第5章 彼は彼女に薬を塗る、とても優しい
「大丈夫、ただガラスの破片でちょっと切っただけ」桜井美也は手を引こうとしたが、池下誠は彼女の手をしっかりと握りしめていて、引き戻すことができなかった。
池下誠は灯りをつけ、彼女の手を引いてじっくりと見つめた。彼の顔色は次第に暗くなっていった。
「どうしてこんなにひどく傷ついたんだ?」
「こんなに血が出てるのに、どうして手当てしなかったんだ?」
「桜井美也、大人なんだから、怪我をしたら手当てが必要だってことくらいわかるだろう?」
池下誠の声は次第に大きくなり、鋭い眉が寄せられ、その顔には心配の色が浮かんでいた。桜井美也は少しぼんやりとした。
彼も、彼女のことを心配してくれるんだ。
でも、彼の心配を受け入れる勇気はなかった。
彼が施してくれる心配は、やっとのことで落ち着いた彼女の心を再び波立たせるだけだ。
「ちょっとした傷だから、池下社長は気にしないでください」桜井美也は感情を抑え、彼の前で取り乱さないように努めた。
「これをちょっとした傷だと言うのか?」池下誠は呆れたように彼女を一瞥し、すぐに使用人に救急箱を持ってくるように指示した。
彼は自ら彼女の傷を手当てし、消毒して包帯を巻いた。
その動作はとても優しくて、桜井美也は彼が少しは彼女のことを気にかけているのではないかと思った。
桜井美也の鼻先がツンとし、一滴の涙が池下誠の手に落ちた。
池下誠は驚いて動きを止め、彼女を見つめた。
「どうした?」
桜井美也は鼻をすすり、平静を装った。
「何でもない、ただ消毒がちょっと痛かっただけ」
「じゃあ、優しくするよ」池下誠の動作はさらに穏やかになった。
桜井美也は彼の近くにある美しい顔を見つめ、その香りを感じると、突然衝動が湧き上がった。
彼の胸に飛び込み、これまでの感情を打ち明けたい。
彼に、実は彼の妻として一緒にいたいと伝えたい。
彼と永遠に離れたくないと。
でも、桜井美也にはその勇気がなかった。
池下誠は桜井美也の傷を手当てし終え、使用人に医薬箱を片付けるように指示した。
彼は彼女の目がまだ赤く、顔色が青白いのを見て、心配そうに尋ねた。「どこか具合が悪いのか?病院に行くか?」
「いいえ、ただちょっとお腹が空いただけ」桜井美也は首を振った。
「夕食を食べてないのか?」池下誠は眉をひそめた。
桜井美也は答えず、黙認した。
彼は少し責めるような目で彼女を見つめ、彼女を引っ張って階下に降り、使用人に夕食を用意するように指示した。
使用人はすぐにパスタを持ってきた。桜井美也は数口食べ、池下誠の温かい視線が彼女に注がれているのを感じ、涙がまた溢れ出した。
彼はなぜ、彼女がこの結婚を諦めようと決心したときに、また少しの希望を与えるのだろう?
それは彼女にとって、あまりにも残酷だった。
「美也」池下誠は彼女の涙を拭い、「一体どうしたんだ?」
「これはブラックペッパーパスタで、胡椒が多すぎて目が痛いだけ」桜井美也は適当に嘘をついた。
池下誠はそんな拙劣な嘘を信じるはずがなかった。
彼は思った。おそらく道村彩音のせいだろう。
彼はそれ以上何も言わず、桜井美也も黙っていた。雰囲気は突然、奇妙なものになった。
パスタを食べ終えた後、池下誠は桜井美也を部屋に送った。
桜井美也は洗面所で洗顔を済ませ、寝室に戻ると、池下誠がパジャマに着替えてベッドに横たわっているのを見て驚いた。
彼女は一瞬、どうすればいいのか分からなかった。
「休もう」池下誠が先に声をかけた。
桜井美也は試しにベッドに近づき、座ったが、突然彼に引き寄せられ、抱きしめられた。
彼の熱い抱擁に驚き、桜井美也は手足の置き場が分からなくなった。
以前の池下誠はこんな風に彼女に接することはなかった。
今日は少し様子が違う。
道村彩音が戻ってきたのだから、彼は彼女と距離を置くべきなのに!
池下誠は彼女をしっかりと抱きしめ、その香りが彼女を包み込み、桜井美也の心拍はますます乱れた。
二人の心拍と呼吸が交じり合い、次第に雰囲気は艶めかしくなっていった。
桜井美也は彼の体の変化を感じた。
彼女も無意識に、あの忘れられない夜を思い出した。
その夜、池下誠は彼女を抱きしめ、何度も彼女を天国へと送り届けた。
桜井美也はその満たされた快感を思い出し、体が軽く震えた。
二人の呼吸が荒くなったとき、池下誠の携帯が鳴った。
道村彩音からの電話だった。
艶めかしい雰囲気は一瞬で途切れ、彼は電話を取りに立ち上がった。
電話を終えると、池下誠は桜井美也に言った。「仕事の用事があるから、先に休んで」
池下誠はそう言い、服を着替えて、振り返ることなく部屋を出て行った。
桜井美也は彼が去るのを見つめ、突然笑った。
笑いながら、涙がまた目に溢れた。
桜井美也、夢はもう覚めるべきだ。
道村彩音の一本の電話が、桜井美也の最後の幻想を打ち砕いた。
桜井美也は一晩中眠れなかった。
翌日、いつも通りベッドを出て仕事に向かった。
会社に着くと、同僚の伊藤美咲が焦った様子で言った。「桜井さん、社長は今日いません。でも建設現場の巡回が…」
「私が一緒に行くよ」桜井美也は即答した。
彼女は思った。池下誠は今日は来ないだろう。
昨夜、彼は道村彩音と一緒にいたのだから。
建設現場に着くと、炎天下で現場の気温は異常に高かった。
桜井美也が巡回を始めようとしたとき、一群の作業員が集まって騒いでいるのを見た。
誰かが棒を振り回していて、状況は緊迫していた。
「どうしたの?」桜井美也は小走りで近づき、状況を尋ねようとしたが、屈強な男の作業員がいきなり木の棒を振り上げて彼女に向かってきた!
「くそっ、やってやる!」
「桜井さん!」誰かが叫んだ。























































