第4章
誰もいないピアノのショールームに立ち、西園寺律崎が消えたエントランスを見つめる。私の心は、様々な感情が絡み合ってぐちゃぐちゃだった。
唇には彼の温もりが残っているようで、耳には「約束だ」という言葉がまだ響いていた。これは現実なのだろうか?彼は本当に明日、連絡をくれるのだろうか?それとも、今夜の出来事の熱が完全に冷めてしまったら、すべてを後悔してしまうのだろうか?
その時、聞き覚えのある足音とひそひそ話がショールームの外から聞こえてきた。心臓が瞬時に締め付けられる――三上海里の声だ!
「あいつ、絶対にまだ中にいるぞ!」
三上海里の声には怒りと嫉妬が混じっていた。
「自分の立場を思い知らせてやる!」
「やりすぎないでよ、三上海里」
荻野琥珀の声は興奮に弾んでいた。
「まあ、あの子がいつまで清純ぶっていられるか、見ものではあるけどね!」
必死に周りを見渡すが、ショールームの出入り口は一つだけ。逃げる時間はない……。
ドアが勢いよく開け放たれ、三上海里が三人の友人と荻野琥珀を引き連れて乗り込んできた。彼らの目は、獲物を見つけた捕食者のようにギラギラと輝いていた。
「結城凪紗!」
三上海里の怒号がショールームに響き渡る。
「このクソ女が!」
あまりに突然の罵詈雑言に、私は衝撃を受けた。
「……なんて言ったの?」
「とぼけるな!」
彼は威嚇するようにじりじりと距離を詰めてくる。
「三年間も手さえ繋がせなかったくせに、今になってどこの馬の骨とも知れない男とここでイチャついてたのか?俺を何だと思ってるんだ?」
彼の言葉はナイフのように突き刺さり、心の奥深くにあった血まみれの傷口を瞬時にこじ開けた。痛ましい記憶が、津波のように押し寄せてくる……。
四年前、音楽大学の練習室。
「凪紗、君の弾くショパンは最高に美しい!俺はメディア会社を築く。そして君は、俺の音楽の女神になるんだ!」
あの頃の三上海里は、太陽のように明るくハンサムで、薔薇の花束を抱え、私が渇望してやまなかった承認の光を目に宿していた。
承認に飢えて育った私は、一瞬で恋に落ちた。あんな風に私の音楽を褒めてくれた人はいなかったから……。
「俺と一緒に奇跡を起こそう!」
彼は私の両手を掴み、野心的な光で目を輝かせた。
今思えば、砂糖菓子のように甘い言葉はシロップのようにべとついて、吐き気を催すほどだった。彼は最初から、嘘を紡いでいたのだ。
けれど当時の私は、恋に目が眩み、彼の言葉を一つ残らず無邪気に信じ込んでいた……。
卒業後の夏、私たちはS市の小さなアパートで同棲を始めた。生活の厳しい現実は、すぐに牙を剥いた。
「凪紗、会社の起業資金が必要なんだ!」
彼は興奮した様子で事業計画書を振り回した。
私は銀行口座にある400万円を見た。それは、三年間ピアノの家庭教師で稼いだ、私の血と汗と涙の結晶だった。
「私、カネジアホールのオーディションを受けようと……」
「オーディション?君の実力じゃまだまだだろ!俺の会社が軌道に乗ったら、君のことをスターとして売り出してやる!」
彼は焦れたように、私の手からキャッシュカードをひったくった。
一年が経ち、私の貯金は底をついた。二年が経ち、私は彼の給料を払うためにクレジットカードを限度額まで使い切った。三年が経ち、私はすべてを空っぽにしてしまった……。
そして彼の「会社」は?相変わらず倒産寸前の小さなスタジオのままだった。
さらに恐ろしかったのは、「頭が悪すぎる」「役立たずの穀潰し」「ただのお荷物」……そんな彼の言葉だった。それらは毒のように私の心に染み込み、いつしか私は、自分は本当に価値のない人間なのだと信じ込むようになっていた。
すべてを変えたのは、三ヶ月前のあの夜だった。
「俺に恥をかかせるな!隅っこで何も喋らずに座ってろ!」
契約式の前、彼は私をまるで他人のように冷たくあしらった。
式の後、事務所に鞄を取りに戻った私は、隣の部屋から聞こえてきた生々しい声に足を止めた……。
三上海里が、あのセクシーなインフルエンサーの荻野琥珀と情熱的にキスを交わし、デスクの上には服が散乱していた……。三年間、私から手を繋ごうとするだけで顔を赤らめていたのに、ここで別の女性と……。
「ほらな?言った通り来たろ。結城凪紗なんて、金を出すしか能がないタダの家政婦なんだよ!」
彼は荻野琥珀の顔を見て、私のことをそう言った。
「あの木偶の坊みたいな女が、私と張り合えると思ってんのかしら?三年も経ってベッドにも入れてもらえないなんて――捨てられて当然よ!」
荻野琥珀は遠慮なく嘲笑った。
「味気ない白湯みたいな女だからな!」
三上海里も同意するように鼻で笑い、その目は嫌悪感に満ちていた。
白湯……。その言葉は毒針のように私の心を突き刺した。三年間、卑屈なまでに尽くしてきた結果が、この公衆の面前での屈辱だなんて……。
「思い出したか?」
現在の三上海里が、私の記憶を遮るようにせせら笑う。
「お前が犬みたいに俺の足元に這いつくばってたのを」
だが、今度の私は泣かなかった。
三ヶ月間の痛み、今夜西園寺律崎がくれた温もり、さっき守られたという感覚……そのすべてが、私にあることを悟らせた。
私はもう、あの卑屈な少女ではない。
「三上海里」
私はゆっくりと顔を上げた。驚くほど冷静な声が出た。
「一つ、勘違いしてるわ」
「何だと?」
彼は明らかに予想外の反応に固まった。
「私はあなたのものだったことなんて一度もない」
私の声はさらに冷たくなった。
「ただ、あなたの詐欺の被害者だっただけ」
「お前……」
彼の表情が変わる。
「それと」
私は言葉を続けた。一言一言、はっきりと。
「三ヶ月前に裏切ってくれてありがとう。そうでなければ、自分がどれだけ馬鹿だったか、一生気づけなかったでしょう」
荻野琥珀が甲高い声で割り込んできた。
「強がっちゃって!あんたがどんな女か、みんな知って……」
「黙って」
私は彼女を冷たく見据えた。
「あなたに口を出す番が来たかしら?」
全員が衝撃を受けて私を見つめている。こんなことが言えるなんて、自分でも信じられなかった。
「結城凪紗、つけあがるなよ!」
三上海里は屈辱に顔を歪めて唸った。
「金持ちの男にでも引っかかったからって、いい気になるな!あいつはお前を遊んでるだけだ!飽きられたら、お前はまた一人ぼっちになるんだ!」
「たとえ遊びだとしても」
私は冷たい笑みを浮かべて返した。
「三年間、タダの家政婦をするよりはマシだわ」
「このアマ!」
三上海里は激昂し、私を殴ろうと手を振り上げた。
だがその時、予期せぬ声がエントランスから響いた。
「三上海里さん、失礼ですが、何をされているのですか?」
全員が凍りついた。
高価なスーツに身を包んだ中年の男性が、プロらしい二人のボディガードを連れて入ってきた。
「あ、あんたは……誰だ?」
三上海里はどもった。
「牧村敬と申します。西園寺テクノロジーの最高法務責任者です」
男性は落ち着き払って言った。
「西園寺様より、結城さんをエスコートするよう命じられて参りました」
心臓が激しく鼓動する。西園寺律崎……本当に人を寄越してくれたの?
「ついでに」
牧村敬はそう言って、ブリーフケースから書類を取り出した。
「三上海里さん、こちらが御社に関する詳細な調査報告書です。非常に興味深い結果が出ております」
三上海里の顔が死人のように青ざめた。
「例えば、あなたがこの三年間で結城さんの資金を不正流用した総額は800万。法律によれば……」
「待ってくれ!」
三上海里は必死に遮った。
「こ、これは誤解だ!」
「さらに」
牧村敬は荻野琥珀に目を向けた。
「荻野さん、あなたの星メディアとの専属契約はまだ有効ですよね?他プラットフォームでの活動は、契約違反に該当するようですが」
荻野琥珀の顔色も変わった。
私はただ、衝撃で言葉も出せずに立っていた。西園寺律崎……本当に私を守ってくれている。去った後でさえ、まだ私を守ってくれている。
牧村敬は三上海里たちを厳しく見据えた。
「今すぐお引き取りください。次はありません。そうなれば、相応の結果を覚悟していただくことになります」
三上海里と荻野琥珀は灰色の顔になり、屈辱にまみれてショールームから逃げ去った。
牧村敬は私に丁寧にお辞儀をした。
「結城さん、問題は解決いたしました。もう安心してお帰りいただけます」
彼も去った後、私はがらんとしたピアノのショールームに一人で立っていた。ピアノに月明かりが降り注いでいる。ついさっきまでの出来事が、まるで別世界のことのようだった。
携帯を取り出す――画面に新しいメッセージはない。
彼は「約束だ」と言ってくれたけれど、会社の危機を乗り越えた今、ただのピアノ教師である私のことなど、まだ覚えていてくれるだろうか?
私はそっとピアノの鍵盤に触れた。守られた温もりと、これから先の不確かさが入り混じった思いが、胸に満ちていた。
