第1章

早矢香の視点

 親友のさくらに嵌められ、私は妊娠六ヶ月で子供を失った。夫の正仁は彼女の名誉を守るために、私が見つけた証拠をすべて揉み消した。そればかりか、私を黙らせるために、病床の母の命さえも盾にして脅してきたのだ。

……

「早矢香から渡された監視カメラの映像は処分した。これでさくらは安全だ」

 正仁の書斎の外、冷たい壁に背中を預けながら、中から漏れ聞こえる夫の声に私は凍りつくような寒気を覚えた。

 私はただ、彼に問いただしたかっただけなのだ。あの証拠をどう扱うつもりなのか、私と死んだ子供のためにどうやって正義を貫いてくれるのかを。

 まさか、こんな結末が待っていようとは夢にも思わなかった。

「ボス、森久保夫人に対してあまりに残酷ではありませんか?」

 副官の声には、明らかな躊躇が滲んでいた。

「子供ならまた作ればいい」正仁は軽くため息をついた。

「彼女には埋め合わせをするつもりだ」

 私の手は無意識のうちに腹部へと伸びた。そこにある空虚さは、永遠に癒えることのない傷跡のように疼く。三日前、私は二階から転落し、永遠に我が子を失ったのだ。

「もし、奥様が真実を公表すると言い張ったら?」

 部屋の中が静まり返った。正仁はすぐには答えなかった。

 やがて彼が口を開いたとき、その言葉は私を戦慄させた。

「あいつはそんなことはしない。母親の薬が必要だからな。母親への供給を断たれたくなければ、馬鹿な真似はしないはずだ」

 激しい目眩に襲われ、私は壁にぶつかりそうになった。

 彼は私を支配する方法を熟知している。死にかけた私の母を人質に取り、あろうことか我が子を殺した殺人者を守ろうとしているのだ。

 昨日、あの映像を見つけたとき、私は怒りに震えた。私を傷つけたのが、大学時代からの親友だったなんて。私のブライズメイドを務め、母以外で最も信頼していた人間だったなんて。

 しかし、画面の中の坂田さくらは、私が手すりのそばに立っていたあの日、背後から忍び寄っていた。

 彼女は私の背中に手を置き、そして強く突き飛ばしたのだ。私が落ちていく瞬間、彼女の顔には笑みが浮かんでいた。

 あれは事故などではない。

 映像を正仁に見せたとき、私は悲しみと怒りで崩れ落ちそうだった。彼は私を抱きしめ、額にキスをし、正義を行うと約束してくれた。

「君にしたことの報いを受けさせる。俺たちの子供にしたことの代償を払わせる」と、そう言ったのだ。

 あの時、私は彼を信じていた。

 なんて愚かだったのだろう。

 私はふらつく足取りで部屋に戻り、ベッドに腰を下ろしたまま、虚ろな目で虚空を見つめた。正仁がさくらを守ると決めた以上、私にはどうすることもできない。マフィアの組織に、私一人の力で対抗できるはずがないのだ。

 泣きたくても、涙は出なかった。子供が死んだと告げられたあの瞬間、病室のベッドですべての涙は枯れ果ててしまったから。

 夫は妻や子供よりも愛人を大切にしている。以前なら想像もしなかったことだが、今は確信を持って言える。そうでなければ、なぜ証拠を消す? なぜ彼女を庇う?

 突然、携帯電話が鳴った。画面には見知らぬ番号が表示されている。

 しばらく見つめた後、私は応答した。

「もしもし?」

『早矢香』

 受話器の向こうから聞こえた声に、私は息を呑んだ。聞き覚えのある声。平部圭一郎。平部ファミリーの当主。かつて家族の圧力により、誘拐事件の最中に私を見捨てた男。私の元恋人。

 喉が張り詰め、言葉が出てこない。

『聞いたよ』

 彼は静かに言った。

『子供のことだ。君には……助けが必要なんじゃないかと思って』

 熱いものが目に込み上げ、私は声を詰まらせた。

「ええ、助けてほしい」

『何が必要か言ってくれ』

「ここから逃げたいの。私と母さん、二人ともここから連れ出して」

 電話の向こうで短い沈黙があり、やがて彼は言った。

『五日後、森久保家で恒例の晩餐会が開かれる。その時に二人を迎えに行く』

「ありがとう」

『早矢香、俺は――』

 彼が何かを言いかける前に、私は電話を切った。

 彼を信じているわけではない。信じる気力さえない。だが、今の私には彼が必要だった。

 暗くなっていく画面を見つめながら、私は思考を巡らせる。そして、眠りにつこうと身を翻した。

 振り返った瞬間、バルコニーの入り口に正仁が立っているのが見えた。読めない表情で、私を見透かすようにじっと見つめている。

 心臓が早鐘を打った。

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