第4章 あなたは瀬央千弥という卵を産んだのですか?

名前を呼んだ瞬間、女の姿は通りの角へと消えてしまった。

まるで自分が悪鬼か何かであるかのように。

御影星奈は適当なコンビニを見つけて腰を下ろした。

携帯の残高に目をやったが、新しい家を見つけるには心許ない金額だ。

七年間、彼女は瀬央千弥のことだけを一心に想い続けてきた。

たとえ僅かな金でも、稼いだものはすべて彼のプレゼントに消えた。

やはり、片想いの行き着く先は無一物だ。

御影星奈が無表情で携帯に表示された高額物件を眺め、大きな仕事でも探そうかと思案していると、一本の電話がかかってきた。

「御影様! 今どこですか? 昨日の夜はご迷惑をおかけしました。場所を教えてください、今からそちらへ向かいます」

御影星奈は住所を告げた。

十五分後、目が胡桃のように腫れ上がった江ノ島美波が、御影星奈の前に立っていた。

彼女は汗だくで、額にかかる数本の髪も汗で濡れている。

「御影様、どうして何も言わずに行ってしまったんですか。機転を利かせて電話番号を控えておいてよかったです」

江ノ島美波はミネラルウォーターを半分ほど一気に飲み干してようやく息を整えると、少し恨みがましい視線を向けた。

御影星奈は眉をひそめる。

口を開こうとしたその時、江ノ島美波がまた身を乗り出してきた。彼女は目ざとく御影星奈の携帯に表示された物件情報を見つける。

「先生、お部屋探しですか? それなら私に聞いてくださいよ、父がK市にいくつか家を持ってるんです」

江ノ島美波が携帯を取り出し、あるファイルを開くと、御影星奈は沈思に陥った。

ファイルは全部で五十ページあり、一ページに一つの物件が記載されているが、どれも一等地ばかりだ。

これほど無意識に富を見せびらかす、殴りたくなるような人間には初めて会った。

これを「いくつか」と呼べるだろうか?

御影星奈は自分が相続した古びた道観を思い出し、思わずこめかみを押さえて頭痛をこらえた。

彼女は江ノ島美波の家の物件リストを見始め、最後まで目を通した結果、彼女の全ての条件を満たす物件は一つだけだった。

細く白い指がそれを指す。「これで」

江ノ島美波は今すぐ彼女を内見に連れて行こうとしたが、タクシーに乗り込んだところで、御影星奈は携帯に目を落とし、突然言った。「また今度にしましょう。急用ができたので」

江ノ島美波は残念そうだったが、理解を示した。

「じゃあ、また今度約束しましょう。でも、もし先生がホテルに泊まりたくないなら、今日から直接住んでもいいですよ。部屋は綺麗ですし、お金はいりませんから……」

御影星奈はドアを閉め、走り去るタクシーを見送った。

瀬央の旧宅はK市の郊外にあり、山紫水明、緑樹が木陰を作っていた。

御影星奈がここに来るのは初めてではない。彼女は手慣れた様子で別荘に入った。

「御影お嬢さん?! どうしていらっしゃったんですか?」

テーブルを拭いていた使用人が御影星奈を見るなり、驚きの声を上げた。

ただ、その目には侮蔑の色が満ちていた。

瀬央家の者は皆、瀬央千弥が御影星奈を好いておらず、彼女が一方的に嫁いできたことを知っていた。

それに加え、瀬央家のお嬢様や瀬央千弥の母が陰に陽に嘲笑するため、使用人たちまでが御影星奈を見下すようになっていたのだ。

顔が綺麗なだけで何になる? どうせ男を繋ぎ止められないくせに。

使用人は心の中で唾を吐いた。

御影星奈は冷たい視線を彼女に一瞥し、「いつから瀬央家は、下賤な女にいちいち断りを入れるようになったのかしら?」

「御影お嬢さん、なんて口の利き方をするんですか?」

使用人は目を丸くし、怒りに身を震わせ、腰に手を当ててまるで市場の女のような剣幕を見せた。

「私は使用人ですが、奥様には目をかけていただいているんですよ。それに比べて御影お嬢さん、あなたこそ嫁いで二年、若旦那様と同衾なさいましたか? 男を繋ぎ止められない腹いせに、私たち使用人に当たり散らすなんて……」

使用人はぶつぶつと悪態をつき続ける。

御影星奈の瞳の色がますます冷たくなっていく。嘲るように唇の端を吊り上げたのは、瀬央家に対してだけでなく、むしろ自分自身がおかしくてたまらなかったからだ。

見ろ、自分のものではない男一人のために、使用人ごときが頭の上で喚き散らす始末だ。

使用人はまだ罵り続けている。御影星奈がどう懲らしめてやろうかと思案していると、不意に声が響いた。

「何を騒いでいるの?」

瀬央千弥の母が、娘の瀬央舞香に支えられながらゆっくりと階段を下りてきた。

夫人は地味な色のチャイナドレスを身にまとい、優雅で気品があるが、その両目は鋭く厳しかった。

使用人はすぐに口を閉じ、まるで救いの主でも現れたかのように恭しく言った。「奥様、御影お嬢さんがお見えです」

瀬央家に嫁いで二年、彼女には「瀬央の奥様」という肩書すら与えられていない。

「御影お嬢さん」という呼称こそ、瀬央家全体が彼女を排斥し、誰も認めていないことの証だった。

御影星奈は自分が哀れで惨めに思えた。

瀬央千弥の母は冷ややかに御影星奈を一瞥し、叱りつけた。「もう嫁いで二年にもなるのに、まだ小家の出みたいに分別のないこと。御影家もとんだ娘を育てたものだわ!」

瀬央舞香は唇を歪め、嫌悪に満ちた目で口添えする。「御影星奈、前にも言ったでしょう? 屋敷に来る時は報告しなさいって。兄さんに嫁いだからには、ここのしきたりを守りなさいよ……」

御影星奈はもう聞いていられなかった。

彼女は話を遮り、苛立たしげに言った。「いつからこの屋敷はあなたたちが取り仕切るようになったのかしら? そのくだらない言い草はしまいなさい。私と瀬央千弥はもう離婚したわ。今、私は瀬央のお爺様に招かれた客よ」

言い終えると、彼女は意図的に一拍置いてから続けた。「これが大家族のおもてなし? そこらの小家にも劣るじゃない」

女の美しい顔には、隠すことのない嘲りが浮かんでいた。

その場にいた数人が同時に固まった。

瀬央千弥と御影星奈が離婚? 本当か嘘か?

瀬央千弥の母は御影星奈を上から下まで値踏みするように見つめ、やがて嫌悪を露わにして低く吐き捨てた。「口先だけ! でも、離縁してくれてせいせいしたわ。二年経っても卵の一つも産めないのだから!」

瀬央千弥の母が御影星奈を気に入らないのは周知の事実だった。

しかし、今のような悪辣な言葉は初めて耳にするものだった。

御影星奈は怒るどころか笑みを浮かべ、目を細め、気だるげな声で言った。「私は人間だから当然卵は産めないわ。それより瀬央の奥様、あなたは瀬央千弥という名の卵を産んだのかしら?」

「無礼者!」

瀬央千弥の母は怒りで顔を青くさせ、瀬央舞香が慌てて彼女をなだめた。

そして振り返ると、御影星奈を睨みつけ、吼えた。「御影星奈、わざとやってるんでしょう? 兄さんを呼び戻して懲らしめてもらうわよ? 少しは離婚の慰謝料でもあげようかと思ってたけど、今となっては乞食にやった方がマシだわ!」

まるで施しを与えるかのような口ぶりに、御影星奈は吐き気を覚えた。

彼女の視線は、瀬央千弥の母の左手首にはめられた数珠に落ちた。

視線が僅かに留まり、次の瞬間にはこう言った。「瀬央の奥様。あなたは私をそれほど見下しているのに、私が贈ったものをまだ身に着けている。それは、あなたが下賤だと理解してもよろしいかしら?」

瀬央千弥の母は夫の死後、ずっと体調が優れず、小病が絶えず、長年薬を服用する必要があった。

しかし、御影星奈が求めてきた数珠を身に着けてからは健やかに過ごしており、実に不可解なことだった。

瀬央千弥の母は顔を真っ黒にして数珠を腕から引きちぎると、「パチン」という音と共に床に叩きつけた。

不思議なことに、数珠の腕輪が床に落ちるやいなや、珠は四方八方に散らばって転がっていった。

「本当に私がこんな安物の珠を気に入っているとでも思ったの? 千弥の顔を立てていなければ、とっくにゴミ箱に捨てていたわ」

御影星奈の心は死んだ水のように静まり返っていた。彼女は瀬央千弥の母の気が急激に衰えていくのを見て、唇の端を吊り上げ、無言で二文字を口にした。

愚か者。

天才陰陽師が自ら求めた数珠は、そこらの数珠とは訳が違う。人の平安と健康を守るだけでなく、延命長寿の効果もあるのだ。

壊れてくれて、好都合だ。

御影星奈はどうでもいいというように視線を外し、彼女たちと時間を無駄にするのも億劫になり、お爺さんに電話をかけようとしたその時、外の門が開いた。

着物を着た老人が、ボディーガードに支えられながら入ってくる。

「星奈ちゃんはわしが呼び戻した。誰か文句でもあるか?」

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