第3章
「高橋さん?」
私は驚きのあまり、柳沢明日香と川崎美奈に小声で告げた。
「四一二号室の学生たち、警備員の高橋だ。例の怪異はこちらで確保した。もう怖がることはない」
ドアの外から、聞き慣れた高橋さんの野太い声が聞こえてくる。
私と明日香は顔を見合わせ、張り詰めていた神経がわずかに緩んだのを感じた。
高橋さんは、この近辺で最も信頼できる警備員として知られている。普段から学生たちのことを何かと気にかけてくれる、頼れる存在だ。この声は、間違いなく彼本人に違いない。
「校長の指示で、君たちの安否確認と状況把握に来た」
高橋さんは続けた。
「ドアを開けてもらえるか?」
私が一歩前に出ようとした瞬間、川崎美奈がすっと手を伸ばして私を制し、警戒心の宿った鋭い眼差しを向けてきた。彼女はそのままドアの前まで歩み寄ると、落ち着き払った声で応じる。
「高橋さん。怪異とは何のことでしょうか。申し訳ありませんが、おっしゃっている意味がよく分かりません」
途端に、高橋さんの声に苛立ちの色が混じった。
「校長の指示なんだ、俺にもどうしようもねえ。事態は深刻なんだよ。懲戒処分でも受けたいのか? さっさと開けろ!」
それでも、川崎美奈の態度は断固としていた。
「でしたら、陰陽師か警察の方に来ていただいてからお話しします。そうでなければ、どなたであっても私たちにドアを開けるよう要求する権利はありません」
その時、私のスマートフォンが不意に震えた。荒木千夏からLINEグループにメッセージが届いたのだ。
【さっきスマホ落として壊れちゃって、再起動にすごい時間かかった。廊下で大きな物音がしたから窓の外を見たら、警備員さんが黒い影を取り押さえてたよ。もう安全なのかな?】
私はスマートフォンを明日香に見せる。彼女の瞳にかすかな希望の光が揺らめき、小さく頷いた。
しかし、川崎美奈は険しい表情で眉をひそめると、私たちを部屋の隅へと引き寄せ、声を潜めて分析を始める。
「高橋さんの話には、不審な点が多すぎます。第一に、私たちが怪異の出没を知っていることを、なぜか前提に話している。これは不自然です」
彼女は、スマートフォンの画面に表示され続けているカウントダウンを指差した。
「そして何より、このカウントダウンはまだ動いています」
「それって、つまり……」
背筋を冷たいものが走り抜けた。
「私たちは、悪霊に遭遇したのかもしれません」
川崎美奈は、真剣な口調で続けた。
「明日香が言っていた百鬼夜行ゲームを覚えていますか? カウントダウンが終わるまで、私たちはドアの外にあるすべてを疑わなければなりません。もしかしたら……ドアの外にいるのは、もう人間ではないのかもしれない」
明日香がノートを手に取り、素早くペンを走らせる。
『千夏のメッセージもおかしい。最初はシャワーを浴びてるって言ってたのに、次は階段を下りてて、今度は窓の外を見ている。話の辻褄が合わない』
川崎美奈は深く頷いた。
「私の考えでは、荒木千夏はまず何かの幻術にかけられ、その後に通話が途切れた。あの大きな物音は、彼女が襲われた音だったのかもしれません。そして今、彼女を傷つけた怪異が、このグループで彼女になりすましている」
「あるいは」
私は不安げに推測を口にした。
「高橋さんが千夏のスマホを持って、ドアの外からメッセージを送ってるとか……?」
その時、ドアの外から再び高橋さんの声が響いた。
「中にいる怨霊がお前たちを操っている疑いがある。お前たちの安全のためにも、状況を確認させてもらうぞ」
ガチャリ、と鍵が錠前に差し込まれる音が聞こえた。しかし、内側からもチェーンロックをかけているため、ドアは開かない。
それに続いて、ドアを激しく叩く音が轟いた。
「ドンッ! ドンッ! ドンッ!」
一撃ごとにドア枠全体が軋み、私たち三人は無意識のうちに数歩後ずさる。
「い、い、だ、ろ、う。お、ま、え、た、ち、が、そ、う、さ、せ、た、ん、だ」
高橋さんの声は一音一音区切られ、まるで百年の怨念がこもった呪詛のように響いた。
耳障りな金属の摩擦音が鳴り響き、寮のドアが激しく振動する。私は震えながらドアに近づき、ドアスコープを覗き込んだ。そこには、黒い工具を手にした高橋さんの姿があった。
「あれは……電動ドリル!」
私は恐怖に顔を歪めて振り返った。
「あいつ、鍵をドリルでこじ開ける気よ!」
川崎美奈と柳沢明日香の顔色が、一瞬にして真っ白になった。




















