第3話

夜のゴルツ通りは、ひっそりと静まり返っていた。

タフな交渉会議を終えたばかりのベンジャミンは、やや足早に自身が出資する滞在先のホテルへと戻っていった。

迎えに来た漆黒のロールスロイスの車内では、随行秘書のサイモン・リーが、会議の議事録にサインをもらおうと待ち構えていた。

後続車に乗るアシスタントチームもまた、安堵の息を漏らしていた。ビジネスという名の戦場での激戦を終え、ボスが書類にサインさえすれば、今日一日の業務は終了となる。誰もが皆、泥のように眠ることを切望していたのだ。

だが、後部座席に深く腰掛け、普段から寡黙で冷徹なオーラを放つその男は、不意に口を開いた。「他には?」

サイモンは思わず息を呑んだ。報告すべき事項が他に漏れていないか、必死に脳をフル回転させる。

しかし、どれだけ記憶を辿っても思い当たる節はない。「業務に関しては万事順調に進んでおり、トラブル等の報告も上がっておりません」

だが、ベンジャミンの表情が緩むことはなかった。それどころか、眉間の皺はいっそう深くなるばかりだ。彼は窓の外に広がる底知れぬ夜の闇に視線を投げ、こう尋ねた。「ロサンゼルスは今、何時だ?」

サイモンは一瞬虚を突かれたものの、即座に答えた。「午後二時です」

ベンジャミンは沈黙を守ったままだ。しかし、すぐ隣に座るサイモンには、その瞬間に車内の気温が氷点下まで下がったかのように感じられた。

何か失言をしてしまったのだろうか。サイモンは戦々恐々とした様子で、横目でボスの顔色を窺った。

普段であれば、ホテルに戻ったベンジャミンはコートを脱ぐやいなや、即座に仮設の書斎へと籠もり、残業をこなすのが常だった。随行する秘書や顧問たちもまた、彼と共に不眠不休で働くことになる。

世間一般の目には、ベンジャミンはあらゆる分野における天才として映っていた。とりわけビジネス界においては、わずか数年でウォーカー・グループを国内産業の巨塔へと押し上げた手腕は神懸かり的とさえ言われている。

しかし、彼が極度かつ恐るべき完璧主義者であることを知る者は、側近のごく一部に限られていた。特に仕事に関しては、どのような状況であれ一切の妥協も情けも持ち合わせていなかった。

夜が明け、空が白み始める頃になっても、書斎の主が動く気配はない。疲労困憊の秘書や顧問たちは休息を欲していたが、誰一人として先に席を立つ勇気など持ち合わせていなかった。

結局、重苦しい空気に耐えかねたサイモンが、意を決してベンジャミンに休息を促すことになった。「ボス、午後はカンファレンスが控えております。そろそろお休みになられた方が……」

言い終わるよりも早く、ベンジャミンから放たれた冷ややかな視線に射すくめられ、サイモンは言葉を飲み込んだ。

部屋の外では、小さな会議室に集まったアシスタントたちが、陰鬱な表情で顔を突き合わせていた。

リアーナ・フェンティは心配そうに扉の方を見つめていた。このチームの中で最年長かつ最古参の彼女は、ボスの気性を誰よりも熟知している人物だ。

今のベンジャミンの、周囲を顧みず憑りつかれたように仕事に没頭する姿は、単なるワーカホリックというよりは、明らかに虫の居所が悪い時のそれだった。

「ねえ、ボスは今日、他に何かおっしゃっていなかった?」少し考え込んだ後、リアーナが口を開いた。

「いいえ。今日は一日中会議続きでしたし、その後は先方の夕食会に招待されていましたから。帰りは一緒でしたが、ボスと話す隙なんてありませんでしたよ」他のメンバーは次々と首を横に振り、そう答えた。

「ああ、そういえば……車内で報告書にサインを求めた時、不意にロサンゼルスの時間を尋ねられました」。ふと思い出したように声を上げたのはサイモンだった。

「他には?」リアーナは一瞬唇を引き締め、さらに問い詰めた。

「特にはなかったと思います」サイモンは首を振った。

「一体どうしたんです?」周囲の人間は、困惑した様子でリアーナを見つめた。

「ここ最近、本国から誰か電話かメッセージを寄越した人は?」リアーナの勘は確かに鋭かった。彼女は即座に問題の核心を突いたのだ。

「昨日、ボスのお母様から用件の問い合わせがありました」アシスタントの一人が答える。

「他には?」同じ女性として、リアーナの直感はこの件が原因ではないと告げていた。

「ああ、そういえば数日前に、ボスのご友人であるパロマ様から、いつ帰国されるのかという問い合わせのお電話がありました」

「……マルティナ様は?」リアーナは深く息を吸い込むと、その目つきを鋭く変化させ、強い口調で問いかけた。

一同は顔を見合わせ、慌てて通話記録の確認を始めた。

以前のマルティナからの連絡頻度を思い返してみれば、ここ最近は著しく減少しており、ついには全く途絶えていることにリアーナは気づいていた。

「マルティナ様からの電話はあったの? なかったの?」彼女は語気を強めた。

「いえ、ありません」。この期に及んでも、サイモンはその質問が持つ重大な意味に気づかぬまま答えた。

「最後に彼女から連絡があったのはいつ?」

「二十日前でしょうか? 正確には覚えていませんが……。ただ、その時ボスは極めて重要な会議の最中でしたので、我々の方で電話を受け、ボスにはそのことを伝えておりません」サイモンはそう答えた。

リアーナは電話を受け取ると、通話履歴を注意深く調べた。突然、不可解な予感が彼女に警告した。問題はここにあるのかもしれない!

「かけ直しなさい!」彼女は命じた。

……

ソファの上の電話は、絶え間なく鳴り続けていた。マルティナは煩わしさを感じ、携帯を機内モードに切り替えると、テーブルの上に放り投げた。

以前のベンジャミンは滅多に連絡を寄越さなかったため、彼からの着信があるたびに、彼女は長い間幸せな気分に浸れたものだった。だが、今は違う。その切迫した着信音は、どこか耳障りにさえ感じられた。

そしてマルティナは友人の番号をダイヤルした。

エレナ・ロドリゲスもまたLAの富裕層サークルの一員だったが、二人は大学時代の同級生でもあった。

古くからの資産家の娘であるエレナは、マルティナがウォーカー家を出たというニュースを早朝に耳にしており、ちょうどその理由を問い詰めようとしていたところだった。

通話が繋がるやいなや、エレナは叫ばずにはいられなかった。「ちょっと、また何をやらかしたの? 街中の見出しを独占してるじゃない」

マルティナの親友として、エレナはかつてこう言ったことがある。もしマルティナが本当にベンジャミンを諦められるなら、もっと素敵で金持ちな男を見つけてあげる、と。

残念なことに、マルティナは大学の初日からベンジャミンに夢中で、エレナの苛立ちや努力も虚しく、彼に尽くし続けてきたのだ。

マルティナがウォーカー家を出たと聞いた時、エレナはすぐにまた友人の策略だろうと思い込んだ。彼女は苛立ちながら尋ねた。「ほら、言いなさいよ。今度はどんな計画? 無理やり結婚でも迫るつもり?」

マルティナは自嘲気味に、乾いた笑い声を漏らした。

マルティナの沈黙に、エレナも何かがおかしいと察した。彼女は絵筆を置き、声のトーンさえも真剣なものに変わった。「ねえ、私の天使ちゃん、一体どうしたの?」

マルティナは深呼吸をして、未練を断ち切るように答えた。「終わりにしたいの。彼とは別れるわ」

エレナは本気にせず、ため息をついた。「ああ、そのセリフはもう何百万回も聞いたわよ。一度でも成功したことあった?」

彼女にしてみれば、マルティナは死ぬほどベンジャミンが好きなのだ。諦めろと言うくらいなら、マルティナが死ぬのを待つ方が早いだろう!

マルティナは笑った。まるで自分自身さえ疑っているかのように。やがて彼女は首を振り、話題を変えた。「明日、アトリエに行きたいの」

エレナはさらに困惑して尋ねた。「本気? もう何年も行ってないじゃない。今さら行って何をするつもり?」

マルティナは立ち上がり、ゆっくりとバルコニーへ歩み寄ると、風に吹かれながら微笑んだ。「私が働かなかったら、あなたが養ってくれるの?」

エレナは瞬きをして、口を尖らせた。「ベンジャミンの家は大富豪じゃない。どうして私があなたを養う余裕なんてあるのよ?」

マルティナは彼女の言葉を遮った。「彼からは何も受け取らなかったわ。お金も含めてね」

エレナは思わず数秒間呆然とし、それから食い気味に尋ねた。「それ、どういう意味?」

マルティナはずっとウォーカー家で暮らしており、ジャック・ウォーカーに大いに気に入られていた。その扱いはまさに富豪の令嬢であり、LAの社交界の名士そのものだった。

ベンジャミンには嫌われていたが、それでも婚約者という立場があり、ウォーカー家は彼女に対して寛大だったのだ。

この数年間、そのサークルに馴染み、釣り合いの取れる相手としての基準を満たすため、マルティナは無理をして様々な高級品を買い漁り、自分を飾り立ててきた。後に知ったことだが、当時アダムのような連中は、彼女のことを「金目当ての女」と呼んでいたらしい。

今振り返ると、自分がいかに愚かだったかを痛感する。

マルティナは答えた。「もちろん、言葉通りの意味よ」

エレナは数秒間沈黙した。「本気なの?」

マルティナは苦笑した。「つまり、あなたでさえ、これがただの茶番だと思ってるわけね?」

エレナは遠慮せずに言った。「信じろと言う方が無理よ。あれだけ彼を愛していて、彼のためにあそこで辛いことにも耐えてきたじゃない。今さら去るだなんて、自分でも本当に信じているの?」

マルティナは心底傷ついたが、エレナの言葉には笑うしかなかった。「じゃあ、みんな私が彼なしじゃ生きられないと思ってるのね?」

エレナは即答した。「その通りよ!」

マルティナは言葉を失った。

……

夜も更け、マルティナが借りたアパートのリビングには、淡い黄色の明かりが灯っていた。

彼女は床にしゃがみ込み、繰り返し床を拭いていた。正直なところ、もう何度も拭いた後だった。床を鏡に見立てたとしても十分なほど綺麗だ。しかし、彼女は無意識に手を動かし続けた。まるで、心の中からあの人の存在を拭い去ろうとするかのように。

その時、リビングのテーブルの上で再び電話が鳴った。だが今回はビデオ通話だった。

マルティナは我に返り、手を拭くと、電話を取るためにリビングへと歩いた。画面に目をやると、ベンジャミンのスナップチャットのアイコンが点滅し続けていた。

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