第1章
深夜の桜ヶ丘学園は、不気味な静寂に包まれていた。
私は旧校舎の壁に身をぴったりと寄せ、心臓が雷のように鳴り響くのを感じていた。
つい先ほど、恋人がこそこそとこの廃墟同然の建物に入っていくのを、私はこの目で見てしまったのだ。
「どうしてこんな場所で逢い引きなんて……」
そう、三年間付き合ってきた彼氏は浮気をしている。
深夜に寮を抜け出し、怪しげな電話に出る時はいつも私を避け、普段はあれほど好きだった苺のショートケーキにさえ手をつけなくなった。それにLINEには、私には全く見覚えのない女の子の連絡先まであった。
私は用心深く、軋む音を立てる木製の扉を押し開けた。古びた匂いが鼻をつく。
スマートフォンの微かな光を頼りに、私は階段を一段一段下りていく。踏みしめるたびに、足元で不安を煽るような軋み音がした。
地下室の扉は半開きになっており、中から微かな蝋燭の光が漏れていた。
息を殺し、扉の隙間から中を覗き込む。
次の瞬間、私は危うく悲鳴を上げそうになった。
地下室の中央には、十九体もの女性の遺体が整然と並べられていた。
薄暗くてはっきりとした輪郭しか見えないが、腐敗した死臭が私の全身を震わせる。
床には血の付いた制服の切れ端が散らばり、他にも奇妙な形の儀式道具が転がっていた。古めかしい燭台、謎のルーン文字が刻まれた石板、そして明治時代に作られたかのような奇妙な機械装置。
その時、地下室の奥に哲司の姿が現れた。
彼はその奇妙な機械の前に立ち、手には分厚い古書を抱え、口の中で呪文のような言葉をぶつぶつと呟いている。
蝋燭の光が彼の顔に不気味な影を落とし、普段は温和なその面立ちは、今や異常なほどに獰猛に見えた。
「夏花……ようやく……戻ってこれる……」
哲司の声は低く、不気味で、いつもの優しい彼とはまるで別人だった。
私は恐怖で魂が抜けそうになり、振り返って逃げ出そうとした。しかし、不意に足を滑らせ、壁に全身を強く打ちつけてしまった。
「そこに誰だ!」
哲司が勢いよく振り返る。
私は痛みも構わず、夢中で地下室から飛び出し、旧校舎の外まで一目散に駆けた。
頭の中では先ほど見た光景が何度も繰り返され、両手の震えが止まらない。
「落ち着いて! 落ち着くのよ!」
何度か深呼吸をし、スマートフォンを取り出して警察に通報しようとしたが、学校の奥まった場所では電波が届かなかった。
私は必死に校門へと走り、時折振り返っては哲司が追いかけてこないかと怯えた。
ようやく学校の正門近くまでたどり着くと、スマートフォンの電波がやっと回復した。
警察に電話をかけようとしたその時、体育館の方からジャージ姿の若い男性が歩いてくるのが見えた。
田中正義先生。学校に新しく赴任してきた体育教師だ。
「田中先生! 田中先生!」
私はまるで救いの藁にでもすがるように、彼の方へ駆け寄った。
田中正義は、深夜に校内をうろついている生徒を見て、本能的に眉をひそめた。
「橘さんか? こんな遅くにまだ学校にいたのか?」
「先生、私……私、すごく恐ろしいものを見てしまったんです!」
私は田中の腕を掴み、切羽詰まった声で言った。
「旧校舎の地下室です! そこに死体が! たくさんの死体があったんです!」
田中正義は一瞬呆気にとられたが、私の恐怖に引きつった表情をじっと見つめた。
「なんだって? 死体だと?」
「本当です! この目で見ました! 十九体も! それに血痕も! 床には血の付いた制服の切れ端が!」
私は支離滅裂に説明した。
「哲司がそこで、何か変な儀式をしていたんです!」
田中正義は私の真っ青な顔と震える両手を見て、ただの戯言ではないと悟った。
「本当に死体だと確信しているのか?」
「はい! 光が暗くて顔はよく見えませんでしたが、間違いなく死体です!」
私は田中の腕を強く握りしめた。
「先生、どうすれば!」
田中正義は一瞬ためらったが、生徒のあまりの怯えように言った。
「見間違いじゃないと断言できるんだな。まず私をそこに連れて行ってくれ。そもそも、うちの学校に地下室なんてあったか?」
私は田中を連れて、足早に旧校舎へと引き返した。田中先生が懐中電灯で足元を照らしてくれる。
地下室の入り口の扉は開け放たれたままで、哲司の姿はもうなかった。
私は田中先生の後について中に入り、懐中電灯の光が地下室全体を掃いた。
十九体の遺体は、依然としてそこに整然と並べられていた。だが今度は、懐中電灯の明るい光の下で、彼女たちの顔がはっきりと見えた。
私の血液は、一瞬で凍りついた。
一体一体の遺体の顔が……。
全て、私と瓜二つだったのだ!
「なっ……」
田中先生は息を呑み、危うく懐中電灯を落としそうになった。
「橘さん、この死体……彼女たちの顔は……」
私の声は震え、ほとんど言葉にならなかった。
「どうして……どうして、みんな私と同じ顔をしてるの……?」
遺体たちの顔は、まるで同じ型から抜き取ったかのように私とそっくりだった。ただ、あるものは肌が干からび、またあるものはつい最近死んだばかりのように見える。
しかし、例外なくすべてが私だった。
彼女たちの目は全て見開かれており、まるで声なく何かを見つめているかのようだった。
最も恐ろしかったのは、彼女たちの表情から恐怖、絶望、そして言葉にできない哀しみが読み取れたことだ。
「こ……こんなことってあるのか?」
田中先生は遺体たちと私を衝撃的な面持ちで見比べた。
「世界にこんなにも同じ顔の人間がいるなんて……」
私は足の力が抜け、ほとんど立っていられなかった。
「わからない……何もわからない……どうしてこんなことに……」
「警察に通報しましょう!」
私は震えながら言った。
しかし、電話が繋がり、事情を話すと、電話口の受付担当者はこう言った。
「神代哲司さんが殺人を? 彼は先ほどまで、こちらで失踪事件の捜査協力をしていましたよ。三十分ほど前に帰られたばかりです。何か勘違いされているのでは?」
私は目を見開いた。
「ありえません! さっき、地下室で彼を見たんです!」
「お嬢さん、失礼ですが最近、ストレスで幻覚でも見ていませんか?」
受付担当者の口調には疑いの色が混じっていた。
田中正義が電話を代わった。
「私は桜ヶ丘学園の教師、田中正義です。この生徒の様子が確かにおかしいのは事実です。今からそちらへ向かいます」
「そうですか。ですが、神代のご子息が先ほどまでいらっしゃったのは確かです。ご心配でしたら、確認に来ていただいても結構ですよ」
二十分後、私たちが交番に駆けつけると。
哲司が警察署の応接室に座っているのが見えた。スーツを身にまとい、見たところ全く普通で、警察官と談笑さえしている。
「夜華?」
哲司は私に気づくと心配そうな表情を浮かべた。
「こんな夜更けにどうしたんだ? さっきまで君のことを心配していたんだぞ」
私は哲司の両手を、食い入るように見つめた。
指の間には、確かに微かな蝋燭の油の跡がある。彼は絶対に地下室にいた!
「さっき、どこにいたの?」
私は恐怖を必死にこらえて尋ねた。
「図書館で資料を調べていたんだよ。明日の生徒会会議のためにね。そしたら警察から電話があって、こっちに来たんだ」
哲司は瞬きをした。
「顔色が悪いぞ。具合でも悪いのか?」
私は眩暈を覚えた。
もし哲司が本当に図書館にいたのなら、私がさっき見たのは何だったのだろう?
幻覚? でも、あの模型、写真、血痕……全てがあまりにもリアルだった!
「私……家に帰りたい。田中先生、送ってもらえませんか? 彼とは一緒に帰りたくない」
哲司の顔に、見逃してしまいそうなほど微かな翳りがよぎったが、すぐにまた温和な笑みに戻った。
「具合が悪いなら、田中先生に送ってもらう方がいいだろう。僕はまだここで少しやることがあるから」
田中正義は私と哲司を交互に見て、最終的に頷いた。
「では、私が橘さんを寮まで送ります」
警察署を出る道すがら、私のスマートフォンが鳴った。見知らぬ番号からの着信だった。
「はい?」
私は震える手で電話に出た。
「橘夜華さん?」
電話の向こうから、若い女性の声が聞こえた。
「どうやら、神代家の秘密に気づいてしまったようね」
私の心臓が速鐘を打つ。
「あなたは誰? どうして私の番号を?」
「そんなことは重要じゃない。重要なのは、失踪した女子生徒たちの真相を知りたいかどうかよ。なぜ彼女たちがみんな、あなたと同じ顔をしているのか知りたくない?」
私はスマートフォンを強く握りしめた。
「何を知ってるの?」
「たくさん。例えば、神代家が長年隠してきた秘密。あなたの本当の正体。そして、あなたがどうしてこの学校に現れたのか」
その声はどこか神秘的だった。
「もし答えが知りたいなら、明日の午後五時半に裏山で会いましょう」
電話は突然切れた。
田中先生が私の表情を見て尋ねた。
「どうした? 誰からだ?」
私は通話の内容を田中先生に伝えた。彼の顔はさらに険しくなる。
「その秘密を知っている者がいるんだな。だが、危険なのは間違いない。橘さん、行くつもりか?」
私は唇を噛みしめた。
「どうであれ、少なくとも何が起きているのかは知らなくちゃ」
