義父に恋をした

義父に恋をした

拓海86 · 完結 · 31.3k 文字

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紹介

9年前、先天性心疾患で死にかけていた私を、彼が救ってくれた。両親の交通事故で全てを失った私にとって、このハンサムで厳格な心臓外科医は義父となった。

12歳から21歳まで、私は彼が若い医師から市内最年少の部長へと成長していく姿を見守ってきた。そして私も、保護が必要な少女から、彼の視線を逸らさせる女性へと成長した。

愛してはいけない人に、私は絶望的に恋をしてしまった。

19歳のあの夜、私は勇気を振り絞って告白した。「私はあなたの女性になりたい。もう義理の娘ではなく」

しかし彼は冷たく拒絶した。「もうやめなさい。君はただの友人の娘だ。君に対する私の気持ちは純粋に責任感だけだ。本当に私が君を救ったことに感謝しているなら、そんなばかげた妄想は忘れてくれ。」

それなのに、あの酔った夜、彼が私を別の誰かだと思っていた時...なぜ彼のキスはあんなに情熱的だったのか?なぜ彼は情熱の中で私の名前をつぶやいたのか?

チャプター 1

絵里視点

「あんた正気なの!? アフリカよ? エボラ出血熱が発生してるのよ!」

 私は肩と耳で携帯を挟み込み、重いスーツケースを引きずりながら空港の出発ロビーを歩いていた。巨大な床から天井までの窓から午後の強い日差しが差し込み、地面にまだらな影を落としていたが、私の胸に重くのしかかる暗い雲を払いのけることはできなかった。

「梨乃、もうやめて」私は下唇を噛み、声の震えを抑えながら言った。「決心は変わらないから」

「あのクソ野郎のせいで? お願いだから、絵里、目を覚まして! あいつにそんな価値は.......」

「わかってる!」思わず叫んでしまい、何人かの旅行客が振り返って私を見た。深く息を吸い、声を潜める。「彼が婚約することも、菜々緒がどんな女かも、わかってる。でも……」

『でも、知っていることと、それを自分の目で見ることは、全く別のことなんだ』

「ねえ、聞いて。男一人のためにアフリカにまで行く必要なんてないのよ。和也はあなたに何の約束もしてくれなかったじゃない。どうして.......」

「もういいって言ってるでしょ!」私はほとんど絶叫していた。「私は何も逃げてなんかない、梨乃。人の命を救いに行くの。意味のあることをするために。あそこでは医者が必要なの。私の技術が」

『本当に? それとも、ただできるだけ遠くに逃げたいだけ?』

 数秒の沈黙の後、梨乃の声が優しくなった。「絵里……まだ二十一歳なのよ……」

「もう大人よ」私は乱暴に電話を切った。

 ゲート近くの席を見つけ、そこに崩れるように座った。搭乗まであと二十分、この息の詰まる場所から、やっと永遠に逃げられるまでの、二十分。

 高鳴る心臓を落ち着かせようと目を閉じたが、頭上からの声に、私ははっと目を開けた。

「ただいまより、B市を代表する名門医療一族、五条家の婚約披露宴の模様を、会場から生中継でお伝えします……」

 全身の血が凍りついた。

 ゆっくりと顔を上げると、テレビ画面に映し出された映像が、刃のように私の心を突き刺した。

 壮麗な五条家の屋敷の中、クリスタルのシャンデリアが煌びやかに輝いている。和也は完璧に仕立てられた黒のタキシードを身にまとい、背筋を伸ばしていた。ライトの下、その横顔は大理石の彫刻のようだった。

 彼の隣には菜々緒が立っていた、絹のように肩に流れる金色の髪。空色のドレスは彼女をまるで天使のように見せていた。優雅な首筋には、ダイヤモンドのネックレスが煌めいている。

 無意識に自分の喉に手が伸びる。そこには何もない。

『これが、私が決して手の届かなかった世界……』

「B市最年少の心臓外科部長である五条和也さんが、本日、邸宅で盛大な婚約式を執り行っています……」

 カメラは菜々緒へのインタビューに切り替わった。その完璧すぎる笑顔に、私は吐き気がするほどの嫉妬を覚えた。

「五条菜々緒さん、この度の婚約についてのお気持ちをお聞かせいただけますか?」

「はい、もちろんです」菜々緒の声は柔らかく、耳に心地よかった。「和也は、私に本当の愛とは何かを教えてくれました。互いの尊敬と、共有する夢の上に築かれる、深い絆のことです」

 私の両手が震え始め、カップの中のコーヒーが揺れた。

『互いの尊敬? 共有する夢? じゃあ、私は? 彼にとって、私は何だったの?』

「お二人をこの瞬間に導いたものは何だと思われますか?」

 菜々緒は軽く笑った。「良い愛は、熟成するのに時間が必要なんです。この時間が、私たちがお互いにふさわしいと、より確信させてくれました。和也は今、自分が本当に何を望んでいるのかをわかっているんです」

 時間?

 私は九年間も捧げた! 十二歳から二十一歳まで、私の青春のすべてを、鼓動のひとつひとつを、夢のすべてを捧げたのに! それに対して、彼は私に何をくれたっていうの?

 ガシャン!

 コーヒーカップが手から滑り落ち、黒い液体が床に弾け、私の白いスニーカーに飛び散った。熱いコーヒーに、思わず息を呑む。周りの旅行客たちが、こちらを見てひそひそと囁いている。

 でも、私はただテレビ画面を見つめていた。カメラは式典の様子に戻っていた。司祭が、華やかに飾られた祭壇の前に立ち、その表情は厳かで神聖だった。

「では五条和也さん、花嫁となる方にキスを」

 やめて。

 いや、やめて、やめて。

 和也がゆっくりと菜々緒の方を向き、その両手で優しく彼女の顔を包み込む。あの手、手術台で私の命を救ってくれたのと同じ手。熱を出した私の額に触れてくれた手。私が泣いているときに、ティッシュを差し出してくれた、あの手が。

 今、その手は、別の女性の頬を優しく撫でている。

 時間が凍りついたようだった。私は和也が身をかがめ、その唇が菜々緒に向かっていくのを見ていた。彼女が目を閉じ、その顔が幸福に満ちていくのを見ていた。

 教会が割れんばかりの拍手と歓声に包まれるのを見ていた。

『そして私はここで、まるで部外者のように、冷たい画面を通してそのすべてを見ている』

 誰かに素手で心臓をえぐり出され、踏みつけられたような気がした。胸の中は空っぽで、痛みだけが響いていた。

「お客様? 大丈夫ですか?」

 ぼんやりと顔を向けると、制服を着た航空会社の職員が、ティッシュを手に心配そうに私を見ていた。

「……大丈夫です」

 機械的にティッシュを受け取り、しゃがみ込んでコーヒーとガラスの破片を片付けた。涙で視界がぼやけ、震える指先でガラスの破片がキラリと光る。

『泣くな。五条絵里、ここで絶対に泣いてはいけない』

 そう、私は五条、まあ、それは美しい嘘でしかなかったけれど。

 九年前の記憶が、潮のように押し寄せてくる……。

 手術台の上で、心電図モニターがけたたましくアラームを鳴らしていた。胸が押しつぶされるように痛くて、息ができなくて、何もかもが霞んでいた。

「パパ! ママ!」十二歳の私は泣きながら、何かに掴まろうと手を伸ばしていた。

 その時、温かくて大きな手が私の手を取った。

「絵里、僕を見て」その声は落ち着いていて、優しかった。「僕は五条和也。ご両親から、君の面倒を見るように頼まれたんだ。ずっとそばにいるから、ね?」

「……私の、新しいパパになってくれるの?」

 その深い灰色の瞳に何かが揺らめき、そして彼はそっと言った。「僕は君の名付け親だよ、絵里。ずっと君を守るから」

 名付け親。

 なんて皮肉な言葉だろう。それは守りと愛を意味するはずだったのに、私たちの間にある、決して越えられない溝となった。

 私はゆっくりと立ち上がり、待合室の隅にある空いた椅子へと歩いた。膝を抱え、腕に顔をうずめると、周りの喧騒が遠のいていく。

 九年間、私の世界にはたった一人しかいなかった。

 私の最も暗い瞬間に現れた人、ずっと守ると約束してくれた人、骨の髄まで愛しているけれど、決して手に入れることのできない人。

 今、彼はテレビの中で別の女性にキスをし、私は馬鹿みたいに空港の隅に座っている。

 あの辛い夜が、鮮明に蘇ってきた……。

「和也、愛してる」私はありったけの勇気を振り絞って、彼の目をまっすぐに見た。

 彼の表情は、瞬時に冷たくなった。「絵里、自分が何を言っているのかわかっていない」

「わかってる! もう大人だもの。愛が何かくらいわかるわ!」

「いや、わかっていない」彼の声は厳しかった。「君はただ、感謝と愛を混同しているだけだ。僕は君の名付け親なんだよ、絵里。いつまでも、ただの名付け親だ」

「でも、私は.......」

「もういい」彼は冷酷に私を遮り、その瞳の氷のような冷たさに私は身震いした。「二度とそんな馬鹿げたことは聞きたくない。僕が君を救ったことに本当に感謝しているなら、その馬鹿げた考えは忘れてくれ」

 その瞬間、私は彼にずたずたに引き裂かれたような気がした。

 今でも、あの骨身に染みる冷たさを感じることができる。

 バッグの中で携帯が狂ったように震えた。震える手で取り出すと――画面には和也の名前が点滅していた。

 その名前を見つめていると、ついに涙がこぼれ落ちた。

『婚約式の最中に、私に電話してくるの?』

『どれだけ幸せか、伝えたいの?』

『それとも、私が永遠にただの部外者だってことを、思い出させたいの?』

 携帯は何度も何度も鳴り続け、その着信音ひとつひとつが私の胸を打ちつけた。

 いや。

 彼の声は聞かない。

 彼が口にするであろう、どんな丁寧な「祝福」の言葉も聞きたくない。

 彼にこれ以上、私を傷つける機会は与えない。

 まるでそれですべてを断ち切れるかのように、力強く電源ボタンを長押しした。

 画面が暗転する。世界が静かになった。

「アフリカン航空、キンシャサ行きAA7809便は、ただいまより搭乗を開始いたします。ファーストクラス、ビジネスクラスをご利用のお客様は、ゲートまでお進みください……」

 アナウンスが、私を痛みの中から現実へと引き戻した。顔の涙を拭い、深く息を吸って、立ち上がる。

「さよなら、和也」私は囁いた。「今度こそ、あなたのことを完全に忘れるから」

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