第2章

 その夜、私は一睡もできなかった。

 目を閉じるたびに涙が溢れて目が覚めてしまう。結局、夜が白むまで膝を抱えてうずくまり、ただ虚空を見つめ続けていた。

 翌日、渋木明宏が部屋に入ってきた時、私は寝たふりをした。彼は冷気を帯びたコートを脱ぎ捨て、自身の体が温まるのを待ってから、私をそっと抱き寄せる。

「薫子、これを見てくれ」

 彼はタブレットを開いた。

「ついさっき買い取った島だ。君にやるよ」

 画面には、絶景の広がる荘園が映し出されていた。

「今しがた購入手続きを済ませた」

 彼の口調には、まるで褒め言葉を期待する子供のような響きがあった。

「君へのプレゼントだ。俺たちが年老いたら、そこで一生を過ごそう」

 彼の手指が私の頬を優しく撫で、その瞳が情愛に揺れる。

「薫子、医者の言葉なんて気にするな。体がどうであれ、子供ができようができまいが関係ない。俺が欲しいのは君だけだ。俺は永遠に君を愛し続ける。たとえ渋木家の血が途絶えようとも、君さえいてくれればいい」

 彼の瞳は未来への憧れに満ちていた。だが私にはわかっている。そんな未来は永遠に来ないのだと。

 彼は未来の設計図を熱っぽく語り続けたが、一分ほど経ってようやく、腕の中の私が異常なほど静かなことに気づいた。

 聞こえてくるのは、押し殺した嗚咽だけ。彼は狼狽した。

「どうした? 傷が痛むのか?」

 シチリア島で数多の人間を震え上がらせ、武装部隊と対峙しても顔色一つ変えないマフィアの首領が、たかが私の涙ごときで狼狽し、体を小刻みに震わせている。

 私が少しでも苦痛を感じれば、彼はその百倍を肩代わりしたいと願う男だ。彼が「身内」と認めた人間には、すべてを捧げる――それが、私がかつて信じていた渋木明宏という男だった。

 私はどうにか蒼白な笑みを浮かべ、目尻の涙を指で拭った。

「ううん、なんでもないの」

 私は掠れた声で嘘をついた。

「傷が少し痛むのと……悪い夢を見ただけ。あなたが私を捨てる夢を」

 彼は明らかに安堵の息を漏らし、口元に愛おしげな笑みを浮かべる。

「馬鹿だな。そんなこと、天地がひっくり返ってもありえない。この世の誰も、君を俺から奪うことなんてできはしないさ」

 彼は私の顔を両手で包み込み、涙の跡を拭う。

「今日は定例会に行くのをやめる。ここにいて君に付き添うよ」

 私は首を横に振り、胃の奥からせり上がる吐き気を必死に抑え込んだ。

「だめよ。医者には静養するように言われてるし……それに、これから家族が私と妹のお見舞いに来るの。あなたは仕事に行って。あなたがいたら、両親が恐縮してしまうわ」

 渋木明宏は少し躊躇したが、彼は決して私の願いを無下にはしない。特に私が傷ついている時は。

「わかった。じゃあ、後でまた来る」

 彼は私の額にキスを落とし、病室を後にした。

 彼が去って間もなく、廊下から聞き覚えのある足音が響いてきた。

 ドアの隙間から、最高級の燕の巣や天然の朝鮮人参を箱ごと抱えた彼らの姿が見える。

 大怪我を負い、体の半分もの血を流してここに横たわっているのは私だというのに、彼らは私を一瞥すらせず、迷うことなく隣の病室――冴羽エリの部屋のドアを開けた。

 半開きのドア越しに、向こうの話し声が私の鋭敏な耳に届く。

「エリ、辛かったでしょう」

 それは、私には一度も向けられたことのない慈愛に満ちた母の声だった。

 父の声は冷徹で、計算高さに満ちていた。

「薫子はこの前の怪我で、もう子供は望めない体になった。渋木明宏は義理堅い男だ、彼女を見捨てることはないだろう。だが、渋木家の巨大な産業には後継者が必要だ。エリ、お前の腹の中にいるその子こそが、我々冴羽家が渋木明宏を、そして渋木家の武力を完全に掌握するための切り札となる。このことは、赤子が産まれるまで家族総出で隠し通すぞ」

 氷のように冷たいベッドの上で、私は爪が掌に食い込むほど拳を握りしめた。

 なるほど。実の娘といえど、絶大な権力の前では無価値に等しいということか。

 どれほどの時間が過ぎただろうか。ようやく私の部屋のドアが開かれた。

 入ってきたのは両親ではなく、冴羽エリだった。

 ゆったりとした患者衣を纏い、まだ平らな腹部を慈しむように手で守りながら、彼女の瞳は不気味なほど輝いていた。それは勝利者の目だった。

 彼女の視線は、まだ画面が点灯しているタブレット端末に注がれた――そこには、渋木明宏が私に贈った荘園が映っている。

「お姉ちゃん、本当に運がいいわね」

 彼女は軽やかに笑いながらベッドサイドに歩み寄る。

「明宏さんは本当にお姉ちゃんを愛してるのね。子供も産めない役立たずになっても、そうやって機嫌を取ってくれるんだもの」

 私は冷ややかな目で彼女を見つめ、何も答えなかった。

 冴羽エリは私の冷淡な態度など気にも留めない様子で、身を屈め、私の耳元に唇を寄せた。二人だけにしか聞こえない声で囁く。

「でもね、薫子お姉さん。よく考えてみて。どんなに高価な贈り物も、所詮は死んだ物よ。いくら島や宝石を貰ったところで、何の意味もない」

 彼女は背筋を伸ばし、口元に残酷で歪んだ笑みを浮かべた。

「だって私の子供こそが、渋木家の唯一の血脈なんだから。知らないでしょう? さっき明宏さんが私に……ううん、私たちの赤ちゃんに何をくれたか」

「彼はついさっき書類にサインしたの。渋木家の中核である軍事企業の株式五十一パーセントを、『胎教のプレゼント』として、このまだ見ぬ子供の名義に移したのよ」

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