第2章
カタリーナ視点
目を覚ますと、そこは医務室だった。
ブラインド越しに射し込む朝日が、白い医療器具を冷たく、無機質に照らし出している。身体のあちこちに走る痛みが、昨夜の悪夢をありありと思い出させた。ジャングルからの逃亡劇、捕まった時の恐怖、そしてあのバスルームで起きたことの全てを。
ディミトリは薬品棚の前に立ち、真剣な表情で消毒液を準備していた。もし彼の本性を知らなければ、誰もが彼を献身的な医師だと思ったことだろう。
「座れ」
彼は診察台を指差し、静かな声で言った。
「触らないで!」
私は壁に背を押し付け、全身を強張らせた。腕の茨の切り傷からはまだ血が滲み、膝も酷く擦りむけている。だが、彼に触れられるくらいなら、傷が化膿した方がマシだった。
彼は持っていた医療器具を置くと、不機嫌そうに瞳を暗くした。
「傷が化膿するぞ」彼はゆっくりと私の方へ歩み寄ってくる。「この気候だ、すぐに膿み始める」
「心配してるフリなんてしないで!」
逃げ場がなくなるまで後ずさりしながら、怒りで声を震わせる。
「昨日の夜、私が苦しむのを見て楽しんでたくせに!」
彼の表情が凍りついたように冷徹になる。
彼が手を伸ばしてきた瞬間、私は本能的に身をかわし、医療用のハサミを掴んで彼に飛びかかった。
だが、ハサミが彼に届くことはなかった。彼は造作もなく私から武器を取り上げ、次の瞬間には、私は診察台へと押し倒されていた。彼の体が私にのしかかり、薄い服越しに焼けるような熱が伝わってくる。
「相変わらず衝動的だな」
彼は片手で私の肩を押さえつけたまま、無造作にハサミを投げ捨てた。
「協力させるには、少し動機が必要なようだ」
その言葉の意味を理解する前に、彼はスマートフォンを取り出した。
画面が点灯した瞬間、私の心臓が止まりそうになった。
それは、マイアミ聖心精神病院の監視カメラの映像だった。画面の中では、母が病室の窓辺に座り、虚ろな目で外を見つめている。以前は黒かった髪のほとんどが白髪になり、見る影もなく痩せ細っていた。
「やめて……」私は必死に抵抗し、スマホを奪い取ろうとしたが、彼の力には敵わなかった。
「顔色が良くないな」彼は私が母のやつれた姿をはっきりと見られるよう、スマホを高く掲げた。「医者の話では、病状が悪化しているらしい。もっと高価な薬が必要だそうだ」
「母さんはこの件と何の関係もないでしょ!」
私は半ば叫び声を上げ、涙が止めどなく頬を伝った。
「母さんは無実よ!」
「無実、だと?」
彼は冷ややかに笑い、親指で私の涙を拭った。その仕草は優しいが、目は残酷な光を宿している。
「サントス家の当主の妻が? 無実なわけがないだろう」
彼の指が私の頬から喉元へと這い、鎖骨で止まる。彼の指先の熱と、無視することのできない恐ろしい電流のような感覚が全身を駆け巡った。
「彼女の治療費は毎月1,500万円かかる」彼の声が耳元で響き、その温かい吐息に私の体は震え上がった。「このまま協力を拒み続けるなら……」
彼はそこでわざと言葉を切り、私の中で恐怖が膨れ上がるのを待った。
「治療は打ち切りだ」
「嫌!」彼を突き飛ばそうとしたが、その体は鋼のようにびくともしなかった。「そんなことしないで! お願い……」
私が泣き崩れるのを見て、彼の一瞬瞳に苦悶の色が浮かんだが、すぐに冷徹な眼差しに戻った。
「さあ、手当てをさせろ」彼は私を解放したが、脅迫めいた空気は消えていない。「二度と抵抗するな」
私にはもう、彼に傷の手当てをさせる以外の選択肢は残されていなかった。
消毒液が傷口に触れると、あまりの激痛に息が詰まった。私は唇を強く噛み締め、痛みの声を漏らすまいと耐えた。
「痛むか?」
そう尋ねる彼の手つきは、少しも優しくはならなかった。
私は答えず、ただ天井を見つめ続け、彼の顔を見ないようにした。
「子供の頃、怪我をした時もそうやって唇を噛んでいたな」彼の声が柔らかくなり、まるで昔を懐かしむような響きを帯びた。「俺の前では決して泣かなかった」
その言葉に、心臓が大きく跳ねた。なぜ今、そんな昔の話を持ち出すの?
「……そんなの、全部過去のことよ」
私は歯を食いしばりながら、そう吐き捨てた。
「そうか?」彼は手当ての手を止め、私の目を真っ直ぐに見つめた。「なら、どうして痛みの耐え方が変わらないんだ?」
彼の指が、包帯を巻いたばかりの私の腕の傷を軽くなぞる。羽毛のように軽いその感触に、私の全身が強張った。
「変わらない癖もあるということだ」指が腕を伝って上がってくる。「俺のお前への感情のようにな……」
彼は言葉を最後まで続けなかったが、私の意識は不意に十五年前へと引き戻された。
全てがまだ美しかった頃。両家が親密な友人で、裏切りも、憎しみも、血の負債もなかったあの頃へ。
十五年前、マイアミ、サントス家の屋敷。
私は八歳、彼は十歳だった。椰子の葉漏れ日が芝生に降り注ぐ晴れた午後、私は高熱を出してベッドに横たわり、意識が朦朧としていた。
そこにディミトリがやって来た。
「カタリーナ?」優しい声が聞こえ、目を開けると、彼がベッドの脇に座っているのが見えた。
「気分が悪いの……」私は弱々しく囁いた。
「わかってるよ」彼は冷たいタオルで優しく私の額を拭ってくれた。「熱がある時は、たくさん水を飲まないといけないって母さんが言ってた」
彼は午後ずっと私の看病をし、本を読んで聞かせたり、薬を飲むのを手伝ったり、私が眠っている間もずっとそばにいてくれた。
「ディミトリ、一緒にいてくれてありがとう」回復した後、私は真剣に彼にお礼を言った。
「君が元気ならそれでいいんだ」彼は純粋無垢な笑顔を見せた。その青い瞳は空のように澄み渡っていた。
それから十六歳になるまで、ディミトリは私の親友であり、最も頼れる守護者だった。だから両親からヴォルコフ家との政略結婚の話が出た時も、政略結婚自体には抵抗があったものの、相手が彼なら反対はしなかった。ずっと私を守り、理解してくれていたディミトリだったから。
「結婚しても、ずっと一番の親友でいてくれるわよね?」世間知らずだった私は、あの時彼にそう尋ねた。
「もちろんだよ」彼は微笑んだが、その笑みに混じった苦味に私は気付けなかった。「僕らは永遠に一緒だ」
時間があの瞬間のまま止まっていればよかったのに……。
「あの頃を覚えているか?」
現在のディミトリが私の回想を遮った。その声には複雑な感情が重くのしかかっていた。
私は涙で滲んだ視界で彼を見上げた。「あの優しい男の子はもう死んだわ」
「その通りだ」彼の表情は瞬時に氷のように冷たくなり、手が私の喉元へと伸びる。親指が危険なほど強く脈打つ場所を圧迫した。「あいつは、お前がガブリエル・ロマーノを選んだ夜に死んだんだ」
愛する人の名前を聞いた瞬間、胸が痛いほど締め付けられた。ガブリエル……私のガブリエルは今頃、心配で気が狂いそうになっているに違いない。私がこんな絶海の孤島で、この狂人と閉じ込められているとも知らずに、あらゆる手を尽くして私を探しているはずだ。
ディミトリは私の反応を即座に見逃さず、顔を曇らせた。
「まだあいつのことを考えているのか?」彼は唸るように言い、喉を掴む手に力を込めた。「俺の目の前で、他の男のことを考えるとはいい度胸だ」
喉が締め付けられて息も絶え絶えだったが、私はそれでも反抗的な目で彼を睨み返した。「彼を愛してる! これからもずっと、愛し続けるわ!」
その言葉がディミトリの逆鱗に触れた。彼は完全に自制心を失い、私を診察台から引きずり下ろすと、あざができるほどの力で抱きしめた。
「二度とその名を口にするな!」彼は私の耳たぶに噛みつき、掠れた声で叫んだ。「お前は俺のものだ! 俺だけのものなんだ!」
彼の燃えるような体が押し付けられ、そのあまりに強烈な独占欲に息ができなくなりそうだった。
「あなたのものになんて絶対にならない!」私はありったけの力で彼を突き飛ばそうとし、叫んだ。「たとえ私を一生ここに閉じ込めても、たとえ私を殺したとしても、私の心はガブリエルのものよ!」
ディミトリは、暗く深い何かを瞳に宿して私を見つめた。その眼差しに、恐怖で心臓が早鐘を打つ。
「そうか?」彼は冷たく微笑んだ。「カタリーナ、お前は本当に、俺がどこまでやれるかわかっているつもりなのか?」
彼は耳元に顔を寄せ、囁いた。
「なら、とことん試してやる」
そう言い捨てると、彼は踵を返して部屋を出て行った。医務室に一人残された私は、ただ涙を流すことしかできなかった。
