第2章
「私たち、狙われてる」
スマートフォンの画面に浮かぶ不吉なリンクを見つめ、私は絞り出すように言った。
この桜アパートの四一二号室は四人部屋だが、今ここにいるのは私、白川杏子と柳沢明日香、そして川崎美奈の三人だけ。四人目のルームメイトである荒木千夏は、四階の共同シャワールームでシャワーを浴びている最中だ。
彼女はいつも入浴が長く、平気で一時間を超えることもある。
正直に言って、私たちは千夏とそれほど親しいわけではない。普段はほとんど会話もなく、ただ書類上のルームメイトというだけの関係だった。
「千夏はまだシャワー中よ」
腕時計に目をやると、すでに四十分が経過している。
「こんな時なんだから、呼びに行った方がいいんじゃない?」
しかし、川崎美奈は静かに首を横に振った。
「今、一番危険なのは私たち三人よ。あのリンクには、はっきりと私たちの名前が書かれていた。彼女の名前はなかったわ」
美奈の言うことにも一理ある、と私は思った。
私たちが次の一手について話し合っていると、スマートフォンの通知音が短く鳴った。今度は荒木千夏からのメッセージだ。そこにも、一本のリンクが添付されていた。
【これ見た? なんかホラー系の生配信みたいなんだけど……】
リンクをタップすると、画面にはすぐに血のような赤色で書かれたタイトルが現れた。
【百鬼夜行ゲーム開始、式神によるランダムハント生配信】
配信画面には、身の毛もよだつ光景が広がっていた。ぼんやりとした黒い影が何かの祭壇の前に立ち、その周囲には数十枚ものきらめく御札が宙を舞っている。やがて黒い影はすっと手を伸ばして一枚の御札を掴み、それをカメラの前に掲げた。
私は息を呑んだ——そこに書かれていたのは、紛れもなく「412」の文字だったのだ。
ほぼ同時に、荒木千夏から再びメッセージが届く。
【あんたたち、佐藤さんに何かしたの……? あのさ、私、ちょっと他の子の部屋に避難するから】
悪夢が現実になったのだと悟り、全身の血の気が引いていく。これはただの悪戯じゃない。悪霊の仕業だ。明日香と美奈に視線を送ると、二人の瞳にも同じ恐怖の色が浮かんでいた。
「まさか、あの予知夢は本当だったの……?」
私の声は、情けなく震えていた。
その時、川崎美奈が弾かれたように立ち上がり、その眼差しが鋭く光る。
「私がドアに鍵をかける! 明日香は警察に電話して! 杏子は重いものを運んでドアを塞いで、急いで!」
彼女の的確な指示が、私たちを一時的に恐怖の呪縛から解き放った。
美奈は素早くドアに駆け寄り、内側からチェーンロックをかける。これで外から鍵を使っても、ドアは開かないはずだ。
私は椅子を引きずってきてドアノブに引っ掛け、さらに美奈と二人で分厚い専門書をドアの前に積み上げ、簡易的なバリケードを築いた。
一方、柳沢明日香はスマートフォンを手に取ったが、すぐに焦ったように手話を交えて訴えてきた。一一〇番に繋がらない。電波がない、と。
「そんなはずない」
私は訝しんだ。
「生配信は見られてるのに、電波がないなんてことあるわけ?」
私たち三人は、それぞれのスマートフォンを改めて確認した。奇妙なことに、例の『百鬼夜行ゲーム』の配信ルームと、この四一二号室のLINEグループだけが利用可能で、他の機能はすべて【ネットワークエラー】と表示されている。
「私たちは……隔離されたのよ」
川崎美奈が、冷静に分析した。
「何らかの力が働いて、私たちと外界との連絡を完全に断ち切ったんだわ」
配信画面は続いていた。ぼんやりとした黒い影が、ゆっくりと階段を上っている。画面は薄暗く、建物内には不気味なほど人の気配がない。まるでこの桜アパートには、私たちと、あの未知の恐怖しか存在しないかのようだ。
黒い影の移動する音は次第に速くなり、すでに四階に到達していた。
突然、私のスマートフォンが鳴った。荒木千夏からのグループ通話リクエストだ。
「もしもし、聞こえる?」
スピーカーから聞こえてきた彼女の声は、パニックで上ずっていた。
「廊下に突然誰もいなくなって、他の部屋のドアを叩いても誰も出てこないの! それに、私も外と連絡が取れなくて……」
「声を落として!」
私は慌てて彼女を制した。
「『それ』はもうこっちに来てる。千夏、今どこにいるの?」
「北側の階段のところにいるんだけど、でも……」
「早く北側の階段から下りて!」
私は叫ぶように言った。
「下りたらすぐに警備室に走って、通報して!」
「わ、わかった、やってみる!」
千夏がそう言うと、電話の向こうから慌ただしい足音が聞こえてきた。
しかし、しばらくして、彼女は怯えきった声で言った。
「おかしい……。私、二階分は下りたはずなのに、どうしてまだ四階にいるの? 階段を下りるたびに、同じ廊下に戻ってきちゃう……」
彼女の声が、絶望に震え始める。
「これが、百鬼夜……」
通話はそこでぷつりと途切れた。
それと同時に、廊下から能楽の鼓を打ち鳴らすかのような、ずぅん、という巨大な轟音が響き渡り、壁がびりびりと震えた。
私たち三人は顔を見合わせる。恐怖が、冷たい潮のように足元から這い上がってきた。私は何度も荒木千夏にかけ直したが、誰も応答しない。配信画面は突然ブラックアウトし、代わりに不吉な月のシンボルと、十分のカウントダウンが表示された。
「これって……死のカウントダウン?」
誰かが呟いた。私は、いつの間にか握りしめていた包丁の柄に、さらに力を込めた。
重々しい足音が、部屋のドアにじりじりと近づいてくる。その一歩一歩が、まるで私たちの心臓を直接踏みつけているかのようだ。
コン、コン、コン、コン——。
四回、ドアを叩く音がした。はっきりと、力強く。
柳沢明日香は床にへたり込み、助けを求めるように私を見つめている。川崎美奈は机の後ろに隠れ、小刻みに全身を震わせていた。
私は厨房から持ち出した包丁を握りしめ、覚悟を決めて息を吸う。
「人に頼るより、自分を信じるしかない。やるよ!」
ありったけの勇気を振り絞り、私はそっとドアに近づくと、ドアスコープから外の様子を窺った。
ドアの外に立っていたのは、恐ろしい化け物などではなかった。
高橋さんだった。
私は驚きのあまり息を呑んだ。まさか、彼だとは。




















