第2章
ソーシャルメディアの熱気は、かつてないほど高まっていた。
私はスマホの画面を更新しながら、#平世圭の初恋 のハッシュタグが燃え上がり続けるのを見ていた。
一日も経たないうちに、あの謎のマスク美女の正体はネットユーザーによって根こそぎ暴かれていた。
「凛ちゃん! 大ニュース!」
千崎初華がLINEで立て続けにメッセージを送ってきた。
「あのマスクの子、中崎立希だったよ! オーディション番組出身の!」
リンクを開くと、エンタメニュースの記事が目に飛び込んできた。
《謎の女性の正体判明! 中崎立希がSTARDUSTのボーカル平世圭と交際か》
中崎立希。富豪の娘で、愛のために夢を追いかける努力家のアイドル。
彼女のことは覚えている。いつもファッション雑誌の表紙を飾っている、あの完璧な女の子だ。
コメント欄はすでに沸騰していた。ある人が、中崎立希が少し前に『音楽ウィークリー』で受けたインタビューを掘り起こしていた。
「私、ずっと一人の人のために音楽の世界に入ったんです。あの人は正真正銘の音楽の天才です」
ファンたちは彼女のSNSに次々とコメントを残していた。
「平世くんの彼女、すごく綺麗」
「お幸せに」
「生まれながらの音楽家カップルだね」
私はスマホを閉じ、胸に鈍い痛みを感じた。
東京のカフェで、私と千崎初華は向かい合って座っていた。
今日が、私がファンクラブの管理権を正式に彼女に引き継ぐ日だった。
「本当に、もう一度考え直さなくていいの?」
千崎初華は私が差し出したUSBメモリを受け取った。中にはファンクラブの全資料が入っている。
私は首を横に振り、静かに言った。
「私より、初華の方がこの場所にふさわしい」
カフェのBGMがちょうど『君の世界を聴かせて』に切り替わり、その聞き慣れたメロディーに一瞬、意識が遠のいた。
「え、凛ちゃん、補聴器つけてるの?」
千崎初華が突然、私の耳の後ろにある小さな装置に気づき、驚いたように尋ねた。
私は頷き、笑って言った。
「どうして、耳がよく聴こえないと音楽を好きになっちゃいけないの?」
軽口を叩くと、初華の緊張もほぐれたようだった。
隣のテーブルの女子高生たちが何やら熱心に話し込んでいて、無意識のうちに声が大きくなっている。
「あの回の『スターライトミュージック』見た? 中崎立希と平世圭の合同インタビュー!」
「見た見た! 本当にお似合いだよね!」
「立希ちゃん、高校生の時から平世くんのこと好きだったんだって!」
千崎初華が同情的な視線を向けてくるのを、私はどうにか微笑んで受け流した。
「凛ちゃんは、STARDUSTのファンになったのはいつなの?」
彼女は私の気を逸らそうとした。
「七年前」
私は考えもせずに答えた。
「七年?」
千崎初華は眉をひそめた。
「でも、STARDUSTがデビューしてまだ四年だよ」
私はハッとして、すぐに無理やり説明した。
「ううん、彼がまだインディーズバンドだった頃から注目してたってこと」
十七歳のあの夏から、今の二十四歳まで。確かに、丸七年だ。七年前の彼はまだ星奏高校の普通の生徒だったのに、今では、何万人もの注目を集めるステージの真ん中に立っている。
「ファンクラブ、辞めて後悔しない?」
千崎初華が尋ねた。
私は首を横に振った。
「後悔はしない」
私はただ、黙って彼を好きでいられればそれでいい。
家に帰り、私はLINEアカウントを開いて、その名前までスクロールした——平世圭。
このアカウントは、まだ高校生だった頃に授業のノートを借りるという口実で交換したものだ。あの頃の彼はいつも詳しいノートを貸してくれて、私が読みやすいようにと、わざわざ丁寧な字で書いてくれた。
今の彼は仕事専用のアカウントを持っているだろうから、このアカウントはもう使われていないのかもしれない。
私はトーク画面を長い間見つめ、勇気を振り絞って一行打ち込んだ。
「新曲、すごく心に響きました」
送信ボタンを押した瞬間、後悔した。こんなに何年も経っているんだ。彼が私のことなど覚えているはずがない。
しかし、予期せぬことが起きた。
十秒後、返信が来た。
「ありがとう」
そして、すぐにもう一件。
「聴こえた?」
私の心臓が、急に速くなった。
手が微かに震える。彼がどういう意味で言っているのか、確信が持てない。
彼は、私のことを、彼の歌を聴いたかと訊いているのだろうか? それとも……。
「聴こえました。あなたの歌、すごく素敵です。今はいろんな所であなたの歌が流れてますね。おめでとうございます」
私は慎重に返信した。
相手からの返信はしばらくなく、私はほとんど息を止めて待っていた。
やがて、彼から返信があった。
「おやすみ」
私はその数文字を、長い間見つめていた。
もしかしたら、七年間の片想いの果てにおやすみの一言をもらえたことが、もう最高の結末なのかもしれない。
少なくとも、まだ何かは残っていたのだから。








