第3章
黒羽赤司視点
一睡もできなかった。
事務所の革張りの椅子に座り、血に汚れたあの刺青機を、もう六時間もぶっ通しで見つめていた。
手のひらの傷が鈍く痛み、昨夜の出来事のすべてを思い出させる。
あの女、本気で俺を刺しやがった。
不思議と、怒りはなかった。代わりに感じたのは、自分でもうまく名付けられない感情……尊敬、だろうか?
「黒羽さん、ネガティブな報道がさらに悪化しています」
アシスタントの秋山佑真が、印刷されたニュース記事の束を抱えてドアから飛び込んできた。
俺は顔を上げずに言った。
「読め」
「『財界の大物、女性アーティストを監禁』、『黒羽赤司の闇』、『権力者の歪んだ支配欲』……」
秋山佑真の声は、見出しを読むごとに小さくなっていく。
どれも辛辣なタイトルだったが、いつものような爆発的な怒りを感じなかった。
「他には?」
「一部のネットユーザーは、黒羽さんが……あの女性を性的な玩具のように扱っていると……」
秋山佑真はごくりと唾を飲んだ。
「広報に連絡して、声明を発表させますか?」
俺は長い間、黙っていた。以前なら、即座にすべてのネガティブな報道を揉み消すよう命じていただろうが、今は……。
「黒羽さん?」
「もういい」
俺は平坦な声で言った。
「彼女の部屋の監視カメラをいくつか外せ」
「なっ!?」
秋山佑真は目を丸くした。
「黒羽さん、それは危険すぎます!」
「リビングのカメラだけ残せ。それで十分だ」
俺の口調に、反論の余地はなかった。
「彼女は見世物じゃない」
秋山佑真は、俺の決断に明らかにショックを受け、顎が外れんばかりだった。
「それと、彼女の生活環境を改善しろ。欲しいものは何でも与えろ」
「黒羽さん、本気でそれが賢明だとお考えですか?」
俺は手のひらの傷に目をやった。あの針は深く突き刺さったが、彼女の最後の「ごめんなさい」は、それよりもっと深く刺さっていた。
「いいからやれ」
――
その日の夕方、俺はタトゥースタジオへ機材のセッティングを確認しに行った。リビングエリアを通りかかると、バスルームからシャワーの音が聞こえてきた。
踵を返して立ち去ろうとしたその時、花宮薔薇が大きな声で叫ぶのが聞こえた。
「しまった、タオル持ってくるの忘れた……」
その声には、明らかにこちらを試すような響きがあった。
俺を試しているのか?
ドアを押し開けて中へ入る。タオルを渡すつもりで――
そして、彼女を見た。
水滴が彼女の体を流れ落ち、照明の下できらきらと輝いている。彼女はこちらを振り返り、その瞳は挑戦的な光を宿していた。
間違いなく、罠だ。
俺は即座に背を向け、頭に血が上るのを感じた。
「悪い。タオルが必要かと思ってな」
「あなたみたいな人なら、てっきり……」
彼女の声は皮肉に満ちていた。
「……なんだと?付け入るとでも?」
俺は背を向けたまま、冷たい声で言った。
「俺が欲しいのは君の技術だ。体じゃない」
背後で、タオルで体を拭く布の音がした。
「もう振り向いていいわよ」
振り向くと、彼女はバスローブをまとい、濡れた髪が肩に張り付いていた。その表情は複雑で、何かを値踏みし直しているようだった。
「あなたが想像していたような人じゃないみたい」
彼女はゆっくりと言った。
「どんな想像を?」
「怪物、変態」
俺は苦笑を漏らした。
「この二つは、あながち間違いでもないかもしれんな」
彼女はしばらく俺を見つめ、それからタトゥーの作業台の方へ歩いていった。
「手、どう?」
無造作に包帯が巻かれた傷を一瞥する。
「何でもない」
「座って」
彼女は椅子を指差した。
「ちゃんと巻き直してあげる」
俺は固まった。彼女が、俺の傷の手当てを?昨日まで俺を殺そうとしていた女が、今度は俺の世話を焼こうというのか?
「大丈夫だ」
「座って」
彼女の口調は、先ほどより強いものになっていた。
「あの針、深かったでしょ。ちゃんと処置しないと化膿するわよ」
俺は一瞬ためらった後、椅子に腰を下ろした。
花宮薔薇は救急箱を持ってくると、俺の手に巻かれた包帯を慎重に解き始めた。深い刺し傷を見て、彼女は眉をひそめた。
「ごめんなさい」
彼女はそっと言った。
「昨夜は私……我を忘れてた」
「君が我を忘れるのも当然だ」
俺は彼女の真剣な表情を見つめた。
「俺が閉じ込めたんだからな」
彼女は傷口を消毒し始めた。その手つきは優しい。
「どうして私を閉じ込めたの?」
それは、答えるのが難しい問いだった。俺は長い間、黙り込んだ。
「君の作品だ」
俺はついに口を開いた。
「多くのアーティストを見てきたが、君は違う。君の作品には……魂がある」
「それなら尚更、アーティストを閉じ込めちゃダメでしょ」
消毒軟膏を塗りながら、彼女の指先が俺の肌を軽くかすめた。
「アートには自由が必要よ」
触れた箇所から、奇妙な電流が全身を駆け抜けた。俺は表情を保つのに必死だったが、心臓の鼓動が速まり始めていた。
「……そう、かもしれないな」
彼女は手を止め、俺を見上げた。
「どういう意味?」
視線が交錯する。彼女の瞳の中の光の粒一つ一つまで見えるほど、近い距離だった。
「やり方を変えるべきかもしれない」
俺の声は、少し掠れていた。
「どんなやり方に?」
「力ずくじゃない、説得というやり方だ」
彼女の手は俺の手のひらに置かれたままだったが、やがて包帯を巻く作業を再開した。
「もし私が断ったら?」
その問いは、俺の胸に今までにない焦燥感を生んだ。これまで、誰かの拒絶など気にも留めなかった。だが、今は……。
「それは、君の権利だ」
俺は言った。
彼女は包帯を巻き終えたが、すぐに俺の手を離そうとはしなかった。俺たちはただ、静かにお互いを見つめ合った。
「手が冷たいのね」
彼女がそっと言った。
「いつものことだ」
「どうして?」
俺は背中にある傷跡を、あの耐え難い記憶を思った。
「生まれつき心を持たない、ただのろくでなしもいるのさ」
「そうは思わない」
彼女はまだ俺の手を握っていた。
「心無いクソ野郎は、痛みで震えたりしない」
気づいていたのか?俺が震えていたことに?
「花宮薔薇……」
「何?」
「ありがとう」俺は静かに言った。「傷の手当てをしてくれて」
彼女は俺の手を離した。その顔には、かすかな赤みが差していた。
「どういたしまして。だって……あなたを傷つけたのは、私なんだから」
俺は立ち上がり、部屋を出ようとした。戸口で、足を止める。
「明日から、このエリア内は自由に動いていい。ただ……まだこのビルからは出られない」
彼女は驚いたように俺を見た。
「なぜ?」
「なぜなら……」
俺は彼女に背を向けたまま言った。
「恐怖からは、本物のアートは生まれないと信じ始めたからだ」
そう言い終えると、俺は足早にタトゥースタジオを後にした。
廊下を歩きながら、俺は恐ろしい事実に気づいていた。俺は彼女が何を考えているのかを気にし始めている。彼女の技術だけでなく、彼女という人間そのものを。
この感情は、どんなビジネスリスクよりも厄介だった。
手のひらに、温もりが広がっていく。彼女の指先が残した熱だ。
俺は自分が思うほど、心無いクソ野郎ではないのかもしれない。








