第4章

 鈴川家に戻った私は、即座に中田池の会社の資金繰りを断ち切った。彼が虎の子のように大切にしていたプロジェクトも、すでに私の手によって他社へ譲渡済みだ。

 この二日間、池が血眼になって私を探し回っていることは知っていた。古い携帯には着信の嵐、あまつさえかつての同僚たちにまで執拗な連絡を入れているらしい。

 その夜、私は父の勧めで見合いの席に着いていた。相手は家柄の釣り合う神崎家の御曹司――神崎宴だ。

 コース料理が半ばに差し掛かった頃、荒々しい足音が近づき、私たちのテーブルの横で急停止した。

「薫子!」

 池は私の対面に誰が座っているかなど目に入っていない様子で、有無を言わせず私の手首を掴み上げた。その指先が震えるほどに力が込められている。

 目は血走り、顎には青々とした無精髭。これほどまでに焦燥し、なりふり構わない彼の姿など見たことがなかった。

「一体どこをほっつき歩いていたんだ! 電話には出ない、LINEも既読無視、俺が丸三日もお前を探し回ったと思ってんだ!」

 声は枯れ果て、その響きには怒りだけでなく、ようやく見つけたという安堵と恐怖が入り混じっていた。

「家に帰るぞ。話があるなら戻ってから聞く。外で癇癪を起こすのはやめろ」

 言いながら、彼は強引に私を立たせようとする。

「離して」

 冷ややかな視線で射抜くと、池の動きがピタリと止まった。そこでようやく、彼は私の向かいに座る男の存在に気づいたようだ。

 神崎宴が纏う洗練された品格、そしてテーブルを彩る艶めかしいキャンドルの灯り――それらを目にした瞬間、池の瞳にあった焦りは、どす黒い嫉妬の炎へと変わった。

「……誰だ、そいつは」

 池は神崎宴を睨みつけると、すぐさま私へと向き直る。その眼差しは陰湿で、危険な光を帯びていた。

「鈴川薫子、俺から逃げ回っていたのは、こんな男と逢瀬を楽しむためだったのか? 俺が会社のことで駆けずり回っている時に、お前は外で浮気かよ」

 掴まれた手首に、ギリギリと力が食い込む。

「こんな大事な時期に当てつけみたいな真似しやがって。そうやって俺の気を引きたいのか? いい加減にしろ! 行くぞ!」

 腰を浮かせかけた神崎宴を目配せで制し、私は渾身の力で池の手を振り払った。

 ゆったりと立ち上がり、彼に鷲掴みにされて皺になった袖口を丁寧に直す。そして、激昂する男を冷徹に見据えた。

「浮気、ですって?」

 私は鼻で笑った。

「中田池、あなた一つ大きな勘違いをしているわ」

「残念だけれど、中田様。今の私は独身よ」

 言い放つと同時に、私はバッグからある書類を取り出し、彼の胸板に叩きつけた。

「よくご覧なさい」

 反射的に書類を受け止めた池だが、『離婚届』という文字、そして末尾にある彼自身の走り書きの署名を目にした瞬間、石のように硬直した。

「自分で書いたサインでしょう? 村木由紀菜の元へ行くために、あの時はずいぶんと潔くペンを走らせていたじゃない」

 見る見るうちに血の気が引いていく池を見下ろし、私は口の端を吊り上げて嘲笑う。

「法的にはもう受理されているわ。だから私が誰と食事をしようが、今夜このまま誰とホテルに行こうが――あなたには何の関係もないのよ」

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