第3章

一睡もできなかった。

午前三時。私はまだ鳴瀬家の庭にいて、鈴木先生から渡された『初心者向け基礎音楽理論』の本をぼんやりと眺めていた。懐中電灯の光の下、びっしりと並んだ音符が、昨日のオーディションルームで見たあの黒いオタマジャクシのようにうねっていた。

読字障害のせいで、もう。希望が見えたというのに、これでは何一つ理解できない。

スマートフォンの画面が光り、今日のスケジュールを映し出す。午前九時、市川さんのスタジオでプロフェッショナルの練習。午後二時、朝日新聞の記者インタビュー。

一つ一つの予定が、昨日手に入れたばかりの偽りの栄光を粉々に破壊するための時限爆弾のように思えた。

手の中のハーモニカを握りしめる。昨日はこれで世界を勝ち取った。だが今日、これはまだ私を守ってくれるだろうか?

午前八時半。私は市川さんのスタジオの前に立っていた。手のひらは汗でじっとりと濡れている。握りしめた鈴木先生の名刺、そこに書かれた電話番号だけが唯一の命綱だった。

深呼吸を一つして、ドアを押し開けた。

「おはよう、葵くん!」市川さんの熱意は相変わらず燃えるように明るい。「さあ、我々の音楽の旅を始めようか?」

私は無理に笑顔を作った。「はい」

市川さんのスタジオは朝日を浴びて輝き、機材はきらめき、壁には彼が様々な音楽の巨匠たちと並んで写る写真が飾られていた。自分が詐欺師のように感じられ、この神聖な空間を汚している気分だった。

「さあ、まずは基礎から始めよう」

市川さんは簡単な楽譜をピアノに置いた――ほんのいくつかの基本的な音符だけだ。

「これはハ長調の音階だ。国立音楽高校でなら、数え切れないほど練習しただろう」市川さんは温かく微笑んだ。「これを復習してから、もっと複雑な編曲の練習に移ろう」

心臓が速鐘を打ち始めた。音符たちがまた目の前で狂ったように踊りだし、昨夜の悪夢に出てきた黒いオタマジャクシのようにねじくれて、私を嘲笑っている。

「葵くん?」市川さんが私の苦悩に気づいた。「準備はいいかな?」

なんとかして、この場を誤魔化さなければ!

「あの……昨夜は興奮しすぎて、あまり眠れなくて」私は疲労を装ってこめかみをもみながら言った。「先に一度、弾いていただけませんか? 私は、曲全体の構成を耳で聴いて理解するタイプなんです」

これが私の唯一の活路――耳で覚えることだ。

市川さんは頷いた。「もちろん。それは実際、良い学習法だよ」

彼の指がピアノの鍵盤の上を軽やかに舞う。ドレミファソラシド。たった八つの単純な音が、彼のタッチにかかると行雲流水のように流れていく。

助かった。私は密かに安堵のため息をついた。

私はハーモニカを構え、彼の演奏を完璧に再現した。一音一音が正確で、さらに微細なビブラートの技術まで加えてみせた。

「素晴らしい!」市川さんは満足げに頷いた。「君の音感はやはり完璧だ。しかし……」

しかし? 心臓がまた喉元までせり上がってきた。

「君の演奏スタイルはかなり独特だね」市川さんは思案深げに私を見た。「一般的な学術スタイルというより……もっと自由な感じだ。国立音楽高校の先生方は、このアプローチをどう評価していたんだい?」

頭が猛スピードで回転する。「先生が……個性を伸ばすことを奨励してくれていました。技術は音楽のためにあるのであって、音楽が技術のためにあるのではない、と」

市川さんは思慮深く頷いた。「なるほど、現代の音楽教育では個性の尊重がますます重視されているからね。だが次は、楽譜に厳密に従うことが求められる初見演奏の練習が必要だ」

初見演奏! 血の気が引くのを感じた。

市川さんはより複雑な楽譜をピアノに置いた。「これは簡単なエチュードだ。まず目を通して。それから一緒に弾いてみよう」

震える手で楽譜を受け取る。音符が目の前で毒蛇のようにのたうち回っていた。必死でそれらを認識しようと試みるが、失読症がすべてを不明瞭な塊へと変えてしまう。

「どうかな?」市川さんが期待を込めて尋ねる。「この難易度なら、君にとっては簡単なはずだ」

額に汗が滲み始め、心臓が太鼓のように鳴り響く。「あの……やはり今日、どうも調子が……。先に一度、弾いていただけないでしょうか。全体の音楽的な雰囲気をつかみたいんです」

市川さんは少し戸惑ったような顔をしたが、同意してくれた。「わかった。それも確かに学習法の一つではあるからね」

彼がまさに弾こうとしたその時、不意にスタジオのドアがノックされた。

「どうぞ!」と市川さんが声をかけた。

ドアが開き、私の血は瞬時に凍りついた。

心美がハイヒールをカツカツと鳴らしながら入ってくる。その後ろには、カメラ機材を持った中年の男が続いていた。彼女は上等なスーツに身を包み、その笑顔は吐き気がするほど甘ったるい。

「おはようございます、市川先生!」その声は、甘さの中に毒が隠れているようだ。「練習のお邪魔ではなかったかしら!」

どうして彼女がここに?今?

昨日の彼女の毒々しい脅し文句が蘇る。「 明日、市川さんがあなたの指導を始める時に、私が直々に電話して全部ばらしてあげる!」

だが彼女は電話ではなく――直接乗り込んできたのだ!

「葵の従姉の、鳴瀬心美と申します」彼女は優雅に市川に手を差し出した。「こちらは朝日新聞の田中さんです。昨日先生がご連絡なさった記者の方です。せっかくインタビューのお約束をされたのですから、葵の調子が良い今のうちに済ませてはいかがでしょう?」

記者! 世界がぐらつくのを感じた。

「ああ、朝日新聞の記者さん!」市川は合点がいったという顔だ。「忘れるところでした、確かに昨日インタビューの約束をしましたね。しかし、タイミングが少し……」

「絶好のタイミングですわ!」心美の瞳が、私には見慣れた悪意に満ちた輝きを放つ。「昨日のオーディションはあまりにも見事でしたもの。この絶好の宣伝機会を逃す手はありませんわ!」

彼女は私の方へ歩み寄り、気遣うふりをして肩を叩いたが、その爪の下に隠された脅威を感じ取ることができた。「ねえ、葵ちゃん? 国立音楽高校での素晴らしい思い出を、ぜひ語りたいでしょう!」

田中さんが録音機材を取り出す。「鳴瀬さん、読者の皆さんはあなたの経歴に大変興味を持っています。国立音楽高校での学生時代についてお話しいただけますか? 最も影響を受けた教授はどなたですか?」

喉が締め付けられるようで――声が出なかった。

心美が「助け舟」を出す。「葵は少し緊張しているのかもしれませんわ。こうしましょう――先ほど市川先生と練習していたものを披露させてみては? きっと面白いものになるはずですわ!」

彼女の視線が、テーブルの上の楽譜に落ちる。悪意に満ちた視線だ。「このエチュードを弾けばいいのよ! 国立音楽高校の優等生にとっては、こんなもの簡単すぎるくらいでしょう!」

氷の地下室に突き落とされたような気分だった。これは偶然じゃない! 心美は明らかにタイミングを計算していた。私が楽譜を読めないことを知っていながら、わざと記者の前で初見演奏をさせようとしているのだ!

「私……」声が震えた。「先ほども申しました通り、今日は体調が優れなくて……」

「体調が優れない?」田中さんが困惑したように尋ねる。「では、日を改めましょうか?」

「いいえ、いいえ、そんな!」心美は必死に手を振り、その目は狂的な光を帯びていた。「葵は謙遜しているだけですわ! 彼女の初見演奏能力は世界レベルなんです! 国立音楽高校の教授方も、皆さん絶賛していましたのよ!」

彼女は市川に向き直り、その声には挑戦的な響きがあった。「どう思われますか、市川先生? 優秀な国立音楽高校の学生なら、この程度の基本的な練習はたやすくこなせるはずですよね?」

市川は私を見て、それから心美を見た。その目に疑念の色が浮かび始める。「確かに、彼女が国立音楽高校の学生であるならば、このレベルの初見演奏は……」

「では、見せていただきましょう!」心美が勝ち誇ったように遮る。「さあ、葵ちゃん。みんなにあなたの真の実力を見せてあげて!」

彼女の目の中の悪意を見て、私はすべてを悟った。これは突発的な行動ではない――昨夜のうちに彼女が計画した完璧な罠なのだ! 記者の前で、市川の前で、私の嘘を公衆の面前で暴こうとしている!

ハーモニカを固く握りしめ、崖っぷちに立たされているのを感じた。前は奈落、後ろは心美の悪辣な罠。

どちらを選んでも、行き止まりだ。

だが、この絶体絶命の瞬間に、予期せぬ声が私を救った。

「お邪魔して申し訳ありません!」スタジオの外から、切羽詰まったノックの音がした。「市川先生、緊急のお電話です!」

市川は眉をひそめた。「今かね?」

「長橋さんからです。日本レコード大賞のノミネートの件で――至急とのことです!」

日本レコード大賞? 市川の表情が即座に真剣なものに変わった。

「どうぞ、お構いなく!」心美は「思いやり深く」言ったが、その目は悪意に満ちた喜びに溢れていた。「先生がお戻りになるまで、ここでお待ちしておりますわ!」

だめだ! 私は心の中で叫んだ。市川がいなくなれば、私は完全に心美の魔の手に晒されてしまう!

しかし、市川はすでに立ち上がっていた。「申し訳ない、日本レコード大賞の件は本当に後回しにできないんだ。すぐに戻る。葵くん、少し休んでいてくれ」

彼は急いでスタジオを出て行き、私を心美と記者と共に残した。

ドアが閉まった瞬間、心美の仮面は瞬く間に剥がれ落ち、悪魔のような素顔を露わにした。

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