第106章

黒川颯は一瞬呆然とした。助手席の羽鳥汐里が再び声を上げる。

「颯兄さん、助けて、助けて……」

黒川颯はもう迷わなかった。自分のスーツジャケットを掴むと羽鳥汐里を包み込み、抱きかかえて車から出た。

伊井瀬奈の全身はすっかり冷え切っていた。雨の幕越しに、彼が羽鳥汐里を抱いて命懸けで走る姿を見つめる。彼はきっと焦っているのだろう。携帯電話が水たまりに落ちても、拾う暇さえないほどに。

ゴルフ場での羽鳥汐里の冗談が、こんなにも早く現実になるなんて。彼は本当に、こんな寂れた道に自分を置き去りにした。慰めの言葉一つもなしに。

伊井瀬奈は全身の力が抜け、泣く気力さえ失っていた。

彼女は...

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