第4章
古崎俊の吐息が、心なしかスローダウンしたように感じられた。
私の耳元で、その音が反響している。
私は彼の手を引き、シャワールームへと連れ込むと、蛇口をひねった。
「ここで、ですか?」
古崎俊はどこか緊張している様子だった。いつものような余裕綽々とした態度は、どこへやら。
「そうよ」
私は古崎俊を一瞥する。
「さっさと服を脱いでちょうだい」
その言葉に、古崎俊は安堵したようだ。私の意図を読み違えてはいなかったと確信したらしい。
色白の頬が朱に染まり、なんとも艶っぽい。
私はつい、その顔をまじまじと見つめてしまった。
「ええ、その通りよ」
古崎俊がトップスを脱ぎ捨てる。散った水飛沫が大胸筋を濡らし、鎖骨のラインを伝って滑り落ちていく。
私は満足げに頷いて告げた。
「いいわね。それじゃあ、冷水をたっぷり浴びてきなさい!」
「……冷水、ですか?」
古崎俊がぽかんと口を開けた。
「ええ、とびきり気持ちいいわよ」
サキュバスである私は、生まれつき人間よりも肉体が強靭で、回復力も高い。
数少ない発熱の経験も、水浴びをして一眠りすればケロリと治ったものだ。
古崎俊もこれだけガタイがいいのだから、似たようなものだろう。
古崎俊は傷ついたような瞳で私を見つめた。まるで飼い主に裏切られた子犬のように、その眼差しは悲哀に満ちている。
意味がわからなかった。
彼はすぐさま服を着直すと、浴室から出て行ってしまったのだ。
家事もまだ終わっていないというのに。
まさか、この治療法がお気に召さなかったのだろうか?
◇
それから、古崎俊と連絡がつかなくなった。
数日間メッセージを送り続けても、既読すらつかない。
さすがに心配になった私は、姉さんのもとを訪ねた。
「姉さん、古崎俊の身に何か危険が迫ってるんじゃないかしら?」
姉さんはグラスを傾けながら、くすりと笑った。
「何を言ってるのよ。サキュバスのあんたこそが、彼にとっての『危険』なんじゃない?」
私は大真面目に反論する。
「姉さん、冗談はやめてよ。彼はすごく有能な家政夫なの。そこらの男とは違うんだから」
姉さんはきょとんとした顔をした。
「家政夫? あんたたち、まだそんな『ごっこ遊び』やってたの?」
事の顛末をすべて話すと、姉さんは長い沈黙に沈んだ。
「市子……あんたにかける言葉が見つからないわ」
「仕事のしすぎで頭がおかしくなったんじゃない?」
「古崎俊の態度は明白だったじゃない。彼が何を求めていたのか、もう一度胸に手を当てて考えてみなさいよ」
言われてみれば、確かに不可解な点はあった。
「でも……あの日、私が彼を姉さんの手配した男性モデルだと勘違いした時、彼は拒絶したのよ。そのせいで私は死ぬほど申し訳ない気持ちになったのに」
姉さんの声には、より一層の呆れが滲んでいた。
「市子、あんた腐ってもサキュバスでしょ。どうしてわからないの。拒絶こそが、最大の誘惑だってことが!」
……
私は呆然と立ち尽くした。
姉さんは最後にこう言った。仕事は仕事、プライベートはプライベートだと。
たとえ私がサキュバスの本能を嫌っていても、古崎俊に対してはどうなのか?
拒絶したいのか、不満なのか?
それとも――。
案外悪くない? 受け入れられる?
