第4章

午前四時。古びたアパートを照らすのは、頼りないデスクランプの光だけだった。

長谷川冬月の雑誌の写真をしまい込み、無理やり現実に意識を戻す。がたつくテーブルの前に座り、目の前に広げられた請求書の山を睨みつけた。家賃、光熱費、クレジットカードの最低支払額――その一つ一つの数字が、刃物のように胸に突き刺さる。

「あと三百ドル足りない……」

電卓を叩く指が震える。

「三百ドルあれば、今月を乗り切れるのに」

突然、鋭く突き刺すような音で携帯が鳴った。

画面に目を落とし、心臓が止まるかと思った。

長谷川冬月。

二度と目にすることはないと思っていた名前が、画面で点滅している。

通話ボタンの上で、指がまる五秒間もさまよった。

「もしもし?」

声がひどく震えた。

「明日の朝、臨時のアシスタントが必要になった」

長谷川冬月の声は低く、冷たく、世間話など一切なかった。

「一日で千ドルだ」

千ドル。

息が詰まった。その数字が頭の中をぐるぐると駆け巡る。千ドルあれば、今月の問題はすべて解決できる。B市の路上で、深夜の配達に震えることもなくなる。

でも、これは長谷川冬月のお金だ。

「あなたの施しなんていらない!」

三年間溜め込んできたプライドと痛みが、言葉になって噴き出した。

電話の向こうで、数秒間の沈黙が流れる。

「明日の朝九時。中央公園だ」

長谷川冬月の声は、さらに冷たくなっていた。

「これは施しじゃない、神谷綾羽。仕事だ」

通話が切れた。携帯を握りしめる手が、激しく震える。

千ドル。

テーブルの上の請求書に目を落とすと、涙が静かに頬を伝った。歯を食いしばる――いいわ、このお金は必要だ。

翌朝、午前八時五十五分。私はユニタロ本社の前に立っていた。

唯一まともな黒いスーツを着ていた。三年前の『パルス』時代に着ていた遺物で、今では肩は色褪せ、袖口はほつれている。

周りを行き交うファッション業界のエリートたちと比べれば、私はまるで白鳥の群れに迷い込んだみにくいアヒルの子のようだった。

「長谷川冬月のアシスタントの方ですか?」

受付の女性が、あからさまに疑いの目を向けて、私を頭のてっぺんからつま先まで見下ろした。

「はい」

背筋を伸ばし、かつての自信を少しでも取り戻そうと努めた。

エレベーターが二十一階で止まる。ドアが開くと、見慣れたあの姿が目に入った。

長谷川冬月が会議室の入り口に立っていた。完璧に仕立てられた紺色のスーツを着こなし、その細部に至るまで成功者の自信と気品を放っている。

彼がこちらを向いた時、その深い瞳に心臓が止まりそうになった。

「来たか」

彼の声は恐ろしいほどに穏やかだった。

「私はもう何年もファッション業界から離れています。どうしてアシスタントなんて……」

平静を装おうとしたが、声はやはり震えていた。

「俺のそばで、言うことを記録してくれればいい」

長谷川冬月は私にタブレットを手渡した。

「他のことは気にするな」

会議室では、ユニタロのクリエイティブディレクターが新シーズンの広告コンセプトを発表していた。私は長谷川冬月の隣に座り、細部まで記録しようと集中したが、彼の存在が私の注意を完全に奪っていた。

彼の手が時折テーブルの上を動き、長い指が表面をタップする――彼の考え事の癖だ。三年経っても、まだこれをやっていた。

「今回のコレクションのコアコンセプトは『再出発』です」

クリエイティブディレクターが言った。

「過去の制約から解き放たれ、全く新しい自分になる、ということです」

私のペンが止まった。

再出発。

もし私が再出発できるなら、今の何も持たない神谷綾羽のままでいるのだろうか。

「どう思う?」

長谷川冬月が突然こちらを向いた。その瞳には、私には読み取れない感情が宿っていた。

「とてもいいと思います」

私は無理に笑顔を作った。

「意味のあるコンセプトですね」

クリエイティブディレクターが驚いたように私を見た。

「あなたも以前、ファッション業界に?」

心臓が締め付けられる。彼らは私に気づくだろうか?三年前の『パルス雑誌』の神谷綾羽を思い出すだろうか?

「彼女は以前、ファッション業界で働いていた」

長谷川冬月が静かに言った。

「今は俺のアシスタントだ」

アシスタント。

その言葉が、針のように私の胸を突き刺した。かつて、長谷川冬月は私が育てたモデルだった。今、私は彼のアシスタントだ。

会議が終わり、私たちは階下で待っていた高級車へと向かった。

運転手が恭しくドアを開けてくれる。乗り込む前に一瞬ためらった。車内は広々としていたが、長谷川冬月と二人きりの密閉された空間で、彼の纏う懐かしいコロンの香りに包まれると、呼吸すら困難になった。

「初めて一緒に車に乗った時のこと、覚えてるか?」

長谷川冬月が突然、三年前のような優しい声で言った。

私の体は瞬時にこわばった。

忘れられるわけがない。私たちが付き合い始めて最初の週末だった。私は自分のマセラティを運転して、長谷川冬月を白砂島のビーチへ連れて行った。彼は助手席で、子供のようにはしゃぎながら、潮の香りをしきりに褒めていた。

「どうして忘れられる?全部、心に刻み込まれてる」――そんな言葉が胸の中で渦巻いたが、私はただ冷たく言い放った。

「それは過去のことよ、長谷川冬月」

車が赤信号で止まる。長谷川冬月が突然、私の肩にかかった髪を払うために手を伸ばしてきた。

「髪、まだこんなに柔らかいんだな」

彼の指が優しく私の髪に触れる。

「お前の髪を編んでやるのが好きだったこと、覚えてるか」

やめて。そんなことをされたら、自分を抑えられなくなる。

私は彼の手から身を引いた。声が震える。

「今はただの雇用関係です。距離を保ってください」

長谷川冬月の瞳に一瞬、傷ついたような色が浮かんだが、すぐに無表情に戻った。

「すまない、踏み込みすぎた」

彼はシートに背を預け、窓の外を眺めた。

「少し、昔を思い出していただけだ」

車内は死のような沈黙に包まれ、私の速い鼓動だけが耳元で鳴り響いていた。

車が止まり、長谷川冬月は私をレストランへと連れて行った。

ウェイターが恭しく私たちを窓際のテーブルへ案内する。長谷川冬月は手慣れた様子で注文をした。

「ホワイトアスパラガスの黒トリュフ添え、ガーリックバターロブスター、それから……」

彼は一度言葉を切り、私を見た。

「ブラッドオレンジのスフレを」

私は驚いて彼を見上げた。

ブラッドオレンジのスフレ――私の大好物のデザート。三年前、彼は私の味覚を独り占めしたいと言って、毎週末これを手作りしてくれた。

「どうしてまだ私の好きなものを覚えてるの?」

声がほとんど震えていた。

長谷川冬月はワインリストを置き、私を深く見つめた。

「お前のことは、全部覚えてる」

なぜ、こんな風に私を苦しめるの?なぜ、私のことを忘れられないの?

ロブスターが運ばれてくると、長谷川冬月は巧みに殻を剥いてくれた。その動きは優しく、集中的で、まるで三年前の数えきれないほどの暖かい夜のようだった。

「やめて」

声が詰まり始めた。

「私たちはもう、ありえないの」

「なぜありえない?」

長谷川冬月は手を止め、私の目をまっすぐに見た。

「教えてくれ、神谷綾羽。なぜ俺のもとを去ったんだ?」

涙が目に溜まる。必死に、こぼれないように堪えた。

「だって、私たちは釣り合わないから。だって私は……」

言い終わる前に、背後から聞き覚えのある声がした。

「お二人の再会をお邪魔して申し訳ない」

振り返ると、森本悠斗がイタリア製の手作りスーツを着て私たちのテーブルに近づいてきた。私の借金、そして私自身――を所有する不動産王。その顔には偽りの笑みが浮かんでいるが、瞳には冷たい独占欲が表れていた。

「森本悠斗、どうしてここに?」

私の声はパニックに満ちていた。

森本悠斗は私の隣まで歩いてくると、遠慮なく私の腰に腕を回した。強引で、所有権を主張するような仕草だった。

「婚約者を迎えに来たんだよ」

森本悠斗は長谷川冬月に挑戦的な笑みを向けた。

「お仕事の邪魔をして申し訳ない」

長谷川冬月の顔が瞬時に曇った。

「婚約者?」

彼の声は危険なほど低かった。

「終わった……」

私の心はどん底に沈んだ。

「その通りだ」

森本悠斗は得意げに告げた。

「来月、結婚するんだ。そうだろ、綾羽?」

反論したかったが、森本悠斗の腕の力に、振りほどくことはできなかった。それ以上に、長谷川冬月の瞳に浮かぶ怒りと失望が、剣のように私の心を貫いた。

「そろそろ失礼するよ」

森本悠斗は長谷川冬月に偽りの笑みを向けた。

「うちの婚約者が世話になったな」

森本悠斗の車で、私は長谷川冬月から無理やり引き離された。

バックミラー越しに、レストランの入り口に一人で立つ長谷川冬月の姿が見えた。その姿は、陽光の中でひどく怒り、そして絶望しているように見えた。

「あの元カレは、まだお前が自ら俺と一緒にいると思ってるのか?」

森本悠斗は得意げに言った。

「かなり怒ってたな」

「森本悠斗、黙って!お願いだから!」

私は苦痛に顔を覆った。

「契約を忘れるなよ、神谷綾羽」

森本悠斗は冷たく言った。

「お前の父親の五百万ドルの脱税の借金、母親の心臓移植の手術費用――これら全部、お前が従順でいるかどうかにかかってるんだぞ」

刑務所にいる父、末期の心臓病で移植を待つ母、そして私――森本悠斗の操り人形。

「もうやめて……」

私は必死に低い声で懇願した。

バックミラー越しに、長谷川冬月が混乱と痛みに満ちた顔で私たちを追いかけてくるのが見えた。

彼はきっと、なぜ私が森本悠斗と一緒にいるのか、なぜ彼に嘘をついたのか、疑問に思っているに違いない。

「長谷川冬月、私を探さないで。この厄介事に関わらないで」

私は心の中で静かに叫んだ。

森本悠斗の車に乗り、バックミラー越しに遠ざかっていく長谷川冬月の孤独な姿を見つめながら、涙が止めどなく流れた。

「ごめんなさい、長谷川冬月。またあなたを傷つけなければならない。今日の美しさは、ただの夢だったことにして。どうか私を忘れて、あなたの成功した人生を生きて」

前のチャプター
次のチャプター