第7章 御影星奈、お前は悪女だ!
個室の雰囲気は次第に賑やかになっていった。
雲野悠の友人は彼と同じくさっぱりした性格で、次から次へと御影星奈に杯を勧める。
ビールが二箱目に突入した頃、富樫円香がようやく遅れてやってきた。
彼女は全身をすっぽりと覆っており、ドアを閉めてからようやく帽子とマスク、サングラスを外した。
御影星奈の姿を見るや否や、目を輝かせて飛びかかっていく。
「御影さん!」
富樫円香の馴れ馴れしい接近に、御影星奈は少し嫌そうな顔をしたが、突き放すことはしなかった。
「御影さん、悠ちゃんから聞いたんですけど、離婚したって本当ですか? 言わせてもらえば、とっくに別れるべきだったんですよ。瀬央千弥みたいな男、あなたに全然釣り合いませんって」
「ちょうど最近、業界に新しい男性アイドルグループがいくつか入ってきたんです。どいつもこいつもイケメン揃いだから、今度御影さんに紹介しますよ……」
富樫円香はおしゃべりだった。
一度口火を切ると、立て板に水のごとく喋り続ける。
御影星奈はスイカを一切れ取って彼女の口に押し込んだ。「また今度ね。まずは何か食べなさい」
今夜のメンバーはこれで全員揃った。雲野悠はウェイターに合図を送り、ケーキを運んでくるよう促す。
ケーキは十層にも及ぶ立派なもので、その甘い香りが一瞬にして個室中に広がった。
照明が消され、願い事をする。
御影星奈はそっと両手を合わせた。
瀬央千弥に馬鹿みたいに執着し続けるのではなく、道に迷いながらも引き返すことができたことを、天に感謝した。
御影星奈は蝋燭の火を吹き消した。
ケーキを切り分けている時、富樫円香がふとあることを思い出した。
彼女は言った。「ここに来る途中、隣の通りで交通事故があったのを見かけたんです。なんでも、人が車に撥ねられて十数メートルも吹っ飛んだとか!」
富樫円香はオーバーに口を大きく開けた。「確か、名前は綾小路澈とか……」
「綾小路澈?」
雲野悠が真っ先に反応し、すぐさま御影星奈に視線を移す。だが、彼女の表情は平然としており、驚きの色は微塵も見られない。
「御影さん、あのクズ、本当に死んだんですか?」
その一言で、個室は瞬時に静まり返った。
ついさっきまで目の前で喚き散らしていた男が、瞬く間に死んでしまうとは誰が想像できただろうか。
御影星奈は平然とスイカを一口かじり、淡々とした口調で言った。「彼はただ、受けるべき報いを受けただけよ」
同情する者など誰もいない。あるのはただ、背筋にぞわりと這い上がる冷たい感覚だけだった。
誰が最初に「マジかよ」と呟いたのか。
それから、御影星奈はあっという間に人だかりに囲まれた。
「御影さん、占いできるんですか? 俺の運命、視てもらえませんか? そんな簡単に死んだりしないですよね」
「どけよ、御影さん、まずは私から! 最近、不幸なこととかないですよね?」
「御影さん……」
雲野悠と富樫円香は人垣から押し出されてしまった。
富樫円香は頭にはてなマークを浮かべていたが、雲野悠が事の経緯を一部始終説明すると、ようやく理解した。
彼女は憤慨した表情で罵る。「やっぱり瀬央千弥がいい奴じゃないって知ってた! あいつの連れてる友達こそが悪友よ! 御影さんを指差して罵倒されてるのに黙ってるなんて、それでも男なの?」
「言わせてもらえば、死んで当然よ! さっき、下に降りて嬉しくて踊ってやればよかった……」
今日の飲み会がお開きになったのは、深夜になってからだった。
バーの入り口で、雲野悠は片手で泥酔した富樫円香を支え、もう片方の手で彼女の帽子のつばを深く押し下げる。
富樫円香は超人気女優だ。彼女の写真を撮ろうと狙う記者は数え切れない。いくらこんな時間とはいえ、用心するに越したことはない。
「御影さん、よかったら先に送りますよ」
「いいわ。あなたは円香の面倒を見てあげて」
御影星奈は雲野悠の車が走り去るのを見送ると、背を向けて反対方向へと歩き出した。
街灯が道の両脇に寂しく佇み、彼女の影を長く長く伸ばしている。
綾小路澈が事故に遭った現場はバーからわずか一キロほどの距離で、地面には黒ずんだ血痕が微かに見て取れる。あたりに人影はもうない。
しかし、御影星奈の眼前には二つの鬼の影があった。
耳元に、痛ましい命乞いの声が聞こえてくる。
「ごめんなさい、わざとじゃなかったんです。頼むから、俺が車に撥ね殺される映像を繰り返し見せるのはやめてくれ……」
「K大学の入学資格はいりません、返しますから、どうか許してください……あんたの妹のことは、本当にただ魔が差しただけで……」
綾小路澈の魂は、事故現場に留め置かれていた。
彼は苦痛に呻き、その傍らには禍々しい気を放つ真っ黒な鬼の影が立っている。
御影星奈は興味深そうに眉を上げた。
事故に遭う前は、綾小路澈がここまで無様になることなどなかった。いや、違う。ここまで絶望することなどなかったと言うべきか。
悪霊は某种かの手段で、綾小路澈に自身が車に撥ねられる映像を繰り返し見せ、その時の痛みと、生命がゆっくりと失われていく恐怖を追体験させている。
正直、見事なやり方だ。
十分に堪能してから、御影星奈は声をかけた。「もういいわ。こちらへ来なさい」
綾小路澈の傍らにしゃがみ込んでいた悪霊は、御影星奈の声を聞くと、すっと彼女のもとへ飛んできた。
くぐもった嗄れ声が響く。「あ、ありがとうございます、先生のおかげです」
精神が崩壊するまで甚振られた綾小路澈を見ても、悪霊の胸の内の怒りは未だ収まらない。
彼は綾小路澈を心の底から憎んでいた。
貧しい家庭に生まれ、両親を亡くし、妹が一人いるだけだった。
必死の努力でようやくK大学に合格したというのに、突然何者かにその枠を横取りされてしまったのだ。
納得できずに説明を求めに乗り込んだが、相手は全く悪びれもせず、逆に傲慢にも人を寄越して彼を殴らせた。結果、手加減を知らない暴力で死に至らしめられ、その死体はサメの餌にと海に投げ捨てられ、証拠隠滅が図られた。
彼は死んでも死にきれなかった。運が良かったのか、悪霊となって綾小路澈の傍に憑くことができ、そして、綾小路澈が自分の実の妹を辱めるのを、ただ目の前で見るしかなかった。
もし御影星奈が手を貸さなければ、仇討ちは到底こんなに早くは叶わなかっただろう。
綾小路澈は呆然と宙に浮かび、その目は虚ろで光がない。
御影星奈は言った。「悪人には当然の報いがある。私に感謝する必要はないわ」
彼女は自身を善人だとは思っていない。
もし綾小路澈が彼女を怒らせることがなければ、あと数日は長く生きられたかもしれない。
御影星奈は歩みを進め、綾小路澈へと向かっていく。
常人の目には、広々とした道に御影星奈が一人いるようにしか見えないが、実際には一人の人間と二体の鬼がいる。
綾小路澈は恐怖に囚われ、久しく我に返ることができなかったが、冷たい声が己の名を呼んだことで、ようやく苦痛から引き戻された。
彼は目の前の人物の姿をはっきりと認めた。
「御影星奈!」
歯を食いしばり、力なく女の名を呼ぶ。その両目は赤く染まっていた。
彼の魂全体が、生前撥ねられた時の姿を保っている。
腕はありえない方向に曲がり、片足は折れ、顔は血にまみれてもはや判別できない。
「死んでもまだそんなに元気なのね。ゴキブリだってもう少しマシよ」
御影星奈は容赦なく言葉の鞭を打つ。
いかんせん、綾小路澈は先ほどまで散々甚振られて疲れ果てており、でなければ言い返していただろう。
虫の息でそこに這いつくばっていた彼は、ふと悪霊と御影星奈が並んで立っているのを目にし、脳裏に閃くものがあった。瞬時に全てを理解する。
「御影星奈! お前がやったのか? 全部お前の策略だったんだな! お前が俺を殺したんだ! この悪女め!」
綾小路澈は口を開けて怒鳴りつけ、血の涙が目尻を伝う。今にも御影星奈を殺さんばかりの形相だ。
御影星奈は危険に目を細めると、不意に手を上げた。宙を隔て、瞬時に綾小路澈の首を締め上げる。
「綾小路澈、自分が犯した過ちをどうして私のせいにするの? どのみち死ぬ運命だったんだから、早く死んで早く生まれ変わることね。ああ、違うわ。あなたに生まれ変わりはないんだった」
