第6章 遅れてきた狼狽

 津川陸が狂ったように家へ駆け戻ったのは、夜の九時を回っていた頃だった。

 家の中は恐ろしいほど静寂に包まれていた。自分の心音が耳に届くほどの静けさだ。

「知夏?」

 彼はドアを押し開け、恐る恐るその名を呼ぶ。

 返事はない。

 キッチンからは、いつもの夕餉の匂いが漂ってこない。コンロの前に立つ彼女の忙しない背中もない。

 浴室から水音はせず、彼女が愛用していたシャンプーの香りもしなかった。

 彼は寝室へ飛び込んだ。クローゼットの扉は開いたままで、知夏の服が数着消えていたが、大半は残されていた。

「また癇癪か」

 津川陸は安堵の息を吐き、胸の奥に説明のつかない苛立ちが込み上...

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