第1章 誤って送られた弁当
【モブキャラ登場!】
私の目の前の空間に、そんな一行がふわりと浮かび上がった。
モブキャラ? 私のことだろうか。ぐぅ、と情けない音が鳴ったお腹をさすりながら、あまりの空腹に幻覚でも見ているのだろう、とぼんやり考えた。
確かに、私、栗山すみれは昼食にもありつけないしがない高校二年生。クラスの隅っこで息を潜めるように生きる、存在感の薄い、いわゆるモブキャラだ。
「幻覚なら、お弁当でも出してよね……卵焼き、タコさんウインナー、唐揚げ、厚切りチャーシュー、おかか……ぜんぶ乗せで!」
誰に聞かせるでもなく、目の前の空間にそっと呟いてみる。
すると、また新たな文字列が視界を横切っていった。
「敵役がヒロインのために作った愛妻弁当、また届け先間違えてるwwww」
「ヒロインの鹿島陽子は三ヶ月前から窓際の三列目には座ってないぞ、席替えしただろ」
幻覚にしては、やけに具体的じゃないだろうか。私は思わず、きょろきょろと辺りを見回した。
待って。今私が座っているのって、窓際の三列目じゃなかったっけ。三ヶ月前の席替えで、クラスのアイドルである鹿島陽子さんと席を交換したのは、紛れもない事実だ。
ありえない、でも、もしかしたら。そんな淡い期待を胸に、私はおそるおそる机の引き出しに手を入れた。
本当にあった!
そこには、精巧な作りの弁当箱が静かに収まっていた。結ばれた青いハンカチを解き、ごくりと喉を鳴らして蓋を開ける。緊張に、指先が微かに震えた。中身は、黄金色の卵焼き、真っ赤なタコさんウインナー、こんがりきつね色に揚がった唐揚げ。そして、つやつやと輝く白いご飯の上には、厚切りのチャーシューと、踊るおかかがたっぷりと振りかけられていた。さっき私が願ったものと、ほとんど同じだった。
「これ、斉藤樹の手作り愛妻弁当じゃん」
「あいつ、まだ鹿島陽子がその席に座ってると思ってるんだな、マジで天然ボケ」
不可解な文字列が、まだ目の前を流れていく。
私は唇をきゅっと結び、このお弁当を本来の持ち主に届けようと決心した。
教室の前方では、鹿島陽子さんが女子数人に囲まれ、手にしたタッパーの中身――彩りも乏しいサラダを自慢げに見せびらかしていた。
「あの、鹿島さん」
私は緊張でこわばる足取りで、彼女の元へ歩み寄った。
「このお弁当、誰かが私の机に間違えて入れたみたいなんだけど、たぶん鹿島さんのだと思う」
鹿島さんはお弁当を一瞥すると、あからさまに眉をひそめた。
「こんな高カロリーなもの、いらないわ。悪いけど、捨てておいてくれる?」
彼女は優雅に髪をかきあげ、さも当然といった口ぶりで付け加える。
「もし今後も誰かが間違えてあなたに渡したら、そのまま自分で処理しちゃって」
「鹿島陽子、ほんと体重気にしてるんだな」
「モブキャラ、ラッキーじゃん。これ、斉藤の手作り弁当だぞ!」
私は小さく頭を下げて席に戻り、この幸運な勘違いに感謝して、お弁当をいただくことにした。
一口食べた瞬間、じわりと涙が滲んだ。
この味は、亡くなった母を思い出させた。
あの頃、暮らしは決して裕福ではなかったけれど、そこにはいつも温かい空気が流れていた。母は香ばしい鶏の照り焼きや、湯気の立つおでんを作ってくれた。電気屋で働く父は、帰り際にいつも小さなお菓子を買ってきてくれた。毎朝、父は自転車の後ろに私を乗せて学校まで送ってくれながら、決まってこう言ったものだ。
「すみれ、しっかり勉強するんだぞ。家のテレビを売ってでも、お前を大学に行かせてやるからな」
けれど、母が死んでから、すべてが変わってしまった。
父はまるで別人のようになり、仕事を辞めて一日中パチンコに入り浸っている。私への態度も日に日に冷たくなり、私がバイトで稼いだお金をギャンブルのために黙って持ち出すことも一度や二度ではなかった。
ここ二日、私はまともな食事をしていなかった。
「モブキャラ、可哀想すぎる。父親が全然面倒見てないじゃん」
「この弁当、間違えて届けられたのはむしろ良かったんじゃないか」
翌朝、私は自分の席の前で立ち止まり、目の前の空間に向かって小声で祈った。
「敵役さんと、弾幕の神様。今日も、お弁当はありますか?」
目の前の文字列は、すぐに反応を示した。
「今日の敵役も、相変わらず机を間違える天然ボケだ」
案の定、引き出しの中には、まだ温かい、手の込んだお弁当が鎮座していた。
「弁当愛好家として、斉藤樹の男主人公に同意する」
「斉藤樹が自分で弁当作るの、これが初めてじゃないか? すごく心を込めて作ってるように見える」
私は温かいお弁当を見つめながら、ふと、不思議な考えが頭をよぎった。弾幕に『敵役』と呼ばれているこの人は、もしかしたら、悪い人じゃないのかもしれない。











