第7章

ラーメン屋には濃厚なスープの香りが立ち込めている。私の向かいには神代良佑が、隣には神代史人が座っていた。

店主は顔中皺だらけの老人で、神代史人が入ってくると目を輝かせた。

「おっ、史人じゃないか!」

店主は愛想よく声をかけ、私たちが注文していない小皿をいくつか運んできた。

「こいつはサービスだ」

「サンキュ、おっちゃん」

神代史人はにっと笑った。

神代良佑はラーメンを数口食べただけで箸を置き、顔色を少し青くしている。それに気づいた神代史人は、何も言わずにミネラルウォーターのボトルを差し出した。

「こういう所の飯は口に合わねぇか?」

神代史人は少しからかうような口調で言った。

神代良佑は首を横に振る。

「少し気分が悪いだけです」

「佐藤さんに迎えに来てもらうか?」

神代史人はそう尋ねたが、その声色には紛れもない心配が滲んでいた。

「いえ、結構です」

神代良佑はきっぱりと断ると、私に視線を向けた。

「温井さん、あなたは史人兄さんとどういうご関係なんですか?」

不意にそんなことを訊かれ、私は一瞬言葉に詰まった。

「二度、助けていただきました」

私は落ち着いて答える。

「とても感謝しています」

「ほう? 助けた?」

神代良佑は神代史人に目をやり、その眼差しは複雑な色を帯びていた。

神代史人は肩をすくめる。

「大したことじゃねえよ。こいつが虐められてるところに、たまたま通りかかっただけだ」

彼は一拍置いて、口の端に悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「もっとも、この嬢ちゃん、自分を虐めてた連中に刃物向けるんだから、たいしたタマだけどな」

神代良佑の目が揺らめいた。

「そんなこと、全く知りませんでした」

「知るわけねえだろ。お前がいつそんなことに興味を持った?」

一瞬、空気が張り詰めた。

その時、ラーメン屋のドアが押し開けられ、スーツ姿の中年男性が入ってきた。

「良佑坊ちゃま」

その声は厳粛で恭しい。

「旦那様がお迎えに上がるよう、私を寄越されました」

「佐藤さん」

神代良佑は立ち上がった。顔見知りなのだろう。

佐藤さんの視線が神代史人を捉え、その目には侮蔑の色がよぎった。

「史人さん、良佑坊ちゃまをこのような場所にお連れするべきではございません」

神代史人に対する呼び方や口調が、神代良佑に対するものとは明らかに異なり、敬意が欠けていることに私は気づいた。

私は思わず立ち上がり、神代史人の前に立ちはだかる。

「神代良佑さんがご自分でついて来られたんです。史人さんは関係ありません」

佐藤さんは眉をひそめて私を見下ろし、明らかに私の介入を快く思っていないようだった。

神代史人が私の背後で笑いながら言った。

「お前のそのちっこい体で誰が守れるってんだよ」

私は振り返って彼を睨みつけた。内心、腹が立っていた。

どうして彼は自分のために弁解しないのだろう?

神代良佑は佐藤さんのそばへ歩み寄り、はっきりとした口調で言った。

「僕が自分からついて来たんです。兄さんとは関係ありません」

佐藤さんは肯定も否定もせず、ただ神代良佑を促した。

「お戻りください。お屋敷でお客様がお待ちです」

神代良佑は頷き、最後に私と神代史人を一瞥すると、佐藤さんに続いてラーメン屋を去って行った。佐藤さんは終始、一言の謝罪もなかった。

店には私と神代史人だけが残された。

私はまだ腹が立っていて、頬が熱かった。

神代史人が突然、冷えたコーラの缶を私の頬にぴたりと当てた。

「顔、真っ赤じゃねえか。何にそんなに怒ってんだか」

「どうして何も言わないんですか?」

私は問い詰めた。

「彼が自分でついて来たって、本当のことなのに」

「俺に口がついてねえからか?」

神代史人はふざけたように答えた。

私は腹が立って言葉も出なかった。

「怒んなよ」

神代史人はため息をついた。

「良佑は顔もいいし、性格もいい、成績もいい。あいつらがアイツを大事にするのは当然だろ」

その言葉を口にしている時、史人の顔には相変わらず気だるげな笑みが浮かんでいたが、その手が微かに震えているのに私は気づいた。

「感謝してるからって、俺にそんなに良くする必要はねえよ」

彼は続けた。

「俺なんざ欠点だらけで、唯一良いところを挙げるとすりゃ、たまに善意を振りまくことくらいだ」

私は深く息を吸い込み、彼にいくつかのことを伝えようと決めた。

「私が生まれた時、母は私を絞め殺しかけたそうです。男の子が欲しかったから」

私は静かに言った。

「母は私に援助交際をさせようとしました。でも、私は自力で逃げ帰りました。家族は私に学校へ行ってほしくなかったから、私は自分で学費を稼ぎました」

私は彼の目を見つめる。

「あの日、母を止めてくれたあなたが、どれほど英雄に見えたか、あなたには永遠に分からないでしょう」

神代史人の表情が固まった。

「神代良佑さんは、とても素敵な人です」

私はそっと言った。

「でも、たとえ彼がこの世界で一番素晴らしい人だとしても、私が追い求めたい光ではありません」

「あなただけが……」

史人が私の追走を喜んでくれるのか分からず、これがただの私の意地に過ぎないのではないかと、少し怖くなった。

神代史人は突然、大声で笑い出した。

「光だなんて言われたのは、俺も初めてだ」

彼は首を振る。

「お前、ほんと変な意地っ張りだな」

彼は一呼吸置いて、付け加えた。

「まあ、俺に似てるけどな」

彼はとても暖かく笑った。心から楽しそうだった。

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