第1章
香奈視点
「もう、香奈、早く電話に出ろよ」
私は大理石の洗面台で執拗に震えるスマホを見つめた。シャワーのお湯が二人の体に降り注ぐ中、智也のものが、まだ私の太ももを伝って流れ落ちていく。画面には「お母さん」の文字。いつ見ても胃がキリキリする文字だった。
「もしもし、お母さん」シャワーの壁に押し付けられて抱かれていたばかりだとは気づかれないよう、私は声を整えた。
「森山香奈、どこにいたの? もう二十分もかけ続けてるのよ!」
智也の指が私の腰のあたりで気怠げに円を描くせいで、会話に集中できない。ちょっと、勘弁してよ。今そういうタイミングじゃないでしょ。
「シャワー浴びてたのよ、お母さん。で、どうしたの?」
「あなたももう二十六歳なんだから、そろそろ身を固めることを考えなさい」その声には、母親だけが使い分けられる愛情と苛立ちの絶妙な混合が込められていた。「いい人がいるのよ。お食事の用意をしておいたから」
私は目を閉じ、朝の情事の余韻をお湯で洗い流した。「お母さん、前にも何百万回も言ったけど――」
「いいから、会いなさい」
「……わかったわよ。詳細送って」
言い返す間もなく電話は切れた。智也の腕が背後から私の腰に回り、彼の顎が私の肩に乗る。
「またお見合い?」彼が長年かけて完璧に習得した、あの中立的で慎重な声色だ。
「孫の顔が見たくて仕方ない母親のこと、知ってるでしょ」私は彼の腕の中で振り返り、その顔を覗き込んだ。法科大学院時代から私を惑わせ続けてきたその琥珀色の瞳は、何も読み取らせてくれない。
智也は柔らかく、けれど虚ろに笑った。「ああ、知ってるよ」
私たちは心地よい沈黙の中でシャワーを浴び終えた。三年間の朝を共有してきたからこそ生まれる沈黙だ。智也は私にバスタオルを手渡してくれた――ゴワゴワの予備じゃなく、いつもの肌触りのいいやつを。そして私は、鏡越しに彼が髭を剃る様子を眺めた。
これが私たちのルーティン。恋人未満の同棲ごっこ、まるで完璧に振り付けられたダンスのような日常。
「お前の好きな玉子焼き作っといたから」カミソリを洗い流しながら彼が言った。「あと、木曜の残りの味噌汁もあるし」
智也はコーヒーテーブルから鍵を拾い上げた。「今夜は遅くなると思う」スマホを確認しながら言う。「空港まで人を迎えに行かなきゃならないんだ」
胃がすとんと落ちるような感覚。「白石さん、今日帰ってくるの?」
彼の顔に浮かんだ表情が全てを物語っていた。「ああ。S市の事務所からこっちに転勤になったんだ」
白石絵美。
智也の法科大学院時代の恋人。完璧なブロンドヘアに、完璧な青い瞳、そして私が持ち合わせていない完璧な全てを持った女。彼女は二年間、S市の敏腕事務所でキャリアを積むために離れていた。その間、智也はずっと……どうしてたっていうの? 待ってたの?
「いつから帰ってくる予定だったの?」私は二度も整理した書類をさらに揃えるふりをして、何でもない風を装って尋ねた。
「数ヶ月前からかな」彼はドアのそばで足を止めた。「香奈、俺たちの関係は何も変わらないってわかってるよな?」
そうね。だって、変わるような関係なんて最初からないんだから。
「もちろんよ」私は精一杯明るい笑顔を作ってみせた。「変わるわけないじゃない」
彼が出て行ったあと、私はリビングの真ん中に立ち尽くした。私たちの奇妙な関係の証拠品に囲まれて。サイドテーブルには彼のマグカップ。私の隣にきれいに積まれた彼の法律雑誌。壁のコンセントに挿しっぱなしの予備の充電器。
一緒に住んで、定期的に寝て、彼は料理を作ってくれて、私のコーヒーの好みも覚えてくれている。でも、私は彼の彼女じゃない。
私は一度だって、彼の彼女だったことはないのだ。
――記憶がいつものように、唐突に、鋭く蘇る。七年前のあの夜、期末試験を乗り切った法学部の学生たちがこぞって祝いに集まる安酒場、バー『夜桜』へと私を引き戻していく。
当時二十二歳だった私は、智也が向けてくる関心の高まりを、友情以上の何かだと勘違いするほど愚かだった。三年間、私たちは勉強仲間だった。授業の合間にコーヒーを飲み、憲法について午前三時まで議論し合う仲間だった。けれど、卒業が迫り、誰もが将来の計画を語り合っていたあの夜、私はもしかしたら……と思ったのだ。
店内は満員で、ダークウッドの内装と生ビールの匂い、そして人生の一章を終える若者たち特有の必死なエネルギーに満ちていた。私はお気に入りの黒いワンピースを着ていた――自分を強く見せてくれるあの一着だ。メイクにも一時間かけた。
智也はいつもより酒が進んでいた。彼がカラオケのマイクを握った瞬間、私の心臓は肋骨を激しく叩き始めた。
「本当に特別な人に、言いたいことがあるんだ」
彼の呂律は少し怪しかったが、その声は真剣そのものだった。店中の喧騒が止み、すべての視線が彼に注がれる。「この狂ったような日々の中で、ずっと俺の親友でいてくれた人。俺と同じように正義を信じていて、俺にもっとまともな人間になりたいと思わせてくれる人へ」
頬が熱くなった。これだ。ついに、その時が来たんだ。
「俺は、お前のことが心底好きなんだ」智也が続け、私の心臓は本当に止まったかと思った。「白石絵美、俺と付き合ってくれないか?」
歓声を切り裂くように、ガラスの割れる音が響いた――私の手から滑り落ちたビール瓶が床を打った音だ。白石絵美、あの忌々しいほど完璧な白石絵美は、ビリヤード台のそばで、驚きに口を丸く開けたまま凍り付いていた。
智也が話を終える前に、絵美が返事をする前に、そして屈辱の涙が頬を伝うのを誰かに見られる前に、私は店のドアを飛び出していた。
二十分後、ビルの裏手の階段で捨て犬のように座り込んでいた私を、智也が見つけた。
「香奈、頼むよ、あちこち探し回ったんだぞ」
「おめでとう」私は彼の顔を見ずに、なんとか言葉を絞り出した。「白石さんはお似合いよ」
彼は私の隣に腰を下ろした。ビールと混ざり合った彼のコロンの香りがする距離だ。「お前が俺の親友だってことはわかってるよな? それだけは絶対に変わらない」
親友。あの忌々しい「友達ゾーン」だ。同情という添え物付きで突きつけられた。
「もちろん」私は無理やり笑顔を作った。「ずっと親友、でしょ?」
私はその記憶を振り払い、改めて自分のアパートを見回した。絵美が帰ってきた。ということは智也は……どうするつもり? 私を捨てる? 私を乗り換える? 学生時代の恋人と、ついに「幸せに暮らしましたとさ」ってなるわけ?
「ふざけんじゃないわよ」
誰もいない部屋に向かって吐き捨てた。
もし絵美が智也とヨリを戻したいなら、勝手にすればいい。でも、惨めな引き立て役みたいに、二人の再会を指をくわえて見ているつもりはない。
私にだって選択肢はある。いつだって、手札はあるんだから。
三十分後、私は都心部から下町の芸術エリアへと車を走らせていた。古い工場を改装した良太のアトリエの前に車を停め、少しの間、心を落ち着かせる。
私は鍵を使った――良太が私にだけ渡してくれた、その鍵を。彼はいつもその事実を私に思い出させるのだ――そして、三階へと続く狭い階段を上った。ドアにたどり着く前から、シャワーの音と調子外れの歌声が聞こえてきた。
良太のアトリエは、売れないミュージシャンの典型のような部屋だった。床に敷かれた布団、壁という壁に掛けられたギター、そしてあらゆる平面に小さな軍隊のように並ぶビールの空き瓶。部屋はタバコと革、そして私の脈拍をいつも速める、言葉にできない「男」の匂いがした。
バスルームのドアが少し開いていて、そこから蒸気がメインルームに漏れ出している。隙間から、すりガラス越しに動く良太のシルエットが見えた。
彼は長渕剛の曲を歌っていた。昨夜の酒焼けしたような、荒っぽくて低い声。タイルを叩く水音が一定のリズムを刻んでいる。
私はバッグを放り出し、ソファ――おそらく二十年前には高級品だったであろう革製の巨大な物体――に身を沈めて彼を待った。
五分後、良太が腰にタオルを巻いただけの姿でバスルームから出てきた。濡れた黒髪から滴る水が、タトゥーの入った肩へと落ちていく。彼は私を見ると足を止め、ゆっくりとニヤリと笑った。
「あれ?ここの鍵を持ってるのは、俺一人のはずなんだけどな、香奈ちゃん」
その緑色の瞳――そもそも私をこんなトラブルに巻き込んだ、あの破壊的な瞳――が私を捉えて離さない。
「……ってことは……」
彼はステージ上で見せるあの人を惹きつける、野獣のような優雅さで私に近づいてきた。水滴が胸を伝い、胴体の大部分を覆う複雑な黒とグレーのタトゥーの上を滑り落ちる。
「君が俺を求めてるってことだ」
私が答える間もなく、彼はソファの背後に回り込み、私の肩に手を置き、耳元に口を寄せた。
「ちょうど綺麗に洗ったところだ」首筋にかかる吐息が熱い。「ピカピカだぜ、君のために磨き上げたんだ。完璧なタイミングだな、香奈ちゃん」
