第1章
美里町の神社、その奥にある小さな支度部屋の鏡の前に、私は立っていた。高鳴る心臓を落ち着かせようと必死だった。窓から差し込む陽光が、私の白無垢を暖めている。今日が、その日――小栗圭吾さんとの、神前式。
この町に、不安と孤独を抱えて移り住んでから三年。丸三年だ。その私が今、彼の奥さんになろうとしている。時々、あまりに幸せすぎて現実じゃないみたいに感じる。
白無垢の絹に触れる。清楚で厳かな装いは、まさに私が望んでいたもの。決して飾り立てたものではない――ただ、神前を進む私を見た圭吾さんの目に、あの特別な表情が浮かぶくらいには。
外から声と足音。誰かが来たみたい。スマホを確認する――九時十五分。メイク師さん、もうすぐ来るはず。
ノックの音がした。
「どうぞ」。私は振り向いた。メイク師の桜さんが来たんだと思った。
全然違う人だった。入ってきたのは見知らぬ女性。年は二十代後半くらいだろうか、赤みがかった金髪を後ろで束ね、全身黒の仕事着を身につけている。私を見るなり、その瞳に奇妙な光がちらついたが、すぐにプロの表情に戻った。
「こんにちは。本日は私がメイクを担当します」彼女の声は冷たく響いた。
私は眉をひそめた。「すみません、でも桜さんを予約したはずですが。あなたは……?」
「桜は急用で来られなくなりました。私が代わりです」彼女は必要以上に強くメイクボックスを床に置いた。「始めましょう。時間がありませんから」
何かがおかしい。でも、何がおかしいのかはっきりしない。神前式前の緊張で、私が過敏になっているだけかもしれない。
「わかりました」私は椅子に座り直した。「ナチュラルな感じで、あまり厚塗りにならないように――」
「わかっています」彼女は私の言葉を遮り、すでに道具を漁り始めていた。
その手つきは乱暴だった。ファンデーションブラシが肌に当たる感触はざらついていて、力が入りすぎている。鏡越しに彼女の目を見ようとしたが、地獄のように真剣な顔で、凄まじい集中力で作業を続けている。
考えすぎだ。メイク師にはそれぞれのやり方がある。きっと集中しているだけなんだ。
でも、作業が進むにつれて、私の胃はねじれるように痛み始めた。ファンデーションの色がまったく合っていない――あまりに白すぎて、病人のように見える。
「この色……」私は慎重に切り出した。「少し白すぎませんか?」
「あなたにぴったりです」。彼女は顔も上げず、ただ間違った色を私の顔に塗りたくり続けた。
鏡の中の自分を見つめる。心が沈んでいく。一時間後に神前式を挙げる人間ではなく、インフルエンザにでもかかったような顔だ。
「もう一度、やり直してもらえませんか」私は立ち上がろうとした。
彼女の手が私の肩を押し、椅子に座らせた。「動かないで。まだ終わっていませんから」
今度は私の目元だ。彼女が手に取ったのは、誰が使っても疲れて見えるような、醜いグレーのアイシャドウだった。
「待って」私は彼女の手首を掴んだ。「その色は嫌です。暖色系でナチュラルにしてほしいとお願いしました」
彼女は手を止め、鏡越しに私を見た。その一瞬、はっきりと見えた――プロ意識なんかじゃない、紛れもない憎悪が。
「暖色系でナチュラルなのが、自分にふさわしいとでも?」彼女は静かに、私の理解を超えた何かが滲み出る声で言った。
「え?」私は彼女を凝視した。
彼女は答えなかった。ただ、あのひどいグレーのシャドウを、力を込めて塗り続ける。次に口紅――死人が蘇ったかのように見える、血の気のない淡いピンク。
私はもう一度立ち上がろうとした。「これじゃ無理です。他の人に代わってください」
「時間切れよ」彼女は笑ったが、それは意地の悪い笑みだった。「それに、その見た目、あなたにすごくお似合いだわ」
彼女は素早く片付けを始めた。その動きは鋭く、怒りに満ちていた。
私は自分を見つめた。鏡に映るのが誰だか、もうわからなかった。これはブライダルメイクじゃない――これは、破壊工作だ。
「あなた、誰なの?」ようやく怒りがこみ上げてきた。「どうしてこんなことをするの?」
彼女は片付けの手を止め、まっすぐに私と向き合った。もはや悪意を隠そうともしない。
「私? 私はただ、あなたが受けるべきものを施してあげただけ」その声は毒のように甘かった。「気に入った?」
「気でも狂ってるの!」私は立ち上がった。「通報してやる! 絶対にわざとやったでしょう!」
彼女は満足げな笑みを浮かべたまま、荷造りを終えた。「どうぞ通報なさい。頑張ってね、特に今日みたいな日には」
手が震えた――怒りか、恐怖か、自分でもわからなかった。この女が意図的にやったのは明らかだ。でも、なぜ? 一度も会ったことがない。何の関わりもないはずなのに。
「どうして?」私の声はひび割れた。「今日は私の神前式なのよ。あなたや誰かを傷つけたことなんて一度もない」
彼女は引き戸まで歩き、取っ手に手をかけて立ち止まった。振り返った彼女の視線に、肌が粟立った。
「新井由実」彼女は私の名前を、ゆっくりと、念を押すように言った。「すぐにわかるわ」
引き戸が乱暴に閉められた。鏡に映る見知らぬ顔と私、二人きりで部屋に取り残された。
ウェットティッシュを掴み、必死でメイクをこすり落とそうとした。すべてウォータープルーフ。ほとんど落ちない。時刻は十時四十五分――式は十一時半に始まる。この惨状を立て直す時間はない。
涙がこみ上げてきたが、必死にこらえた。泣いたらもっとひどくなるだけだ。
千鶴が勢いよく引き戸を開けて入ってきた。
「由実、準備できた? みんな来てるし、圭吾さんも前で待ってるよ――」彼女は絶句し、恐怖に染まった目で私を見つめた。「うそ……何があったの? あなた、その顔……」
「地獄みたいでしょ、わかってる」私は笑ったが、苦々しい響きだった。「メイク師さんが……ちょっと問題ありで」
千鶴は近づいてきて、私の顔をまじまじと見つめた。「これ、失敗には見えない。わざとみたい。一体どうなってるの?」
私が説明する前に、彼女のスマホが鳴った。電話に出た千鶴の顔が、みるみるうちに青ざめていくのがわかった。
「え? いつ? わかった、わかった、すぐ本人に伝える」
彼女は電話を切り、同情と恐怖が入り混じった目で私を見た。
「由実……」彼女の声は震えていた。「あなたの家が、火事だって」
言葉は聞こえたが、脳がそれを処理するのを拒否した。
「え?」
「たった今、消防署に通報があったって。あなたの家で大きな火事。圭吾さんはもう、自分の隊と一緒に向かったそうよ」
顔から血の気が引いた。私の家。私の持ち物すべて。父の遺品も全部……。
「行かなきゃ!」私は白無垢のスカートを掴み、走り出そうとした。
「由実、待って!」千鶴が私の腕を掴んだ。「神前式は――」
「神前式どころじゃないでしょ!」私は腕を振り払った。「家が燃えてるのよ!」







