第3章
絵里
屋上を吹き荒れる風が、氷の刃のように制服を切り裂いていく。
私は屋上の縁に立っていた。ポケットの中では、携帯が執拗に震え続けている。
ブーッ、ブーッ、ブーッ。
一体誰が、今ごろ電話してくるっていうの？
ブーッ、ブーッ、ブーッ。
その音に、頭がおかしくなりそうだった。震える手で、私は携帯を取り出した。
発信者不明。
画面を睨みつけ、指を着信拒否ボタンの上でさまよわせる。こんな時に非通知でかけてくるなんて、誰？ セールス？ 間違い電話？
『これが運命がくれた、最後のチャンスなのかもしれない』
そんな考えがどこからともなく湧いてきて、自分の必死さに笑いそうになる。けれど、何か――歪んだ好奇心のようなものが、私に応答ボタンをスライドさせた。
「もしもし……？」声がひび割れた。
『あいつらに、代償を払わせたいか？』
その声は歪められていた。何かのボイスチェンジャーを通しているのだろう。男とも女ともつかない声だったが、血の気が引くような鋭さがあった。
「だ、誰……？」
「お前の痛みを理解する者だ」声は一拍おいた。「今朝、机に赤いペンキで書かれていた『化け物』と『死ね』の文字。血を流すまで頭に叩きつけられた和也の肩。中庭で死んだ母親のために泣くふりをして、お前の真似をしていた梨乃。夕食の席で小遣いを打ち切った奈央」
携帯が手から滑り落ちそうになった。「どうして……どうしてそんなことまで知って.......」
「洗面所の鏡に貼られた、お母さんの死亡記事。赤いインクで『娘も後を追うべき』と書かれていたことも」
私はよろめき後ずさった。心臓が肋骨に激しく打ちつけられる。「ありえない。そんなこと、誰も知るはずがない。誰も」
「見ているからだ」声は不気味なほど穏やかだった。「今のお前が立っている場所に立つのが、どんな気持ちか理解できるからだ」
「嘘よ」
「そうか？」歪んだ声色には、どこか優しい響きさえあった。「息をするたびに苦痛が走り、心臓が脈打つたびに自分が完全に独りぼっちだと突きつけられる、その気持ちが私にはわかる。お前を押し潰そうとする世界から逃れる唯一の道が、死であるように思える、その気持ちがわかる」
涙が頬を伝い始めた。「やめて」
「わかるよ。なぜなら私も、まさにお前が今いる場所にいたことがあるからだ。同じ絶望。同じ無力感。自分が消えても誰も気にしないという、同じ確信」
「やめて！」私は携帯に叫んだ。
「だが、私はもう一つ別のことも知っている」声は硬くなった。「あいつらが望むもの、お前の死をくれてやることこそ、お前があいつらに与えられる最高の勝利なんだということを」
私は空いた方の手で目を拭った。絶望に代わって、混乱が心を占める。「何の話をしてるの？」
「沙耶香は、お前が自殺したと聞けば笑うだろう。和也は一週間くらいは罪悪感を覚えるかもしれないが、その後は完璧な人生を続ける。梨乃はその悲劇をネタに注目を集めるだろう。奈央は？ たぶんパーティーでも開くんじゃないか」
一つ一つの言葉が、物理的な打撃のように突き刺さる。心の奥底で、それが真実だとわかっていたからだ。
「本当の悲劇が何か知りたいか？」と声は続けた。「お前は、あいつらが決して手に入れられないものを持っている」
「何……？」私は囁いた。
『本物の痛み。本物の怒り。本物の力だ』
「私に力なんかない。私は何者でもない。ただの.......」
「お前に何ができるか、証明させてやろう」
回線が数秒間、静かになった。その時、階下の校庭のどこかから、甲高い警報が鳴り響き始めた。
屋上の縁に駆け寄り、下を見下ろした。音は生徒用の駐車場エリアから聞こえてくる。出入り口の近くに設置されたロッカーが並んでいる場所だ。
生徒たちがその周りに集まっており、沙耶香と友人たちが必死にロッカーの取っ手を引っぱっているのが見えた。
「何が起きてるの？」私は携帯に向かって囁いた。
「あいつらのロッカーの電磁ロックを作動させた。もう開けることはできない。ブランド物のバッグも、車の鍵も、大事な携帯も――すべて、中に閉じ込められた」
沙耶香が苛立ち紛れにロッカーを蹴りつけるのを、私は見ていた。あれほど完璧だった彼女の冷静さが崩れるのを、私は初めて目にした。
「どうやって.......」
「より良い問いはこうだ。俺たち二人で、他に何ができるか？」声には満足の色が滲んでいた。「お前には力があると言ったこと、今なら信じるか？」
私は屋上の縁から一歩下がる。頭が混乱していた。「あなたは誰？」
「お前が反撃するのを手伝う者だ。だがその前に、お前は選択をしなければならない」声が真剣なものに変わる。「その屋上から飛び降りて、あいつらが望む全てを与えるか。それとも、一歩退いて、あいつらが持つ全てを奪い取るか」
手は震えていたが、もはや寒さからではなかった。「本当に、反撃できると思うの？」
「できると知っている。お前には、あいつらにないものがあるからだ、お前には、もう失うものが何もない」
私は下の混乱を見下ろした。沙耶香がロッカーを爪で引っ掻き、完璧に手入れされた爪が折れるのを見ていた。
数ヶ月ぶりに、絶望ではない何かが胸の中でちらついた。
怒り。
「私にどうしろって言うの？」
「縁から離れろ。寮に戻れ。そして、これからの七十二時間、あいつらを観察しろ。行動パターンを学び、弱点を見つけろ」
「それから？」
「それから、あいつらがお前を苦しめた一瞬一瞬を、後悔させてやる」
通話は、小さなクリック音とともに終わった。
私は一人、屋上に取り残された。下からはまだ警報が鳴り響いている。ゆっくりと、縁から離れ、階段の方へ向き直った。
階段を下りながら、頭の中は疑問でいっぱいだった。この謎の電話の主は誰なのか？ どうやって私の人生についてそこまで知っているのか？ そして、どうやって学校のセキュリティシステムを操ったのか？
だが、そうした疑問は、胸の中で育ちつつある奇妙な新しい感情に比べれば、さほど重要ではないように思えた。希望ではない、もっと暗い何か。復讐のような味がする何か。
階段を半分ほど下り、角を曲がった時、私は誰かとぶつかりそうになった。
和也。
薄暗い階段の照明の中、私たちは二人とも凍りつき、見つめ合った。彼が私――生きている、そこに立っている私――を見た時、その目は大きく見開かれた。まさか……といった表情で。
「絵里」彼の声は、絞り出すようだった。
彼の表情に浮かんだ衝撃は、見間違いようがなかった。衝撃以上のもの――そこには安堵もあった。
「ここで何してるの？」私は尋ねた。ここ数日なかったほど、声は安定していた。
「俺は……俺はただ……」彼は口ごもり、手で髪をかき上げた。「警報が聞こえたから、確かめようと……」
「何を？」
彼は何か重要なこと、彼をずっと苛んでいた何かを言いたそうにしていた。口を何度か開閉させた後、彼は結局、ただ首を横に振った。
「何でもない。お前が……無事でよかった」
私が返事をする前に、彼は私を押し退けるようにして階段を駆け上がっていった。まるで何かから逃げるように、二段飛ばしで。
私は一瞬そこに立ち尽くし、今起きたことを整理していた。和也が階段にいた。屋上の近くに。まさしく、あの時間に……。
私の後をつけていたの？
その考えに背筋が寒くなったが、完全に不快なものではなかった。もしかしたら、私は思っていたほど独りではなかったのかもしれない。
私は階段を下り続けた。ポケットの中の携帯は静かだったが、なぜか心強かった。それはもはや、私の孤立を思い起こさせるだけの機械ではなかった――今は、もっと暗く、もっと力強い何かへの繋がりだ。
ついに、私に反撃する力を与えてくれるかもしれない何か。
寮に向かって歩いていると、ようやく警報が鳴り止んだ。
私は寮の自室に滑り込み、背後でドアに鍵をかけた。ここ数週間で初めて、すぐに泣き崩れることはなかった。
代わりに、私は机に向かい、ノートを一冊取り出した。
七十二時間、観察し、弱点を学ぶ。
狩りの始まりだ。
