第5章 彼をナナと呼ぶ
北村萌花の保証を聞いても、佐藤健志の心はあまり晴れなかった。
自宅にいるかかりつけの医師ならまだしも、これほど若い女性の医術がどれほど優れているというのか、信じがたい。
佐藤健志の様子を見て、北村萌花は眉を上げた。「信じられないの?いいわ、さっさと家族に連絡して病院に連れて行ってもらいなさい。後で私にたかられるよりマシでしょ」
佐藤健志は唇をきつく結んだ。
今、迎えに来てもらうのは、まだその時ではない。
「俺の腕と足は、いつ治るんだ?」
「さあ、どうかしら」
佐藤健志は怒りを露わにした。「治せるって言ったじゃないか。どうしてはっきりしないんだ?!」
北村萌花は脈を診ていた手を引いた。「その態度、気をつけなさいよ。私の善意はいつでもどこでもあるわけじゃないの。電話をよこしなさい。あなたの家に電話して、迎えに来てもらうから」
こいつが扱いにくいとは分かっていたが、案の定、わがままな王様だ。さっさと追い出してしまおう!
佐藤健志はばつが悪そうに言った。「知らない」
北村萌花は眉を吊り上げ、腕を組んで彼をじっと見つめた。
由佳が再びドアを開けて入ってきて、嬉しそうに言った。「マミー!サン、シー、ウーを連れて帰ってきたの?!」
北村萌花は答えず、続けて尋ねた。「あなたの名前は?どこの人?ニュースで佐藤グループの社長、佐藤健志が交通事故で消息不明って言ってたけど、あなたじゃないの?」
佐藤健志は平然と言った。「違う」
「本当に違うの?」
「マミー、イケメンのおじさんは記憶喪失なんだよ」
由佳が口を挟んだ。
「記憶喪失?」北村萌花は佐藤健志の顔を見つめる。「記憶喪失ごっこ?」
佐藤健志は片手を動かそうとして、ふと自分の体が何も纏っていないことに気づき、眉をひそめた。「俺の服は?」
「あなたの服はボロボロだったから。これを着なさい」北村萌花は二つの袋を投げ渡した。
佐藤健志はさらに深く眉を寄せた。「お前が脱がせたのか?」
「他に誰がいるって言うの?」北村萌花は部屋着を取り出し、彼に着せようとした。
佐藤健志は少し居心地が悪そうだったが、どうすることもできない。
この女は気性も荒ければ、動きも荒い。
……
北村菜々美は急いで家に帰り佐藤和也を待っていた。こちらでは息子をあやし、あちらでは数人の清掃員が掃除をしている。
清掃員の中村さんが憤然として言った。「聞いてくださいよ。今日行ったお宅、私を騙したんですよ。子供三人が留守番してるだけで、ドアを開けてくれないし、あんなに待たせて」
「それは本当に迷惑ね。人を頼んだからには、家に誰かいないと。そこの家、なんて苗字なの?私たちも気をつけられるように」
中村さんは少し考えて言った。「確か、北村さんだったかしら」
こちらで、北村菜々美はそれを聞きつけ、すぐに尋ねた。「何ですって?」
清掃員たちはお互いに顔を見合わせた。
しまった、忘れていた。この家も北村だった。
……
二日かけて、北村萌花はようやく家を片付け、それらしい形にした。その上、足の折れた男の世話もあって、彼女には自分の時間など全くなかった。
「ナナ、薬を飲んで」
北村萌花は薬の入ったお椀をテーブルに置いた。目が覚めた以上、もう彼女に飲ませてもらおうなどとは思わないでほしい。
佐藤健志は眉をひそめながら薬を飲み干し、さらに水をがぶ飲みしてから尋ねた。「なぜ俺をナナと呼ぶんだ?」
北村萌花は佐藤健志の口に飴玉を一つ押し込んだ。「名前も教えない、住所も言わない。私があなたを何て呼ぼうと勝手でしょ?」
佐藤健志は目を見開き、なすすべもなく北村萌花が出ていくのを見送った。
この女、本当に顔つきが変わるのが早い。
しばらくして、北村萌花は食事を運んできてテーブルに置き、また出て行った。
佐藤健志はテーブルの上のお粥と得体の知れないおかずを見て、眉間のしわをさらに深くした。
……
この日、北村萌花は電動車椅子を買ってきて、佐藤健志をそれに座らせた。日差しが心地よかったので、彼を押して日向ぼっこをさせることにした。
二日前、漬物を食べてアレルギーを起こし、佐藤健志の体には赤い発疹が出ていたが、ようやく良くなってきたところだ。
北村萌花は奇妙に思っていた。元々、光咲が漬物でアレルギーを起こすのだが、まさか佐藤健志も同じだとは。
そのため、北村萌花はこっそり佐藤健志の血を採ってDNA鑑定をしてみた。結果は、佐藤健志が子供たちの実の父親ではない、というものだった。
これで、彼女も安心した。
「北村萌花!このビッチ!間男ができたからって離婚しようとしないなんて!」
北村菜々美の声が聞こえ、北村萌花は眉をひそめた。
もう見つけに来たのか?
佐藤健志は顔を上げた。「誰だ?」
「誰でもないわ。中に入る?それともここにいる?」北村萌花はにっこり笑った。
「ここにいる」
せっかく外に出られたのだ。佐藤健志はこんなに早く戻りたくなかった。
草花が彼の上半身を隠し、外の人々からは彼の姿が見えない。
三つ子たちは物音を聞きつけて、駆け出してきた。「マミー、誰か来たの?」
「セールスよ。あなたたちは中に入って、出てこないで」
北村萌花は彼らを制し、それから庭を出て門の前まで歩いて行った。
そこにいたのは怒りの形相の北村菜々美と、その後ろに立つ佐藤和也だった。
彼らは北村萌花がここに住んでいることを突き止めたが、佐藤和也が急な出張だったため、もっと早く来ることができなかったのだ。
佐藤和也は男の姿がちらりと見えただけだったが、北村萌花がこれほど美しくなっているのを見て、途端に面白くない気持ちになった。
「北村萌花、あの男は誰だ?」
「あなたには関係ないわ」
北村菜々美は嘲るように言った。「北村萌花、このクズ!あんたに野郎ができたんなら、さっさと離婚して私たちを一緒にしてくれればいいじゃない!」
北村萌花は冷たい声で言った。「私が離婚しない限り、あんた、北村菜々美は永遠に愛人よ。日の目を見ることのない存在よ!」
「北村萌花!」北村菜々美は門を叩いた。「恥知らずのクズ!あんたが昔、身持ちが悪くて誰かとデキて、私生児を産んだくせに、今になって和也さんにたかろうっていうの?!」
北村萌花の眼差しが氷のように冷たくなった。「誰が私生児ですって?」
北村菜々美は一瞬、北村萌花の視線に射抜かれて体が痺れたが、意地を張って言った。「あんたのところの三人の私生児のことよ!」
北村萌花は危険な光を宿して目を細め、門を開けた。
北村菜々美は顎を上げ、中に入ろうとした。
しかし北村萌花は指を口元に当てて口笛を吹いた。するとすぐさま、三匹の犬が残像を描くほどの速さで突進してきた。
北村菜々美は飛び上がらんばかりに驚いた。「きゃあああ、犬!」
佐藤和也も顔色を変えた。そのうちの一匹が彼のズボンの裾に噛みつき、彼は痛みに耐えながら足を振り回し、逃げ出した。
「三ちゃん!噛め!悪い奴らを噛むのよ!」由佳が手を叩いて喝采を送った。
「四ちゃん、追え!五ちゃん、もっと速く!」由紀も声援を送る。
その名前を聞いて、佐藤健志の眉がぴくぴくと痙攣した。
三ちゃん、四ちゃん、五ちゃん、ナナ?
なるほど、俺の名前はそこから来ていたのか。
あちらで犬に噛まれてほうほうの体で逃げているのは佐藤和也だ。最近、本家に籍を入れたばかりで、数えれば、俺を従兄と呼ばなければならない男だ。
かつて、佐藤和也が結婚した時、彼も祝い酒を一杯飲みに行ったことがある。
遅れて行ったため、花嫁には会えなかったが、噂では二ヶ月後には花嫁が逃げ出し、その後、佐藤和也は義理の妹とくっついて、息子までもうけたという。
佐藤健志の顔つきがさらに険しくなる。まさか、北村萌花が佐藤和也の逃げた花嫁だなどとは言わせないぞ。
佐藤和也はどうにか車に乗り込み、門のところにいる三人の子供たちを見て、はっとした。あの子の顔立ちは自分とよく似ている。
「北村萌花、あの子は……」佐藤和也が大声で尋ねた。
北村萌花はフンと鼻を鳴らした。「安心して。あんたのその卑しい遺伝子じゃ、あんなに可愛くて優秀な子は生まれないわ。さっさと失せなさい、あんたたち!」
「どいてよ、このクソ犬!」北村菜々美は恐怖でわめき散らした。「北村萌花、この売女!早くこの犬をどけなさいよ!」
佐藤和也は車のドアを開けた。「菜々美、早く乗れ!」
「北村萌花、覚えてなさい!絶対に許さないから!あああ!噛み殺される!和也さん、助けて!」北村菜々美は罵りながら車に駆け込んだ。
