意深く見なければ気づかないほどだった。

それは...倉庫の木材が燃えた後の灰だ!

藤原時の目は一瞬で深く沈み、まるで嵐の前の海面のように、表面は静かだが、その下には激しい波が潜んでいた。

彼は向きを変え、大股で病室を出た。その雰囲気は人を凍らせるほど冷たかった。

「藤原社長、これからどちらへ?」南崎陽は慎重に尋ねた。

「調べろ。今日の午後、安田美香が倉庫で何をしていたのか、細部まで見逃すな!」藤原時の声は氷の破片のように冷たかった。

安田美香は藤原時が去ったのを感じ、ゆっくりと目を開いた。目の奥には勝ち誇った笑みが浮かんでいた。

彼女は病衣を軽く引っ張り、口元に意味深な笑みを浮かべた。

ショーは、始まったね。

「藤原時、これはまだ序の口よ。あなたを少しずつ、一歩一歩と私の罠に落とし込んで、心から...私を愛するようにしてあげる」

部屋の中には、彼女の低い、狂気じみたつぶやきだけが残った。

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