第2章
佐藤友明から手渡されたメイク落としを受け取り、私は感激に声を震わせた。
「ありがとうございます、友明くん」
感涙に咽ぶ私の姿を見て、佐藤友明は安堵の息を吐いた。
「お前ら見ろよ。こんな様子で、こいつが怨霊体なわけねえだろ」
コメント欄の流れも「ありえない」という方向に傾いたが、例の陰陽師だけがまだ粘っていた。
『お前たち家族三人の誕生日は同じ月だ。それは「家系の因果」を生み、怨霊体にとっては最良の養分となる』
『三日後はお前の生誕祭……奴がそのエネルギーを収穫するには絶好の機会だ。必ず惨劇が起きるぞ!』
佐藤家の子は友明ひとり。結婚後、私たちは彼の両親と同居することになった。
義母はとても〝伝統的〟な女だ。
友明が食べ残した飯は、腐った酸味が漂い始めるまで放置され、それからようやく私の前に出される。
普段、私に許されるのは茹でた青菜と漬物だけ。だが、その口からは偽善に満ちた言葉が飛び出す。
「お母さんはね、あんたのために言ってるのよ。女は脂が乗るとすぐ太るからね。そうなったら、息子に捨てられちまうよ」
その点については、確かに感謝しなければならない。
彼女は知らないのだ。怨霊体には常人のような代謝がなく、肉を摂取しすぎると怨気が強まり、制御が困難になることを。
この前の祝いの席で、友明が焼肉を一切れよこしてきたことがある。仕方なく、私は吐き気を堪えてそれを飲み込んだ。
その晩、私は暴走した。平静を取り戻すのに、半年かけて溜めたエネルギーを使い果たす羽目になったほどだ。
だから食事の時、私は肉や魚をこれでもかと義母の茶碗に積み上げる。
日増しに肥えていく彼女の体を見て、私は満足感を覚える。収穫の時、その皮と肉がどんな歯ごたえか……想像するだけで涎が溢れそうになる。
もっとお食べ。腹一杯になれば、それだけ私が美味しく頂けるのだから。
深夜、友明が寝静まったのを見計らって、私はメイクを落とすために起き出した。
怨霊体の化粧には時間がかかる。何しろ死人だ、肌に弾力がない。保湿には生前以上の手間が必要なのだ。
メイク落としが肌に触れた瞬間、顔面を灼熱感が襲った。
その時だ。背後から、ぞっとするような視線を感じた。
勢いよく振り返ると、鍵をかけたはずのドアが開いており、いつの間にか佐藤友明が立っていた。
「こっちを向け。顔を見せろ」
命令する彼の瞳には、悪意に満ちた光が宿っている。
本来、怨霊体に五感はない。
だが今の私は、全身の毛穴から冷や汗が滲み出るような感覚を覚えていた。
部屋に入ってくる前、友明はあの陰陽師の指示に従い、スマホのレンズに「神社の聖水」を塗ったのだ。そうすれば人外の正体を暴けると言って。
配信サイトの同接数と投げ銭の通知を見て、友明の声はさらに獰猛さを増す。
「とっとと落とせ! すっぴんが見せられねえのか?」
パジャマ姿の私は顔を覆って泣き崩れ、怯えたふりをする。
その痛々しい姿に、コメント欄の視聴者たちも同情し始めた。
『もういいじゃん。今どき陰陽師なんて、どうせデタラメだって』
だが、友明は止まらない。彼は私の手首を乱暴に掴み上げた。
「リスナー様が金払ってんだよ。裸になれって言われたらなるのが筋だろうが!」
彼はさらに脅しをかける。
「言うこと聞かねえと、ただじゃおかねえぞ!」
仕方なく、私は友明から渡された液でメイクを拭き取り続けた。
最後のコンシーラーが落ちた瞬間、友明も、配信画面の向こうの視聴者も息を呑んだ。
しかし——私の肌は完璧だった。化粧の下から現れたのは、透き通るような美しい素肌。
友明は安堵の溜息を漏らすと、すぐさまコメント欄で陰陽師を詐欺師呼ばわりし始めた。視聴者たちもそれに続く。
『夜中に嫁さんいびってんじゃねーよ! 可哀想だろ!』
『これ三人でグルになって炎上商法やってんだろ。深夜三時なのに昼間より人多いぞw』
その時、陰陽師がハッとしたように書き込んだ。
『わかったぞ! 今はお盆の期間中だ。陰陽の気が交わるこの時期、怨霊体は一時的に生前の特徴を取り戻すのだ』
私は内心で舌を巻いた。この陰陽師、意外と能があるらしい。
『彼女は極めて怨念の強い個体だ。並大抵の御幣では効果がない』
『佐藤友明、貴様一体彼女に何をした? これほどの怨気を抱かせるとは!』
