第3章

翌朝の講義室には、気怠い眠気とインスタントコーヒーの香りが漂っていた。

水原杏奈が席に着き、バックパックを下ろした途端、石田かずみがねっとりとした笑みを浮かべてすり寄ってくる。

「杏奈、昨日はよく眠れた?」

その声は、胸焼けがしそうなほど甘ったるい。

「葉川と、ずいぶん遅くまでお喋りしてたみたいじゃない」

杏奈の心臓が、どきりと跳ねた。なぜこの女が知っているのか。

「あら、そんなに驚かないでよ」

石田は唇の端を吊り上げる。

「私、小田くんと仲がいいの。彼から聞いたんだけど、葉川って昨日の夜、ずーっとスマホを睨んで、ものすごい顔してたんだって」

杏奈は表情を変えずに応じた。

「だから、何?」

「LINEのアイコン、初期設定のままの人ってさ」

石田は声を潜め、目に悪意をきらめかせた。

「大抵、残念な感じのルックスなのよね。わかるでしょ?」

彼女はわざとらしく顔をしかめてみせる。

「でも、あんたたちってお似合いじゃない? 家柄も釣り合ってるしさ」

杏奈が何か言い返そうとした、その瞬間。教室のドアが勢いよく開け放たれた。

葉川訪が大股で入ってくると、松明のように鋭い眼差しで室内をさっと見渡し、最後に杏奈の姿を捉えてぴたりと動きを止めた。彼はまっすぐ杏奈の隣の空席まで歩いてくると、乱暴に鞄を机に叩きつける。

石田の表情が、瞬時に凍りついた。

「葉川訪だ」

彼は短く名乗ると、冷ややかな視線を石田に投げかけた。

「もう行っていいぞ」

石田は引きつった笑みを浮かべて後ずさり、去り際に「せいぜい頑張りなさいよ」とでも言いたげな、侮蔑の視線を杏奈に送った。

葉川は席に着くなり、ぐいと杏奈の方へ顔を近づける。

「昨日の夜、俺と何がしたいって言ったか、覚えてるか?」

教室の温度が、数度下がったような気がした。杏奈は無理やり彼の目を真っ直ぐに見返す。その瞳の奥では、怒りの炎が燃え盛っていた。

「まさか俺が、お前みたいな女に興味を持つとでも思ったのか?」

葉川の声は低く、剥き出しの皮肉が滲んでいる。

「とぼけるな。お前が俺に近づいたのは、西崎のためだろ?」

杏奈は強く拳を握りしめた。爪が、じくりと掌に食い込む。

葉川の声は、まるで刃物のように鋭かった。

「忠告しておくが、俺は、お前みたいな女に掻き回されるほど甘くない」

そこへ教授が入ってきて、点呼を始めた。

助手が持っていた出席表が、前の席から順に後ろへと回されてくる。杏奈は用紙を受け取ると、西崎志宝の名前の隣にあるべき署名欄が、空白のままになっているのを目にした。

彼女はわざと西崎の名前を飛ばし、自分の名前の横にだけサインをすると、隣の葉川に用紙を手渡した。

葉川は片眉を上げる。

「お前の大事な西崎先輩の代返はしなくていいのか?」

「なんで私が、人のことを都合よく利用するような人間の代返をしなきゃいけないの?」

杏奈は、恐ろしいほど静かな声で問い返した。

葉川は一瞬虚を突かれたようだったが、すぐに俯いて自分のサインを書き込む。彼が出席表を後ろの席に回そうとした、その時。杏奈の指先が、彼の無骨な手の甲を、そっと掠めた。

葉川は、まるで電気にでも触れたかのようにびくりと手を引っ込め、出席表が床に落ちた。

「どうしたの?」

杏奈はわざと無邪気に首を傾げてみせる。

「もしかして、わざわざ私に会いに来てくれたの? 嬉しい」

葉川の耳の先が、みるみるうちに赤く染まっていくのが見えた。

「……自惚れるな」

杏奈は微笑みながら出席表を拾い上げ、後ろの席に渡した。ふと、葉川が手にしているボールペンが目に入る。黒い軸で、ペン先はすり減っており、ずいぶん長く使い込まれているように見えた。

「それ、貸してもらえる?」

彼女はそのペンを指差した。

葉川は一瞬ためらったが、無言でそれを差し出す。杏奈はペンを受け取ると、ノートにいくつか文字を書きつけ、それからペンを目の前に掲げて、じっくりと眺めた。

「このペン」

彼女の声が、不意に甘く、柔らかくなった。

「私にくれない?」

「は?」

「大切な、思い出の品として」

杏奈の瞳が、奇妙な光を宿してきらめく。

「私たちが初めて一緒に使ったペンだもの。コレクションしたいの」

葉川は、まるで幽霊でも見たかのような表情を浮かべた。講義終了のベルが鳴るや否や、彼は弾かれたように立ち上がり、バックパックをひったくって教室から飛び出していった。

その直後、教授が杏奈を呼び止める。

「すまないが、ペンを一本貸してくれないか。インクが切れてしまってね」

杏奈はにこやかに歩み寄る。

「先生、どうぞこれをお使いください」

彼女は先ほどの「記念のペン」を教授に差し出した。

「このペン、とても書きやすいですよ」

教室を出ると、杏奈はスマートフォンを取り出し、「調教師」という匿名アカウントでログインし、葉川訪に友達申請を送った。

三分後、葉川がリクエストを承認した。

調教師:『葉川くん、水原杏奈と手を繋いでるとこ、撮っちゃった』

葉川:『は? 何言ってんだ、俺はあいつと手なんか繋いでない!』

葉川:『……いくらだ?』

調教師:『お金はいらない。代わりに、西崎とあなたの入ってるLINEグループに入れて。実は私、西崎先輩のことが好きで……』

葉川:『ふざけるな。死んでもあいつの手なんか握るか!』

杏奈は思わず笑みを漏らした。これほど激しく否定するということは、本気で慌てている証拠だ。

突然、スマホが震えた。石田から送られてきたスクリーンショットだった——西崎が彼女を週末の箱根温泉旅行に誘う、LINEのやりとりだ。

杏奈が皮肉を込めて返信しようとした、その矢先。彼女自身のLINEにも、一件のメッセージが届いた。西崎志宝からで、内容は石田に送られたものと寸分違わぬ、箱根温泉旅行への誘いだった。

二つの、まったく同じ招待状。同じ時間、同じ場所、文面に添えられた絵文字さえも、完全に一致している。

杏奈は画面を睨みつけ、すべてを悟った。

自分は、ずっと西崎の「保険」でしかなかったのだ。いつでも替えのきく、二番手の選択肢。もし石田が誘いに乗れば自分は無慈悲に切り捨てられ、もし石田が断れば、その時だけ自分が呼び出される。

杏奈はLINEを閉じ、深く、深く息を吸った。

そして、低く独りごちる。

「今度は、彼にもキープにされる惨めさを教えてあげる」

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