第2章
再びゴミを手に階下へ降りると、またしても、そこに越沼玲の姿があった。
深夜のゴミ捨て場で彼女と顔を合わせるのは、これで二度目。偶然にしては出来すぎている。俺の心に、ある種の疑念が芽生えた。
「こんばんは。こんな遅くに、どうも」
俺は努めて平静を装い、声をかけた。
彼女は俺の姿を認めると、びくりと肩を震わせた。その表情は硬く、声も微かに上ずっている。
「……ええ、夜のうちに家事を済ませてしまう癖がありまして」
返事は短く、曖昧だ。その瞳には、戸惑いと……それだけではない、何か得体の知れない感情が揺らめいていた。どうやら、今はあまり話したくないらしい。
俺は早々にゴミを捨て、その場を辞することにした。
だが、彼女の動きは、やけにゆっくりとしていた。ゴミを分別する一つ一つの所作が、まるでスローモーションのように引き延ばされている。
そして、俺は気づいてしまった。ゴミを捨てるふりをしながら、その視線は明らかに俺を捉えていることに。
居心地の悪い沈黙が、ひんやりとした夜気の中に満ちる。考えすぎか?
彼女の横をすり抜けようとした瞬間、前回の光景が脳裏にフラッシュバックし、俺は抗いがたい衝動に駆られて振り返ってしまった。
彼女が腰を屈めた、まさにその時。ゆったりとした部屋着の裾がめくれ上がり、薄闇の中に信じがたい光景が広がっていた。
薄い布一枚の下は、完全に無防備だった。滑らかな太腿のライン、そして豊満な尻の丸みが、ほとんど露わになっている。なるほど、だからあれほど動きが緩慢だったのか。まるで俺が、この光景を目撃するのを待っていたかのように。
ごくり、と喉が鳴る。
俺はすぐさま視線を逸らし、心臓が警鐘のように鳴り響くのを感じた。見ていない、何も見ていない、と自分に言い聞かせる。
「北瀬さん、何かお忘れ物でも?」
背後から、囁くような声が投げかけられた。その声色には、俺を試すような響きがあった。
「い、いや、何でもない」
平静を装うのに、これほど苦労したことはない。
マンションへと続く短い帰り道で、俺の思考は渦を巻いていた。普段の彼女は、貞淑で、礼儀正しく、洗練された物腰の、完璧な人妻そのものだ。
だが、今夜のあれは……。意図的なのか。それとも、ただ下着を着けるのが億劫だっただけの、無防備な油断なのか。
俺はわざと歩みを緩め、彼女に先に行かせようとした。この気まずい状況から一刻も早く逃れたかったからだ。しかし、彼女もまた歩調を合わせるように速度を落とし、常に俺の数歩後ろという絶妙な距離を保ち続ける。
たまらずペースを上げると、背後からついてくる足音もまた速まる。結局、俺たちはほとんど同時にエレベーターの前に到着し、狭い箱の中に二人きりで乗り込むことになった。
密室に、彼女の身体から漂うジャスミンの甘い香りが充満する。俺は必死に階数表示のデジタル数字を睨みつけながらも、鏡面のステンレスに映る彼女の姿を盗み見てしまう。
彼女は腕を胸の前で組み、表情こそ平静を装っているが、その瞳は潤み、時折ちらりと俺へと流し目を送ってくる。
息が詰まるような緊張感に、背中をじっとりと汗が伝った。
目的の階に到着し、エレベーターを降りると、俺たちは無言のままそれぞれの部屋へと向かう。俺が鍵を取り出してドアを開けようとした、その時だった。
「おやすみなさい、北瀬さん」
静かな声が、背中に投げかけられた。
「あなたの新しいお写真、楽しみにしていますわ」
振り返ると、彼女は意味ありげな微笑を唇に浮かべ、音もなく自室へと吸い込まれていった。
俺は自分の部屋のドアの前に立ち尽くし、ただ呆然と彼女が消えた扉を見つめる。
部屋に入り、ドアに背を預けて大きく息を吐く。今夜の遭遇は、俺の心をかき乱すには十分すぎた。そして、言いようのない期待感が、胸の奥で熱く燻り始めていた。
まさか、なにかが、始まるというのか――?








