第五章
店員は手際よく薬を出してくれたが、結構な金額だった。
空見灯は身を切られるような思いだった。
現在、二人の新人タレントを抱えているが、会社での立場も弱く、リソースも少ない。
以前稼いだ金はすべて篠原流輝に貢いでしまったため、残高は雀の涙ほどしかない。今月もまた節約生活確定だ。
巨大な錠剤を睨みつけ、空見灯は意を決して飲み込んだ。
金はまた稼げばいい。だが、金持ちに飼い殺しにされるのだけは御免だ。人生が終わってしまう。
「何を飲んでいる?」
桐谷憂が近づき、彼女の手から残りの錠剤シートを奪い取った。
突然の声に驚き、空見灯は激しく咽せた。薬が喉に詰まって死ぬかと思った。
幸い店員がすぐに水を出してくれたので、なんとか飲み下すことができた。
彼女は気まずくて桐谷憂と目を合わせられない。もし彼が本気で代理母出産を計画していたなら、それをぶち壊してしまったことになるのでは?
あの日の男の立派なイチモツを思い出し、空見灯は背筋が凍るような感覚に襲われた。
籍を入れた今、もし彼に強要されたらレイプになるのか? 夫婦間レイプで警察に通報できるのか?
彼女が妄想を膨らませている間に、桐谷憂は避妊薬をゴミ箱に投げ捨てた。
「今後は飲む必要ない」
彼は二度とこの女を抱くつもりはない。
子供を利用してのし上がろうとするなら、桐谷憂も彼女を監禁することを躊躇わなかっただろうが、彼女にはまだ身の程をわきまえる知性があったようだ。
空見灯は目を見開き、呼吸が止まりそうになった。
どういう意味?
つまり彼は、本気で私を妊娠させ、お祖父様に曾孫を見せて心残りなく逝かせようとしているの?
桐谷憂は彼女の思考など意に介さず、大股で薬局を出て行った。
空見灯は歯を食いしばり、急いで追いかけた。
「桐谷社長、待ってください。話があります!」
夜の空気は冷たいが、桐谷憂の氷のような視線を見た空見灯は思わず身震いした。
自分の未来を考え、空見灯は意を決して口を開いた。
「桐谷社長、結婚を隠すなら、私も条件があります」
「言え」
桐谷憂は言葉少なに言った。一文字でも多く話したくないようだ。
空見灯は深呼吸した。
「第一条、私に関係を強要しないでください。この結婚は形だけのものです」
悲壮な決意を浮かべる彼女を見て、桐谷憂は鼻で笑った。
「俺が強要? 空見さんは記憶力が悪いようだな」
最初の一夜、確かに強要したのは自分だったことを思い出し、空見灯は顔を赤らめた。
篠原流輝が金と地位のために他の女と結婚すると知り、空見灯はどうしても受け入れられなかった。
あの日、彼女はただ発散したかったのだ。
篠原流輝が他の女に行くなら、私だっていいじゃないか。
まさかその相手が桐谷憂という疫病神だとは思いもしなかったが。
彼女は気まずそうに咳払いをし、それでも主張を続けた。
「あの日は飲みすぎてたんです。次は絶対ありません」
「第一条には同意する」
桐谷憂は彼女の言葉を遮った。
「俺もお前に狙われるのは御免だ。空見さん、言ったことは守れよ」
空見灯は歯噛みして彼を睨んだ。この男、自意識過剰すぎないか?
あの日酔って迫ったからって、毎日迫るとでも思ってるの?
ちょっと顔が良くて金と地位があるからって、全女性が股を開くと思ってるわけ?
「第二条は?」
桐谷憂は時計を見た。急いでいるようだ。
空見灯は固まった。第二条なんて考えていなかった。これ一つだけだ。
彼女が黙っているのを見て、桐谷憂は背を向け、一言投げ捨てた。
「明日の夜、お前の実家に行く。段取りをしておけ」
命令口調に、空見灯は観念して頷いた。
「わかりました」
桐谷憂は星芒メディアを買収した。つまり彼女の上司だ。
上司のスケジュール調整をするのも、部下兼隠れ妻の務めだろう。
実家に連絡しようと思った矢先、母の花邑栞から電話がかかってきた。
「あんたねえ、今日は大雨だから行かないけど、明日さっさと帰ってきて見合いしなさいよ! じゃないと会社に乗り込むからね」
「警告しておくけど、小細工は通用しないからね。あんたが同意しようがしまいが、向こうから結納金もらうんだから!」
「お母さん、私結婚したの。お金もらったなら返して。重婚罪は懲役よ。私が刑務所に入ったら、大事な息子さんの出世に響くわよ。よく考えて」
空見灯は溜息をついた。
「結婚証明書送るから。明日の夜、夫と帰る。それじゃ」
電話を切り、空見灯は結婚証明書の写真を送信した。
ただし、わざと少しぼやけた写真を送った。もし転送されても身元がバレないように。
結婚を隠すとはいえ、桐谷憂が両親に会うと承諾した以上、家族に隠す必要はない。
実家のLINEグループは大騒ぎになるだろうと思った。花邑栞の性格なら、60秒の超長文ボイスメッセージで質問攻めにしてくるはずだ。
だが今回、空見灯の予想は外れた。
しばらく待っても、誰一人返信してこない。
離間工作が大好きな弟の空見睦月でさえ、スタンプ一つ送ってこない。
空見灯は呆れて口を尖らせ、スマホをポケットにしまい、家路についた。
道端のマイバッハはまだ走り去らず、空見灯の姿が団地の入り口に消えるまで待っていた。ようやく桐谷憂が手を上げた。
「出せ」
「はい、桐谷社長」
暁天馬は空見灯の家の方向を一瞥した。桐谷憂は空見灯に少しは情があるのかもしれない。でなければ帰宅を見届けたりしないだろう。
その頃、空見家では三人がパソコンを囲み、食い入るように桐谷憂のプロフィールを見ていた。
「桐谷グループ後継者、唯一の社長。20歳で国内最年少社長に就任、会社の利益を前年比300%増に導く……」
空見睦月は真剣に読み上げ、読むほどに驚愕した。
桐谷憂は人間か? 小説でもこんな設定ありえないだろ。
最後まで読み終えると、彼は呆然と言った。
「父さん、母さん、これおかしくない? 姉貴がこんな人と結婚できるわけないじゃん」
宝くじに当たるより難しい確率だ。
花邑栞は目を細めて画面を見た。
「下を見てみなさい。写真はないの? 写真を見ればわかるわ」
空見睦月は唇を舐め、もう一度真剣に探したが、桐谷憂の写真は見当たらなかった。
ネット上にあるとしても、ぼやけた後ろ姿だけで、正面の顔は全く見えない。
桐谷憂はプライバシーの露出を嫌い、誰かに撮られてネットに上げられれば、写真はおろか投稿者ごと全力で削除にかかる。
そのため、桐谷憂に会った者は皆その容姿を絶賛するが、誰も写真を撮ろうとせず、ましてや拡散などしないのだ。
空見睦月は口を曲げた。
「同姓同名だろ? 姉貴と篠原流輝の件は有名だし、どの金持ちが姉貴なんか相手にするんだよ」
「万が一ってこともあるわ」
花邑栞はスマホの写真を眺め、口元を緩めた。
「あんたの姉さんは私に似て美人だからね。もしかしたら金持ちが一目惚れしたのかもよ?」
「明日はみんな気を引き締めなさい。睦月、あんたの結婚資金と家は、義理のお兄様にかかってるんだからね!」
