第1章
目黒先生の車で病院へ搬送されながら、私の命が尽きようとしていたその時、魂はふわりと抜け出し、病室にいる母さんの元へと飛んでいった。
彼女は妹の冬木結衣のベッドの脇に座り、その手をしっかりと握りしめていた。
「私の大事な天使ちゃん、足首はまだ痛む?」
(母さん、私もここにいるのに。私はもう、死んでしまうのに……)
だが、冬木美佐子の眼差しは、ただひたすらに最愛の娘だけへと注がれていた。
結衣は枕に背を預けていた。病衣姿も相まって、その様子はいかにも儚げに見える。
「痛みがひどくなってるの、ママ」
と彼女は弱々しく訴えた。
「でも、私、頑張って我慢するわ」
母の瞳が涙で潤む。
「心配しないで、愛しい子。ママが最高の治療を受けさせてあげるからね」
結衣の演技は、いつだって完璧だ。
その時、扉が勢いよく開いた。父が皺だらけのスーツのまま駆け込んでくる。
「あの子はどうだ? 怪我の具合は?」
「よかった、来てくれたのね、隆」
母が言う。
「私たちの可哀想な天使には、私たちが必要なのよ」
二人とも、私のことなど尋ねもしない。一度たりとも。
家政婦の松島が、部屋の隅で居心地悪そうに身じろぎした。やがて、意を決したように口を開く。
「奥様、沙織お嬢様もひどいお怪我を。頭を強く打たれて……」
「結衣の方がもっと苦しんでいるのが分からないの?」
母の声が鋭く響いた。
「それに、結衣を突き飛ばしたのはあの子じゃない」
私の心は粉々に砕け散った。死してなお、私は「邪魔な娘」のままだったのだ。
母はかかりつけ医の目黒先生に電話をかけた。
「目黒、今すぐここに来てちょうだい! 結衣にはあなたが必要なの! あまり知らない医者より、あなたのほうがいいわ」
「冬木夫人、私は今、沙織を病院へ搬送しているところです。頭部の損傷が深刻で、一刻も早く……」
「あの子が怪我? そんなわけないでしょう? ダンスの練習中にわざと結衣の足を引っ掛けて、あんなに痛がるほど泣かせたくせに。私が問い詰めても、あの子は一言も喋らなかったのよ」
母は厳しい口調で言った。
「今すぐあの子に代わりなさい!」
目黒先生の戸惑う声が聞こえた。
「奥様、彼女はもう意識がほとんど……」
「あの子に言いなさい。結衣が入院することになったのは、お前のせいだとな!」
言い返したかった。潔白を主張したかった。けれど、私の体はもう言葉を発することができなかった。
母はそこで電話を切った。
「ママ? パパ? 沙織は……沙織は大丈夫なの?」
「あんな子のことをまだ心配するの?」
母は結衣の髪を優しく撫でた。
「ママ……」
結衣の声が震える。
「あの子、まだ私のこと怒ってるんじゃないかって心配なの。バレエ団の特別講座の枠を私が取ってしまったこと、ずっと許してくれてないから。本当はあの子が行くはずだったのに……」
彼女はすすり泣いた。
「あの子の夢を邪魔するつもりなんて、決してなかったのに」
「お前が謝る必要などない」
父がきっぱりと言い放つ。
「あの枠は、最も才能ある踊り手に与えられたのだから」
笑わせてくれる。実力でバレエのプログラムに受かったとでも思っているのか。
自分の可愛い娘のために、母さんが裏でどれだけ手を回したことか。
計算し尽くされた涙で両親を操る姿を見て、私はようやく彼女の支配がいかに根深いかを悟った。
最期の瞬間、車の中で私の体が冷たくなっていく中でさえ、結衣は彼らにとって無垢な愛娘であり続けた。
今夜、私が足を滑らせて転落死した本当の理由など、彼らは永遠に知ろうともしないだろう。
