第3章 ビデオの脅威

瀬戸遼太郎はデスクの前で、亡霊のようにスマートフォンの画面を更新し続けていた。

あのホテルでの一夜から、三日が経つ。雪花に送った四十八件のメッセージは、すべてが灰色の『未読』のまま、彼の焦燥感を煽っていた。

「なんで……なんで返事をくれないんだ」

瀬戸は誰に言うでもなく呟く。あの夜は、彼女にとって取るに足らない戯れだったというのか。

再び雪花の配信チャンネルを開くが、画面には『配信者は現在オフラインです』という無機質な文字列が浮かんでいるだけだ。

「瀬戸くん、ここ数日、顔色が土気色だけど……」

隣のデスクから、同僚の田中が心配そうに声をかけてきた。

「体調でも悪いの?」

瀬戸はびくりと肩を揺らし、慌ててスマホをポケットに押し込む。引き攣った笑みを無理やり浮かべた。

「いえ……ちょっと、寝不足なだけです」

「無理すんなよ。プロジェクトも一段落したんだし、有給取って休んだらどうだ?」

田中は本気で気遣わしげに言う。

「本当に、目の下のクマ、やばいぞ」

「大丈夫です、本当に」

上の空で答えながらも、瀬戸の意識はポケットの中のスマートフォンへと引き寄せられていた。

田中は小さく溜息をつくと、自分のデスクに戻っていった。

なぜ急に姿を消した? なぜすべての連絡手段を断ったんだ?

脳裏に浮かんだ最悪の可能性が、じわじわと現実味を帯びてくる。

『まさか、美人局だったのか?』

深夜、瀬戸は疲れ切った体を引きずってアパートのドアを開けた。暗闇の中、彼はふと、あの『内緒のシェア』グループの存在を思い出した。他のメンバーなら、雪花の消息を知っているかもしれない。

震える指でグループチャットを開くと、オンラインを示す十三個のアイコンが不気味に点滅していた。

チャットを開いた途端、阿鼻叫喚のやり取りが目に飛び込んでくる。

【金龍】:「雪花! 一体どこ行ったんだよ! 五十万も貢いだんだぞ! 会ってくれるって約束だっただろ、おい!」

瀬戸の心臓が、どくんと大きく脈打った。五十万?

【成功者】:「俺なんか八十万だ! 約束の『プライベートサービス』とやらがまだなんだが!」

【夜猫】:「兄弟たち、俺たち、ハメられたんじゃねえか……あいつもう三日もログインしてねえぞ」

瀬戸は画面を凝視したまま凍りつき、指先が急速に冷えていくのを感じた。

僕だけじゃなかったのか……。一体、どういう魂胆なんだ?

おそるおそる、キーボードを叩いた。

【深夜】:「皆さん……雪花さんと、連絡取れないんですか?」

その一言で、チャットは蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

【金龍】:「あんたもか! いくらやられたんだ!」

【成功者】:「だから言ったんだ、この女は何かあるって! 今じゃ完全に高飛びだ!」

【夜猫】:「マジかよ……俺たちプロの詐欺師にカモられたってことか?」

読めば読むほど、血の気が引いていく。自分の二十万など氷山の一角にすぎない。このグループの被害額を合わせれば、数百万は下らないだろう。

さらに恐ろしいことに、自分は金を騙し取られただけでなく、一線を越えてしまった……。

瀬戸が絶望に打ちひしがれ、画面を閉じようとしたその時、手の中のスマホが一度、ぶるりと震えた。

午前二時四十七分。見知らぬ番号からのメッセージだった。

【雪花】:「遼太郎さん、このささやかなプレゼント、気に入ってくれた?♡」

瀬戸は全身の毛が逆立つ感覚に襲われ、心臓が肋骨を突き破らんばかりに鳴り響いた。

続いて、五ギガバイトもの巨大なファイルが、有無を言わさずダウンロードされ始める。

「プレゼント……だと?」

瀬戸は息を殺して、青いプログレスバーが伸びていくのを凝視した。

やっと、現れたな……!

ダウンロードが完了した瞬間、瀬戸の全身の血が、凍りついた。

それは高画質の動画ファイルだった。サムネイルには、まさしくあの夜の、八〇八号室が映っていた。

彼は、何かに導かれるように、震える指で再生ボタンをタップした。

――これは、いつ撮られたんだ!

動画の中では、あの夜のすべてが完璧に記録されていた。あらゆる角度、あらゆるディテール、あらゆる表情、あらゆる声が!

瀬戸は恐怖に震えた。自分が快感の頂点で、無意識に「先生」と口走った、あの瞬間まではっきりと捉えられている。

「部屋に……カメラを仕掛けたのか!」

瀬戸は怒りに任せて文字を打ち込む。

「これは犯罪だぞ!」

【雪花】:「サプライズでしょ? あなたの表情、とっても可愛かったよ〜♡」

【雪花】:「特に『先生』って呼んだ瞬間、最高にゾクゾクした♡」

瀬戸の顔が、羞恥と怒りで真っ赤に染まった。

「消せ! 今すぐその動画を消せ!」彼は獣のようにキーボードを叩いた。

【雪花】:「どうして消すの? 私たちの素敵な思い出の証じゃない〜」

瀬戸の中で、何かがぷつりと切れた。六年間抑圧してきた想いと、この三日間の苦悩が、天を衝くほどの怒りへと変わる。

「この詐欺師が!」

彼は立ち上がり、狭いリビングを行ったり来たりしながら、怒りのままに文字を打ち込んだ。

「これが美人局の正体か! 一体いくら欲しいんだ!」

【雪花】:「お金? あなたのお給料なんかに興味ないわよ〜♡」

金が目的じゃない? では、一体何を企んでいる?

「警察に通報してやる!」瀬戸は脅した。「他人のプライバシーを盗撮するのは犯罪だ!」

【雪花】:「通報? じゃあ、どうしてラブホテルにいたのか、警察にどう説明するのかしら?♡」

瀬戸の怒りは頂点に達した。

「学校に行ってやる! 椎名先生に直接会って、お前が先生本人だってことを確かめてやる!」

このメッセージを送った後、瀬戸は相手が狼狽するのを待った。

しかし……。

【雪花】:「ははははははは!」

大笑いするスタンプが、画面を埋め尽くした。

【雪花】:「じゃあ、行けばいいじゃない。面白い見世物になりそうだし、待ってるわ♡」

その反応は、瀬戸の予想を完全に裏切っていた。

なぜだ……なぜ彼女は、少しも恐れない?

彼はスマホから動画ファイルを削除しようとしたが、ファイルは暗号化され、びくともしない。

「クソッ!」

瀬戸は怒りのあまり、アパートの薄い壁を殴りつけた。

一体、どうなってるんだ。

瀬戸が途方に暮れていると、雪花から追撃のメッセージが届いた。

【雪花】:「遼太郎さん、私たち、もう一度ちゃんと話し合う必要があると思うの♡」

【雪花】:「私がお金なんて欲しくないの。欲しいのは……あなた、自身よ」

瀬戸はその一行を凝視し、背筋に氷を押し当てられたような悪寒が走った。

「どういう意味だ」

彼は、震えを抑えきれない指で打ち込んだ。

【雪花】:「私の奴隷になりなさい、遼太郎♡」

奴隷?

その二文字が、落雷のように瀬戸の脳天を直撃した。

「気でも狂ったのか!」

瀬戸は恐怖に駆られて返信する。

「奴隷ってどういう意味だ! 一体何がしたい!」

【雪花】:「簡単よ〜。これからは、私の言うことを何でも聞くの」

【雪花】:「私が『これをしなさい』って言ったら、あなたはそれを実行するだけ」

【雪花】:「おとなしく言うことを聞けば、この動画は二人だけの秘密。でも、もし逆らったら……とっても面白い形で、世の中に拡散されることになるわよ〜♡」

瀬戸の手から、力が抜けていく。

これは単なる美人局ではない。もっと陰湿で、おぞましい精神支配だ。彼女が欲しているのは金ではなく、彼の人生そのものを意のままにすることなのだ。

「この狂人が!」

瀬戸は怒りに震えながら打ち込む。

「絶対に、お前の思い通りになんかなるか!」

【雪花】:「あら、そうなの? じゃあ、あなたの決意がどれだけ固いか、見てみましょうか」

続いて、雪花は一枚のスクリーンショットを送ってきた。

それは、瀬戸が勤めるソフトウェア会社の公式サイト。会社概要に掲載された彼の顔写真が、赤い丸で無慈悲に囲まれていた。

【雪花】:「瀬戸遼太郎、二十四歳、プログラマー、株式会社××ソフトウェアに勤務」

【雪花】:「あなたの会社の同僚たちがこの動画を見たら、どう思うかしらね?」

瀬戸の全身の血が、音を立てて凍りついた。

彼女は、彼の勤務先まで、すべて調べ上げていたのだ。

絶望の淵で、瀬戸は先ほどの自分の脅しを思い出した。

もしかしたら、彼女は本当に椎名先生本人で、だからこそ「学校で先生に会う」という脅しに、まったく動じなかったのではないか?

「明日、学校に行って、椎名先生と直接対決してやる!」

瀬戸は、最後の望みを託して再び脅しのメッセージを打ち込んだ。

「もしお前が本当に彼女なら、面と向かってその正体を暴いてやる!」

しかし、雪花の返信は、またしても彼の常識を打ち砕いた。

【雪花】:「いいわよ、早く行っておいで♡」

【雪花】:「私たちの『素敵な思い出』も、先生に見せてあげるのを忘れないでね〜」

【雪花】:「椎名先生もきっと、あなたの素晴らしいパフォーマンスに『感心』してくれると信じてるわ♡」

この、どこまでも余裕綽々な態度に、瀬戸は完全に混乱した。

もし彼女が本当に椎名先生なら、こんな脅しに動揺しないはずがない。だが彼女は、まるで面白い芝居が始まるのを心待ちにしているかのようだ。一体なぜ?

瀬戸は、自分が底なしの巨大な悪意の中に迷い込んだような感覚に陥った。

「どっちにしろ、明日は必ず学校に行って、白黒つけてやる!」

瀬戸は拳を握りしめ、自らに言い聞かせるように決意を固めた。

彼はスマホの画面に表示された、雪花からの最後のメッセージを見つめる。

【雪花】:「明日になれば、真実が分かるわ♡ おやすみ、私の可愛い奴隷くん〜」

その『奴隷くん』という呼び名が、瀬戸の全身を屈辱と恐怖で震わせた。

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