第3章 彩音視点
「許してください! わざとじゃなかったんです!」
私は西園寺家の屋敷の、冷たい大理石の床に跪いていた。膝の感覚はもうない。西園寺氏は頭上から私を見下ろしていた。
「許すだと? お前は私の息子を傷つけたんだぞ! 今さら何を言おうが無駄だ!」
十時間前、翔太が大怪我を負ったことで西園寺家は激怒した。彼らは私の実家に対し、ビジネス上の報復を示唆してきたのだ。その脅迫を前に、両親は私を彼らに引き渡すことを決めた。
私は必死に弁明した。
「翔太を突き飛ばしたのは私じゃない! 美玲よ! 私、証言できるわ!」
「黙れ!」
父が鋭く怒鳴りつけた。
「こんな時まで、まだ責任逃れをするつもりか!」
「監視カメラを確認すればいいじゃない! 二階のゲームルームにはカメラがあるはずよ!」
その言葉に美玲の顔色がさっと青ざめ、彼女は反射的に蓮二の腕にしがみついた。
だが、父は冷ややかな目で私を見据えた。
「監視システムは昨日故障したんだ。何も映っていない」
私は愕然とした。前日のメンテナンス点検の時には、正常に作動していたはずなのに。
母もまた、父に加勢した。
「彩音、あなたが責任を取りなさい! 西園寺家がうちの会社にとってどれほど重要か、わかっているでしょう?」
「いい加減にしろ!」
父の顔は怒りで土気色になっていた。
「仮に美玲が突き飛ばしたとして、それがどうした? あの子は今、病気なんだぞ。これほどのストレスに耐えられるわけがないだろう!」
私は絶望の淵に立たされた。彼らは心の中では真実を知っていながら、私を身代わりの生贄にしようとしているのだ。
私は蓮二の方を向き、すがるような視線を送った。
「蓮二、あなたは私を信じてくれるわよね?」
彼は私の視線を避けるようにして、泣きじゃくる美玲の方を向いた。そしてようやく、歯を食いしばりながら口を開いた。
「彩音……とりあえず謝るだけでいいんじゃないか。実際、翔太君が怪我をしたのは事実だし……俺たちとしても、西園寺家に何かしらのけじめを見せなきゃならないんだ」
かつて一生私を守ると誓ってくれた男のその姿を見て、私の心は完全に死んだ。
「……わかったわ。私が行く」
今、この冷たい大理石の床に跪きながら、私はようやく理解した。こここそが、本当の地獄なのだと。
西園寺家の制裁は、想像を絶するほど残酷なものだった。彼らは私を一晩中、棘のついた台の上に正座させ、鋭い棘が膝に突き刺さる激痛を強いた。刃物のように冷たい風が吹き荒れる中、氷水を浴びせかけられる。そして執事が、革の鞭で私の背中を打ち続けた。私はただ歯を食いしばって耐えるしかなかった。少しでも弱みを見せるわけにはいかなかったからだ。
その間、家族は誰一人として面会に来なかった。
三日目、西園寺家の大旦那が足を引きずりながら現れた。
「わしのかわいいひまごを傷つけたのは、この女か?」老人は杖で私を指した。
「すでに三日間、罰を与えておりますが……」
執事が傍らで囁く。
「足りん!」
老人は突然、杖で私の肩を強く打ち据えた。
「わしの翔太はまだ病院で意識が戻らんのだぞ! なぜこやつはまだ生きている!」
私はバランスを崩して床に倒れ込んだ。老人はそれでも気が済まず、私の腹部を蹴り上げた。
「殺してやる! 西園寺の血筋を傷つけるような輩は、生かしておけん!」
杖が何度も何度も振り下ろされた。私は床の上で体を丸め、かつてない激痛に襲われていた。突然、下腹部を引き裂かれるような痛みが走った。
温かい液体が脚を伝って流れ落ちる。手を伸ばして触れてみると――それはすべて血だった。
出血は止まらない。意識が遠のいていく。私にとって大切な何かが、体から離れていくのがわかった。
次に目を覚ました時、私はようやく何が起きたのかを悟った。流産だった。存在すら知らなかった子供を、私は失ったのだ。
――
蓮二が私を連れ戻しに来た時、瀕死の状態の私を見て、彼の顔色は一変した。
「なんてことだ、彩音! どうしてこんな酷い怪我を……!」
彼は愕然としながら、私を抱き起こした。
私は力なく彼を見つめた。
「これが、あなたの望んだ結果よ」
「流産したわ」
私は淡々と言った。
「私たちの子供は、もういないの」
蓮二は凍りついた。
「え? 子供? なんの話だ?」
「妊娠六週目だった。でも、もう違う。あの人たちに蹴られたり殴られたりしているうちに、流れてしまったの」
蓮二の顔から血の気が引いていく。
「彩音……知らなかったんだ……本当に、君が妊娠していたなんて……」
「今、知ったでしょう」
私は彼の横を通り過ぎた。
「帰りましょう」
家に着くと、私のボロボロの姿を見て、両親は表面的な心配を見せた。
「なんてこと、彩音! こんなに酷い怪我をして!」
母が大声を上げた。
「西園寺家もやりすぎだ!」
父は憤慨したように言ったが、すぐにこう付け加えた。
「だがまあ、これで向こうの気も済んだだろうし、提携の話も守られたわけだ」
蓮二が私の流産について告げると、彼らの最初の反応は同情ではなく、懸念だった。
「そ、それで……美玲の手術には影響ないの?」
母がおどおどと尋ねる。
「医者は体調に問題ないと言っていたんだろう?」
父もまた心配そうだった。
「手術はもう延期できないんだ」
彼らの姿を見て、私の心は完全に冷え切った。こんな時でさえ、彼らが気にしているのは、私の腎臓が正常に使えるかどうかだけなのだ。
美玲が弱々しく歩み寄ってきた。
「お姉ちゃん、辛い思いをさせてごめんなさい……全部私のせいね。私を助けるためじゃなかったら……」
涙を浮かべたその言葉は健気だったが、私は彼女の瞳の奥に一瞬、勝ち誇ったような光が宿るのを見逃さなかった。
「いいの」
私は平坦な声で言った。
「どうせ、欲しくなかった子供だから」
その言葉に全員が息を呑んだ。美玲は悲しそうなふりをした。
「お姉ちゃん、そんなこと言わないで。赤ちゃんはみんな天使なのよ……」
私はもう、彼女の茶番に付き合う気力もなく、傷ついた体を引きずって自分の部屋へと向かった。
――
数日後、私の体が少し回復した頃を見計らって、美玲は私たちを「専門の医療施設」へと連れて行った。
「聖心メディカルセンターよ」
彼女は弱々しい声で言った。
「松本先生は、臓器移植の権威なの」
出発の日、車はずいぶん長いこと走り続け、周囲の景色は次第に荒涼としたものになっていった。
「どうしてこんなに辺鄙な場所なんだ?」
蓮二が眉をひそめる。
「静かな環境の方が、回復にいいから」
美玲が優しく説明した。
やがて車は、平凡な建物の前で止まった。病院というよりは、倉庫を改装したような見た目だった。
松本医師は、分厚い眼鏡をかけ、訛りのある中年男だった。彼はまるで商品を値踏みするかのような奇妙な目つきで私を見た。
「包括的な検査が必要だね。血液型、組織適合性、全臓器の機能検査……数日間の入院観察が必要だ」
「そこまで大掛かりにする必要があるんですか?」
蓮二がいぶかしげに尋ねる。
「プロの手術には、絶対的な慎重さが求められるんだよ」
松本医師は苛立ったように手を振った。
入院手続きを済ませた後、私は粗末な病室のベッドに横たわり、家族が手術後の予定を楽しげに話し合っているのを眺めていた。
誰一人として、私の気分を尋ねる者はいなかった。私の恐怖や痛みになど、誰も関心を持っていないのだ。
その時、私の携帯に弁護士から電話が入った。
「相沢彩音様でいらっしゃいますか?」
「はい」
「ご依頼いただいていた遺言書の件ですが、全財産をご両親とご主人に相続させるということでよろしいですね?」
これは数日前、私が密かに作成した遺言書だった。彼らの知らない多額の保険金を含め、すべてをこの人たちに残すことにしたのだ。
窓の外の暗い夜空を見つめ、ガラスに映る彼らの興奮した様子を目にしながら、私は静かに答えた。
「はい、すべて彼らに残します」
私が死んだ後、私からの「贈り物」の中身を知った時、彼らはどんな顔をするだろうか。
私は虚ろな頭で考えた――もうすぐ、すべてが終わるのだと。
