第2章
眠れない夜だった。窓の外が白み始めても、私はまだ昨夜の終わらない悪夢に囚われたままだった。鏡に映る女は、泣き腫らした赤い目で、朝の光が目尻の小じわを残酷なまでに際立たせている。二十八年という歳月が刻んだ疲労は、もう隠しようもなかった。
バンッ!
寝室のドアが乱暴に蹴破られ、森本健太が飛び込んできた。残り香のアルコールと朝の冷気を纏い、その手には分厚い法律書類が握られている。
「お前の可愛い弟分が、どんな置き土産をしてくれたか見てみろ!」
健太は私の目の前に、iPadを叩きつけるように突きつけた。
「ネット中がお前たちの禁断の恋の噂で持ちきりだぞ! この森本健太の妻が、若い男を食い物にする年増女だってな!」
画面を見て、心臓が凍りついた。
『#森本梨絵、25歳プロバスケ選手とのママ活疑惑#』
『#トロフィーワイフの年下愛人、発覚か#』
『#28歳vs25歳、二人の本当の関係は#』
コメント欄は、さらに辛辣な言葉で埋め尽くされていた。
『金持ちのババアは遊び方を知ってるよな。若い肉が好物なんだろ』
『真一みたいな若くてイケメンが、三十路間近の女に本気になるわけない』
『典型的なパトロンと若いツバメの構図だ』
一言一句が、鋭いナイフのように突き刺さる。ママ活なんてしていない。ましてや、年増のババアなんかじゃない!
「これが、お前の佐藤真一が約束した『守る』ってやつか?」
健太は書類をめくりながら、嘲るように笑った。
「今や街中の人間が、森本さんちの奥様は年下好きだって知ってるぞ!」
彼は離婚届を化粧台に叩きつける。
「そんなに自由が欲しいならくれてやる! だが覚えておけ、鈴木家が俺に負っている三億円は一円たりとも負けてやらん。それに、三年分の生活費、医療費、被服費……」
契約書に目を落とすと、延々と続く数字の羅列に眩暈がした。合計五億円の負債? 私を破産させる気だ!
「健太、これは恐喝よ!」
「恐喝?」
彼は私の顎を乱暴に掴んだ。その力は、骨が軋むほど強い。
「梨絵、自分の立場を理解しろ。ネット中がお前を年下食いの年増女だと罵っているんだ。他にどんな男がお前を欲しがる? あの佐藤真一でさえ、あいつは二十五歳でキャリアの絶頂期だ。三十路間近の女を本気で相手にすると思うか?」
彼の言葉は毒のように吐き出され、最も残酷な真実を突きつけてくる。
「現実を見ろ、梨絵。俺以外に、お前みたいな落ちぶれた年増を欲しがる奴がどこにいる?」
健太はそう言い残してドアを叩きつけるように閉め、私とあの絶望的な離婚合意書だけが部屋に残された。
床に崩れ落ち、鏡の中の自分を見つめる。二十八歳。私は本当にそんなに年寄りなのだろうか。真一との三歳の差は、本当にそんなに許されないことなのだろうか。
携帯がまた震えた。真一と私のことを揶揄する、新たなゴシップ記事の通知だ。もう、限界だった。
その時、画面に静かにメッセージが浮かび上がった。
『今夜10時、青川学院大学の裏山、俺たちの昔の場所で。梨絵、まだフェンスの登り方、覚えてるならな。――君の真一より』
梨絵? 私のこと、梨絵って……?
途端に、数えきれないほどの記憶が洪水のように押し寄せてきた。三年前、青川学院大学で、彼はいつも私のことを「梨絵さん」と呼んでいた。自分より大人びていて、小さな大人のようだと。あの頃はそれを甘美に感じていたのに、今はただ胸が痛む。
青川学院大学の裏山。錆びついた金網のフェンスを乗り越えなければたどり着けない、あの廃れたバスケットコート。私たちの秘密の青春が、すべてそこに隠されている。
『梨絵さん、飛べ! 俺が受け止めてやる!』
夕日に照らされ、汗だくになったあの背の高い少年は、いつもフェンスの向こうから笑顔で手を差し伸べてくれた。
『梨絵さん、俺がプロになったら、あんたが俺の彼女だって世界中に自慢してやるんだ』
月明かりの下、彼はフェンスを乗り越えて、買ってきたばかりの薔薇の花束を私に手渡した。その瞳は、どんな星よりも輝いていた。
あの頃、私は二十五歳で、彼は二十二歳だった。今、私は二十八歳で、彼は二十五歳。時が私を嘲笑うかのように、この関係の中で私を「年上」という存在にしていた。
行けない。ネットの住人たちに、これ以上格好の餌を与えるわけにはいかない。真一の名声に傷をつけるわけにはいかない。無限の可能性を秘めた二十五歳のスーパースター。私が、彼の足を引っ張ってどうする?
でも……どうしようもなく、彼に会いたかった。
夜が更け、私は気づけば青川学院大学へと車を走らせていた。近づくにつれて、心臓の鼓動が抑えきれなくなる。
見慣れた寂しい小道、懐かしい錆の匂い。そしてついに、あの穴の開いた金網のフェンスが目の前に現れた。
フェンスの向こうから、バスケットボールが地面を打つリズミカルな音が、規則正しく響いてくる。ダン……ダン……ダン……。その一打一打が、私の高鳴る心臓と完璧に同期していた。
まだ私に背を向けているが、その背中は三年前よりずっと大きくなっている。シンプルな黒のバスケジャージの下には、プロリーグのトレーニングで鍛え上げられたしなやかな筋肉があった。広い肩、引き締まった腰、長い脚。一つ一つの動きが爆発的な力に満ちている。
フェンス脇の古い木に足をかけ、冷たい金網を掴む。二十八歳の身体は、以前ほど俊敏ではなかった。私はみっともなく、もがいていた。
ドリブルの音が、ふと止んだ。
彼が振り返る。その若く端正な顔立ちは、月明かりの下でさらに魅力を増していた。二十五歳の佐藤真一は、男としての魅力の頂点にいた。その若さと成熟が入り混じった姿に、私はどうしようもない劣等感を覚えた。
私はフェンスの上で凍りついた。この光景がどれほど滑稽なものか、突然理解してしまったのだ。三十路間近の女が、真夜中にフェンスをよじ登って三歳年下の男の子に会いに来るなんて。
「手伝おうか、梨絵?」
彼の声には優しいからかいの色が混じっていたけれど、その「梨絵」という呼び捨てに、私は身震いした。
真一はそれ以上何も言わず、ボールを置くとフェンスへと大股で歩み寄ってきた。彼が手を差し伸べた時、私はその前腕に浮かぶくっきりとした筋肉の筋と、手首にはめられた数百万はするであろうパテック・フィリップの腕時計を目にした。
「相変わらず不器用だな、梨絵さんは」
彼はくすりと笑った。
「飛べよ。俺が受け止めてやる」
梨絵さん……。その言葉が、私の感情を信じられないほど複雑にかき乱した。
私は目を閉じ、手を離した。
懐かしい感覚、懐かしい抱擁。でも、彼の身体は三年前よりもずっとがっしりとして力強くなっていた。その腕は今や、成熟した男の力を宿し、私をいとも簡単に抱きとめる。
「重くなったな」
彼は悪戯っぽく笑った。
「最近、むしゃくしゃしてヤケ食いでもしてたか?」
「真一!」
私は顔を赤らめ、彼の胸を叩いたが、感じたのはその大胸筋の硬さだけだった。
「冗談だよ、梨絵」
彼は笑いながら、私をそっと地面に降ろした。
「相変わらず、からかいやすい」
足が地面に着くと、私たちの身長差が居心地の悪さを感じさせた。彼は今や百九十八センチ、私は百六十三センチしかない。首をぐっと持ち上げて彼を見上げなければならないことが、目の前の男がもはや私の世話を必要とする大きな子供ではないという事実を突きつけてきた。
彼は私を見下ろし、その視線は私の顔を注意深く探っていた。その瞳の中には、心痛、怒り、そして……私には読み取れない、燃えるような激しさの気配があった。
「梨絵」
彼は口を開いた。その声は三年前よりもずっと低く、磁力を帯びている。
「あいつは、あんたをこんな風に扱うのか? みんなの前で、あんたを辱めるような真似を?」
その一言だけで、私の強がりはすべて粉々に砕け散った。三年間溜め込んだ不満、屈辱、そして今日のネット上の悪意に満ちたコメントが、決壊したダムのように溢れ出した。
「真一、私……」声が詰まった。「ネットのコメント……みんな私のこと、年増だって、若いツバメを囲ってるって……違うの! 本当に違うの!」
彼の表情は瞬時に暗くなり、顎のラインが硬く引き締められた。
「誰があんたをそんな風に言うんだ? 見せろ!」
「見ないで……」私は彼の携帯を掴んだ。「あの言葉は、あまりにも残酷すぎるわ」
「梨絵、聞け」
彼の温かく、節くれだった指先が、私の頬の涙を優しく拭った。
「年齢が愛の足枷になったことなんて一度もねえよ。三歳差がなんだ? 俺は十歳、二十歳離れてても、深く愛し合ってる夫婦を見てきた」
彼は一度言葉を切り、その瞳は真剣さを増す。
「それに、俺の目には、あんたはいつだってあの聡明で、気品があって、大切にしたい梨絵だよ。年増なんかじゃない。あんたは、俺の女神なんだ」
「でも真一、あなたはまだ二十五歳よ……」私の声は震えた。「人生の絶頂期で、あなたを慕う若くて綺麗な女の子なんて数え切れないほどいるわ。それに私はもう二十八歳。ネットの人たちの言う通り、私は本当に……」
「もうやめろ!」
彼は突然、これまでにない怒りを込めた声で遮った。
「梨絵、あんたが自分をそんな風に卑下するのは許さねえ!」
彼は両手で私の顔を包み込み、無理やり視線を合わせさせる。
「三年間だ、梨絵。この三年間、毎日毎日、あんたがどうしてあの時俺を突き放したのか考えてた。今ならわかる。俺を守ってくれてたんだろ?」
私は彼の視線を避けた。三年間埋もれてきた秘密が、彼とまっすぐ向き合うことを許さなかった。
「俺が若すぎることが怖かったんだろ。俺のキャリアに傷がつくのが、ゴシップが俺を潰すのが怖かったんだろ」彼の声は、ますます優しくなっていった。「馬鹿だな。俺がそんなこと気にすると思うか?」
彼は私の手を強く握った。その手のひらは燃えるように熱い。
「今、俺は帰ってきた。あんたの保護が必要だったガキとしてじゃなく、あんたを守れる男として」
「真一、でも私たちの年齢差が……」
「年齢のこと?」彼は優しく微笑むと、目元に少し茶目っ気を浮かべた。「知ってるか? 実は、あんたみたいに大人の魅力と知性を兼ね備えた年上の彼女を持つ俺のことを、周りの連中はみんな羨んでるんだぜ。年上の女に選ばれる男こそが一人前だって言うじゃないか」
私の顔は一瞬で赤くなった。
「真一!」
「事実を言ってるだけだ」
彼は真剣な眼差しで私を見た。
「梨絵、あんたは俺に本当の愛が何かを教えてくれた。子供じみた恋心なんかじゃない、一生大切にしたいと思える感情をな」
彼は一呼吸置き、その声はさらに固い決意を帯びた。
「だからこの三年間、俺は狂ったようにトレーニングして、試合に出て、投資して、人脈を築いてきた。あんたを守れるくらい強く、俺たちを疑う奴ら全員を黙らせられるくらい強くなりたかったんだ」
「何を……何をしてきたの?」
私は衝撃を受けて彼を見つめた。
真一は携帯を取り出し、一枚の写真を見せた。それは今日の『スポーツイラスト』の表紙だった。東京サムライのジャージを着てMVPトロフィーを掲げる彼。見出しにはこう書かれている。『25歳のキング 佐藤真一、歴史を創る』
「今シーズンのMVP、優勝、ファイナルMVP」彼はまるで良い天気について話すかのように、こともなげに言った。「ああ、それと週刊ビジネスフロンティアの『30歳未満のナンバーワン』にも選ばれた」
私はあんぐりと口を開け、言葉を失った。これが私の知っている真一? 三年前に学費の心配をしていた、あの大きな男の子が?
「でも、まだ足りねえんだ」
彼は携帯をしまい、私の瞳を深く見つめた。
「もっと必要なんだ。あんたが誰の目も気にせず、堂々と俺の隣に立っていられるくらいに」
「梨絵」
彼の親指が私の指の関節を優しくなぞりながら、三年の時を超えた問いを投げかけた。
「今、あんたの年下の男に、年齢なんて本当に問題じゃないって証明するチャンスをくれないか?」
年下の男……その愛称に、私の心臓は高鳴り、頬が熱くなった。
彼の若く端正な顔を見つめ、その手のひらから伝わる温かさを感じていると、私は突然気づいた。もしかしたら……もしかしたら私は、周りの目や世間の声に気を取られすぎていたのかもしれない。
愛に、本当に年齢の境界線なんてあるのだろうか。






