第3章
黄昏時、私はロールスロイスの後部座席に深く身を沈めていた。手元のスマホの画面が明るくなる。
パパラッチから送られてきた写真は鮮明だった——景野と明日香が銀座のミシュラン店にいる。彼女はシャネルのスーツを着ており、彼が椅子を引いてエスコートしている。その親密な笑い合いは、まるで熱愛中の恋人同士のようだった。
「山田さん、今回の価格ですが——」
「明日、そのまま掲載して」私は彼の言葉を遮った。
電話の向こうで数秒の沈黙が流れる。
「宜しいのですか?」
「今後、もう私に連絡する必要はないわ」
通話を切る。
バックミラー越しに運転手の視線を感じる。明らかな動揺が見て取れたが、私は何も説明しなかった。窓の外では東京タワーがライトアップされ、そのオレンジ色の光暈が夜の闇の中でやけに目に痛い。
七年間で初めて、私は金を払ってスキャンダルを揉み消すことを拒んだのだ。
深夜十一時、私は車を走らせて六本木へ景野を迎えに行った。
明日香が帰国してから、彼は随分と大人しくなっていた。少なくとも、朝帰りをするようなことはない。
だが、会社の用事に便利だと言い訳して、外に借りたマンションはそのままにしている。私はそれを暴こうとはしなかった。
鈴木グループは今、多事多難な時期にある。私たちの離婚はまだ公にできない。会長との約束もあり、私は表面上の夫婦関係の体裁を維持しなければならなかった。
マンションの三十二階。エレベーターの扉が開くと、廊下に笑い声とグラスが触れ合う音が響いてきた。
ドアは半開きになっている。
入り口に立つと、リビングには七、八人の人影が見えた。皆、財界で見知った顔だ。明日香は格式高い着物を着こなし、甲斐甲斐しく中年男性に日本酒を注いでいる。
「明日香さんは実に家庭的だ」その男は笑った。「鈴木さんは幸せ者だな。未来の奥様は素晴らしい方だ」
明日香は頬を染め、恥ずかしそうに俯いて微笑む。
景野がこちらに気づいた。彼は椅子の背もたれに身を預けたまま、皆が明日香を褒めそやすのを眺めていたが、やがて重い口を開いた。
「紹介するよ。こちらが俺の妻、雪穗だ」
彼は入り口にいる私を指差した。
瞬間、リビングが静まり返る。
慌てて立ち上がる者、気まずそうにグラスを置く者。明日香の顔色は一瞬で蒼白になり、手にした徳利を取り落とそうになった。
私は景野を見つめた。彼はソファに深く腰掛け、口元に嘲るような笑みを浮かべている。
「運転手が下で待っているわ」私は淡々と言った。「お先に失礼する」
踵を返すと、明日香が追いかけてきた。
「鈴木夫人!」彼女は私の前に立ちはだかった。目元を赤くして。「申し訳ありません、本当に……あなたがいらっしゃるとは知らなくて——」
「どいて」
「私は本気で景野さんを愛しているんです!」彼女の声が震える。「もし私がもっと早く彼に出会っていれば、今彼の隣にいるのは私だったはず——」
私は彼女を品定めした。エルメスのバッグ、ティファニーのネックレス、カルティエのブレスレット。
二年前、銀座のクラブで配膳をしていた頃の彼女は、安っぽい制服を着て、卑屈な笑みを浮かべていたものだが。
「話は終わった?」私は彼女の脇をすり抜ける。
「景野さんと離婚してください!」背後で彼女が取り乱して叫ぶ。「彼を解放してあげて!」
私は振り返らなかった。
エレベーターの扉が閉まる時、彼女の泣き声が聞こえた。建物中に響き渡るような、大きな泣き声だった。
マンションの一室では、誰かが景野に離婚するのかと尋ねていた。
彼はスマホの画面を見つめる——明日のトップニュースのプレビュー画面が送られてきていた。写真には、銀座の街を並んで歩く彼と明日香の姿がある。
「離婚?」彼はウイスキーを掲げ、笑った。「君もまだ若いな。わかってない。彼女と妻というのは、別物なんだよ」
再び、乾杯の音が響いた。
翌日の午後、私が離婚することを知ったのは、鈴木家の中で景野が最後だった。
松本桜が電話でそれを告げた時、彼は帝国グループの本社で会議中だった。
「お祖父様も同意したわ」桜の声は冷静だった。「雪穗姉さんの離婚、もう会長が同意したから」
スマホを握る景野の手が凍りつく。
「いつの話だ」
「昨夜、あなたが六本木でパーティーを開いていた時よ」
彼は電話を切り、窓外に目をやった。東京の空は今にも雨が降り出しそうなほど、どす黒く曇っていた。
桜が帝国グループのビルを出ると、入り口で明日香と鉢合わせた。
「松本さん」明日香は彼女の行く手を阻み、勝ち誇った笑みを浮かべた。「雪穗さんが離婚するそうですね?」
桜は足を止め、冷ややかな視線を彼女に送る。
「嬉しい?」
「景野さんはやっと自由になれたんです」明日香は顎を上げた。「私たちは——」
「何様のつもり?」桜が言葉を遮る。「体を売ってのし上がったあんたみたいな浮気相手が、自由なんて語る資格があると思ってるの?」
明日香の顔が赤くなった。
「私と景野さんは、真実の愛で結ばれているんです!」
「そう?」桜は鼻で笑った。「なら教えてあげる。どうして彼が昨夜、皆の前で雪穗姉さんを『妻』だと紹介したか、わかる?」
明日香は言葉に詰まる。
「あなたに恥をかかせたかったからよ」桜は彼女に歩み寄り、声を潜めた。「あなたは単に、雪穗姉さんを刺激するための道具に過ぎないの。自分を重要人物だと勘違いしないことね」
言い捨てると、桜は彼女を追い越して去っていった。
明日香はその場に立ち尽くし、顔色を失っていた。
二年前、彼女は東京タワーの下で誓った。六本木の高級マンションに住み、ハイブランドを身につけて、上流社会の仲間入りを果たすのだと。
今、彼女はそのすべてを手に入れた。
クローゼットにはシャネルやディオールが溢れ、ドレッサーにはドゥ・ラ・メールのセットが並び、手首には景野から贈られたカルティエが輝いている。
このすべてを、失うわけにはいかない。
