第1章
東京中の女の子は皆、鈴木景野が大好きだ。
彼は付き合う女が多く、相手は毎週のように変わる。そのうえ羽振りが良く、必ずプレゼントを贈るからだ。
宝石、バッグ、ドレス。そのどれもが桁違いに高価なものばかりだ。
支払いがその場でなされなくても構わない。請求書を鈴木夫人に送りつければ、彼女がすべて決済してくれるのだから。
帰宅するや否や、携帯が鳴った。
帝国ホテルのチャリティー晩餐会の担当者だ。慇懃無礼な口調で、支払いは当然という態度が滲み出ていた。
「鈴木奥様でいらっしゃいますね。本日、ご主人様が落札なさいましたカルティエのネックレス、一千万円の件でございますが……恐れ入りますが、お支払いの手続きをお願いできますでしょうか」
電話を切ると、今度は秘書からメッセージが立て続けに届く。
銀座の宝飾店、六本木のクラブ、表参道のオートクチュール。ずらりと並んだ請求書の山はすべて、今月一ヶ月分の鈴木景野の散財の記録だ。
六本木ヒルズの最上階。私は別邸の窓辺に立ち、東京の夜景を見下ろした。
眼下に広がる街の灯りは、まるで無数の砕けたダイヤモンドを夜空に撒き散らしたかのように煌めいている。
今夜、帝国ホテルで開かれたチャリティーオークション。鈴木景野は予告もなく現れ、名もなき三流モデルのためにパドルを挙げたらしい。
カルティエのネックレス、一千万円。
大勢の人の前、彼は自らの手で彼女の首にそれをかけ、まるで宝物でも扱うかのように優しく触れたという。
カメラのフラッシュを浴びながら、彼はレンズに向かって笑って手を振ったそうだ。
「写真はいいけど、支払いは妻に回してくれよ。俺に請求書を送るなよ」
会場は笑いに包まれたとか。
ある令嬢が近づこうとすると、彼はわざとらしく体を逸らし、隣のモデルの腰を抱き寄せたらしい。
「今夜は、この子のために来たんだ」
使用人が夕食を運んでくる。私はダイニングテーブルについた。
視線がふと、壁にかかった油絵に吸い寄せられる。
バルセロナのサグラダ・ファミリア。七年前、鈴木景野が街角の絵描きの老人にあつらえさせたものだ。「俺たちの影を、この街に残そう」なんて言って。
今や額縁だけが立派で、絵の具はすっかり色褪せ、私たちの輪郭さえぼやけてしまっている。
私と景野は19歳の時にフランスで恋に落ち、23歳で結婚した。だが遡れば、私たちは幼馴染だった。
鈴木家と私の実家は、かつては親密な付き合いがあった。私と鈴木景野は幼い頃から共に育った仲だ。
けれど私たちが成長するにつれ、ビジネス上のトラブルで両家は決裂した。実家は大阪へ移り、絶縁状態となった。
ビジネスの場では犬猿の仲だった。プロジェクトを奪い合い、リソースを潰し合い、互いを踏みつけにするような関係だった。
17歳で私がフランスへ留学した時、鈴木景野は家業を継ぐ準備に入ると聞いていた。
まさか家族に内緒で、こっそり追いかけてくるなんて思いもしなかったけれど。
一文無しの彼は、日雇いのバイトをしながら私に付き添った。最上階のボロアパートに住み、一番安いパンにかじりつく日々。
当時の彼は、顔が良いこと以外はすべてが惨めだった。
それでも周囲は私を羨んだ。「鈴木財閥の御曹司が、家を捨ててまで君を追ってきたなんて」と。
渡仏二年目、彼は私に想いを告げた。
セーヌ川のほとりで、彼は言った。
「子供の頃からずっと、俺が欲しいのは君だけだ」
数年の間、喧嘩もしたし、泥沼のような騒ぎもあったが、私たちは互いを愛し合っていた。私の心は開いたり閉じたりを繰り返した。
23歳の時、幾多の波乱を乗り越えて、私は鈴木景野の妻になった。
その結婚式は世間を騒がせた。今でも当時の雑誌を探せば記事が見つかるだろう。
ある夕刊紙が読者の注目を集めようと、大手新聞よりもセンセーショナルで大げさな見出しを付けたことがあった。あまりに下品な記事だった。
翌朝、その記事を見た鈴木景野は、黙って読み終えると、新聞の上に水の入ったコップをドンと置いた。
私が知った時には、その号がその三流出版社の最終号となった。
過去を一つ一つ数え上げれば、私と鈴木景野があれほど深く愛し合っていたことに気づかされる。
なのになぜ、今となってはあの色褪せた絵画のように、かつての面影さえ見えなくなってしまったのだろう。
静まり返った広間。エレベーターの表示板の数字が変わり、三階で止まる。ドアが開いた。
鈴木景野が姿を現す。ジャケットを腕にかけ、ダウンライトに照らされた顔立ちは相変わらず整っている。
私は一瞥しただけで、すぐに視線をテーブルの料理に戻した。
やがて、ソファに衣服が放り投げられる音がした。
続いて、強いコロンの香りと男の体温が圧し掛かってくる。
鈴木景野は私の背後に立ち、テーブルの縁に両手をついて、私を腕の中に閉じ込めるような体勢をとった。
彼はテーブルの上のスマホを拾い上げ、秘書からの請求リストを覗き込む。
「銀座、六本木、表参道……今月は派手にやったな」
気だるげな口調で彼は言う。
「鈴木夫人はご苦労なこった。また俺の尻拭いか」
私は箸を置き、背筋を伸ばしたまま、彼の胸板とは常に距離を保つ。
彼の軽口には取り合わず、私は別の話題を切り出した。
「中村明日香を広報部のチーフに据える件ですが、承認できません。彼女の履歴書は差し戻します」
その名が出た瞬間、鈴木景野は弾かれたように体を起こした。私を包んでいた気配が霧散する。
彼は向かいの席に座り、椅子の背に腕を回して窓外の夜景に目をやった。
「彼女のことは、君が口出しすることじゃない」
「それとも——」
彼は視線を戻し、顎をしゃくって私を見た。
「彼女が気に入らないとでも?」
私は彼の瞳を見つめ、そこに何かを探そうとしたが、何も見つからなかった。
世間は鈴木景野がこの二年、女遊びが激しいと思っているが、それが中村明日香を守るための隠れ蓑だと知る者はいない。
彼は二年前に彼女を海外へ留学させ、箔をつけさせて帰国させるやいなや、グループの幹部にねじ込もうとしている。
私は彼女を敵視しているわけではない。ただの道理だ。
鈴木財閥の採用基準は厳しい。第一学位は世界ランク30位以内の大学でなければならない。
中村明日香は高卒で、18歳の頃はデパートでバイトをしていた。留学先といっても名ばかりの三流大学だ。どう贔屓目に見ても、幹部登用など説明がつかない。
私は淡々と言った。
「仕事の話をしているのです。私情は挟んでいません」
鈴木景野は黙っていたが、やがて彼のスマホから音声メッセージが流れた。
とろけるような甘ったるい声だ。
「景野、今夜のネックレス、本当に素敵……ずっと着けていたい。ずっとあなたのそばにいたいの」
わざと音量を上げたのか、私の耳には反響して聞こえるほどだった。
鈴木景野は私を見据えたまま、スマホを口元に寄せ、気だるげに吹き込んだ。
「次はもっといいのをやるよ」
私は彼の冷ややかな表情を眺めながら、かつて彼が私を愛していた頃の姿を思い出そうとしていた。
