第2章
佐藤真奈の視線には、私への嘲りが満ちていた。
一瞬、三百万円なんてどうでもよくなってしまった。
私はパーティー会場の隅で、硬直した死体のように、一言も発さず立ち尽くす。
神崎増山の視線が私と佐藤真奈の間をさまよい、口元に冷笑が浮かんだ。
パーティー会場の照明はきらびやかで、ただただ眩しいとしか感じられない。
「こっちに来い」
神崎増山の声は低く、抗うことを許さない響きを帯びていた。
私は動かず、どこか上の空で応える。
私が上の空だと気づいた神崎増山は、そばに立つ佐藤真奈のことすら構わず、その視線を私に釘付けにした。
再び弾幕がそのことに触れるまで。
神崎増山はそこでようやく我に返り、私を乱暴に、そして意図的に腕の中へと引き寄せた。
そして、思い通りに佐藤真奈の表情がみるみる険しくなり、目が赤くなるのを目にした。
心底くだらない。
これ以上彼と関わりたくなくて、私は力を込めてその体を突き放す。そしてポケットから、銀色に光る鍵を取り出した。
「今日来たのは、あなたが私のところに忘れていった鍵を返しに来ただけ」
私は鍵を彼の目の前に差し出し、自分でも驚くほど落ち着いた声で言った。
周りからクスクスと笑い声が聞こえ、誰かがひそひそと囁き始める。
怒りが胸の中で燃え上がった。この三年間受けた屈辱、悲しみ、そして彼を喜ばせるために捻じ曲げてきた自分自身、そのすべてが一つの言葉になった。
「いい元カレっていうのは、死んだも同然なの。これからは、用もないのに私の前に現れないで」
弾幕システムが瞬時に爆発した。
【フラグ崩壊! フラグ崩壊!】
【シナリオが制御不能! 悪役令嬢がなんでヒーローを拒絶してるんだ?】
私は背を向けて会場を後にする。あらゆる視線が背中に突き刺さるのを感じた。
重い扉を押し開けると、冷たい風が真正面から吹き付けてくる。まるで水底から浮上したかのように、私は貪欲に新鮮な空気を吸い込んだ。
大学キャンパスの中庭は桜が満開で、私は一本の桜の木に寄りかかってずるずると座り込み、涙が堰を切るに任せた。
【なんか悪役がちょっと可哀想……】
【あの子、本当にそんなにお金が好きなのかな? なんか違う気がする】
【シナリオが本来の悪役ストーリーから逸脱し始めてる】
【この展開……面白いかも?】
私はうずくまり、もう体裁も気にせず声を上げて泣いた。
「泣き声がでかい。キャンパス中に聞こえてるぞ」頭上から声がした。
顔を上げると、神崎圭也がそこに立っていた。片手で耳を塞ぎ、もう片方の手でティッシュのパックを差し出している。
神崎圭也。神崎増山の弟だ。
私はティッシュを受け取って涙を拭ったが、嗚咽は止まらない。
「姉さんは兄貴のこと、金のために付き合ってるんだと思ってた。まさか本気で好きだったなんてな」
神崎圭也はしゃがみ込み、私と視線を合わせる。
「でも、それって価値のあることか?」
私は呆然とし、どう答えるべきか分からなかった。
「由紀菜、俺と付き合ってくれ。兄貴より絶対大事にするから」
神崎圭也が不意に言った。
私は驚いて彼を見つめ、ためらいがちに尋ねる。
「月二十万円もくれるの?」
神崎圭也は微塵も迷わず答えた。
「ああ」
「わかった。じゃあ、付き合いましょう」
私はきっぱりと返事をした。
【はっ! やっぱり金目当てじゃん!】
【もう無理、こういう拝金女は死んでくれないかな】
【愛より金が大事シリーズ】
その時、校舎の建物の影から足音が聞こえた。
神崎増山が闇の中から姿を現す。その表情は恐ろしいほどに険しかった。
【面白くなってきた! ヒーローがそこで十分間盗み聞きしてたぞ!】
【悪役令嬢は絶対に弟を拒絶するって、他の奴と賭けてたらしい!】
【賭けに負けてやんの、ざまあ!】
彼の視線はまず私の腫れた目元に落ち、それから私と神崎圭也が固く握り合った手に移り、顎のラインがこわばった。
彼が口を開くより先に、神崎圭也がにやにやと挑発する。
「兄貴、俺に彼女ができたから祝いに来てくれたのか?」
「彼女?」
神崎増山は呆れて笑い、その声には明らかな不信感が含まれていた。
神崎圭也はわざと私の肩を抱き寄せ、額にキスをする素振りを見せる。
「当たり前だろ。たった今、付き合うことになったんだ」
空気が一瞬で凍りつき、兄弟二人の視線が空中で激しくぶつかり合う。
「増山くん?」
甘ったるい声が、その一触即発の雰囲気を破った。
佐藤真奈が小走りで会場の方からやってきて、神崎増山の腕に絡みつき、甘えた声で言う。
「どうしてこんなに長いの? あなたがいないと、会場で一人じゃつまらないわ」
神崎増山は私から視線を外し、佐藤真奈の髪を撫でる。その口調は、私が知らないほど優しくなっていた。
「ごめん、待たせたな」
その優しさは、私が三年間、一度ももらったことのないものだった。
心臓を何かに強く打ち付けられたような衝撃で、息をするのも苦しい。
神崎圭也が私の耳元に顔を寄せ、唇の動きだけで無声で言った。
『あいつら、とっくにデキてたんだよ。あんたが彼女だって知ってて浮気相手になるような女が、いい人間なわけないだろ?』
そのあまりに率直な言葉に思わず笑いそうになったが、遠くで親密そうにしている神崎増山と佐藤真奈の姿を見ると、笑えなかった。
【真のヒロイン登場!】
【ああ、これこそが運命の二人!】
連れ立って去っていく神崎増山と佐藤真奈の後ろ姿を見つめながら、私は奇妙な解放感を覚えた。
まるで三年間背負ってきた重荷を、ようやく下ろせたかのようだ。
もしかしたら、この決められた脚本から抜け出すことこそが、私の本当の自由の始まりなのかもしれない。
私の考えを察したかのように、神崎圭也が私の手を引いて歩き出そうとする。
「行こうぜ。ここはあの二人の痴話喧嘩の場所にでもしてやればいい」
