第4章
光くんの寝室の厚いカーテンから朝の陽光が差し込み、身じろぎひとつしない彼の体に柔らかな金色の光を落としていた。私はシルクのローブを羽織り、ベッドへと歩み寄る。
「おはよう、光くん」ベッドの傍らにある椅子に腰を下ろし、私はそう囁いた。
指がナイトスタンドの上のマッサージオイルの瓶に触れる。彼の筋肉がいかに衰えているかを知り、ネットで取り寄せたものだった。「セラピーの時間よ」
まずは腕から。萎縮した筋肉に沿って、指を滑らせていく。
関節がこわばらないよう、一本ずつ指をほぐしながら左手をマッサージしていた、その時。何かが私を凍りつかせた。ごくわずかな震え――見逃してしまうほど些細な。彼の人差し指が、動いた。ほんの少し。でも、確かに。
「光くん?」心臓が肋骨を激しく打ちつけるのを感じながら、私は息を呑んだ。「私が触れているの、わかる?聞こえているなら、何か合図をして」
私は息を殺し、意識の片鱗でも見つけようと彼の顔を凝視した。だが、その面差しは穏やかなままで、何の変化も見られない。
気のせいだったのかもしれない。刑務所暮らしは、ありもしない兆候を見つけ出し、影の中に希望を読み取る術を私に教え込んだ。
光くんのケアを一通り終えると、私は彼の私的な書斎へと向かった。
これまで光くんのファイルを整理しながら目を通してきていたのだが、今日、ついに大当たりを引き当てた。
ずらりと並んだ法律書の陰に、光くんの几帳面な筆跡で『ショッピングモール火災事件』と記された茶封筒が隠してあった。
その中身は、まるで誰か別の人間の目を通して、私自身の悪夢を覗き込んでいるかのようだった。火災に関する新聞の切り抜き、公式報告書、証人の証言――。
封筒の底から出てきたのは、『防犯カメラの予備映像』とラベルが貼られたUSBメモリだった。
心臓が止まった。火災の夜の防犯カメラ映像――法廷で提示されたものとは、明らかに異なるものが映っているらしい。
私はそのメモリを光くんのパソコンに差し込んだ。
そこには、安部莉緒の姿がはっきりと映っていた。午後九時四十七分、ショッピングモールに向かって歩いている。彼女が偏頭痛を理由に家にいたと主張した時刻の、実に四十三分も前のことだ。タイムスタンプは、紛れもない。
だが、私の心を本当に引き裂いたのは、光くんの手書きのメモだった。
『火元は報告にあったメインホールではなく倉庫……佐藤梨沙は嵌められた……安部莉緒の関与を立証するには更なる証拠が要る……森本翔は明白な偽証……梨沙は無実だ』
「光くん、あなた、知ってたのね……」誰もいない部屋に、私は囁いた。「この事件を、ずっと調べてくれていたんだ。私が、無実だって……」
その発見は、記憶の奥底に埋もれていた何かを呼び覚ました。意識が、八年前のあの法廷へと引き戻される。私の人生を破壊した、あの悪夢の只中へ。
最前列には安部莉緒が座り、ハンカチで目元を押さえている。「梨沙がこんなことをするなんて、信じられません」検察官に向かって、彼女は嗚咽を漏らした。
次に、森本翔が証言台に立った。私の、翔――ほんの数週間前まで、私を愛していると告げた男。彼は、私をまっすぐに見据えて口を開いた。
「午後十時半ごろ、ショッピングセンターの裏口付近で被告を見ました」彼の声は、落ち着き払って、揺るぎなかった。「何か挙動不審で、ライターらしきもので何かに火をつけると、走り去りました」
「嘘よ!」私は思わず立ち上がって叫んでいた。「翔、それが嘘だって、あなた自身が一番よくわかってるはずでしょう!」
だが、無情にも木槌が打ち鳴らされた。
「佐藤梨沙さん、証拠は圧倒的です。あなたの指紋がついたライター、衣服から検出されたガソリンの残留物、そして森本翔さんの証言……」
「やってません!」私は叫んだ。だが、その声は、もう誰の耳にも届いていなかった。
記憶が薄れ、私は光くんの椅子の上で息を切らし、震えていた。裏切りの痛みは今も生々しく、決して癒えることのない生傷のようだ。
セキュリティシステムから柔らかなチャイムが鳴り、私は現在へと引き戻された。
セキュリティモニターに目をやると、玄関先に安部莉緒が立っている。
私は深呼吸し、表情を慎重に無感情なものへと整え、階下へ降りた。
「梨沙!」ドアを開けると、安部莉緒の声は偽りの温かみに満ちていた。「急に押しかけてごめんなさいね。あなたのことが心配でたまらなくて」
彼女はまるで自分の家であるかのように私を通り過ぎ、玄関ホールへと上がり込むと、鋭い目で隅々まで観察した。私は彼女が演じる心配の仕草――首を傾け、声を和らげる様――をただ見つめていた。
「まあ、可哀想に」安部莉緒の微笑みは、その目にまでは届いていなかった。「きっと、とても……寂しいでしょう。自分の存在すら認識できない人と暮らすなんて。精神的な影響が心配だわ」
来た――これがあの、巧妙に心を抉るナイフ。彼女は私を試している。私の平静さの裂け目を探しているのだ。
「光くんは最高の話し相手よ。聞き上手なの」と私は言った。
安部莉緒の表情が一瞬、ほんの一瞬だけ揺らいだ。あまりに一瞬で、見逃すところだった。恐怖。彼女は私が何を知っているのか、光くんが事故の前に私に何を話したのかを恐れているのだ。
「梨沙、ねえ」安部莉緒の声には、見下すような響きが混じり始めた。「まさか……過去にこだわったりしていないでしょうね。トラウマを経験した人って、時に現実じゃないことに固執してしまうことがあるのよ。もし、精神的なことで誰かに相談したくなったら……」
「心配してくれてありがとう」私は滑らかに返した。「でも、何が現実で何がそうじゃないか、今ほどはっきりわかっている時はないわ」
安部莉緒が去った後、今度は森本翔がで現れた。
「梨沙、八年間の刑務所暮らしは、明らかに君の判断力を鈍らせたようだ」と彼は言った。「俺たちは皆、君の精神状態を心配している」
彼は私に向き直った。その瞬間、スーツの下に隠れた怯えた少年の姿が見えた気がした。「もし君の行動が問題になるようなら、法律には精神的に不安定な人間に対処する方法があるってことを、念のために言っておく」
「森本翔」私は静かに言った。「脅迫してるの?私の家で?」
「出ていって」私の声は、死んだように穏やかだった。「今すぐ」
その夜、私は暗闇の中、光くんのベッドの傍らに座り、彼の手を握りしめ、ついに自分を解放した。
言葉が堰を切ったように溢れ出す。八年間抑えつけてきた真実と痛み。両親のことを話した。殺人罪で有罪判決を受けた娘を持つという恥辱に耐えられなかったこと。私の無実を信じているけれど、世間の裁きの重みに耐えられないと書かれた置き手紙を残していったこと。
「彼女は、私が愛したすべてを破壊したの」声が震えた。「私の家族も、未来も、正義への信頼も」
そう話していると、またそれを感じた。指先に伝わる、ほんのかすかな圧迫感。彼の手が、私の手を握り返した。あまりに優しく、気のせいかと思うほどだった。しかし、彼の顔に目をやると、まぶたが震えたのを確かに見た気がした。
「光くん?」私は息を呑んだ。「聞こえるの?お願い、もし聞こえるのなら、合図をして」
一瞬、部屋は医療機器のかすかな作動音のほかは静まり返っていた。そして、ほとんど気づかないほどに、彼の指が再び私の指を握った。







