第3章 魔物大潮の試練
私と小百合がギルドの休憩エリアに戻った途端、そばに控えていた影狼王がぴくりと耳を立て、喉の奥で低く唸った。
ほとんど同時に、耳をつんざくような警報が夜空を引き裂くように響き渡る。
「【厄災級】の魔物による大襲来《スタンピード》! 全員、ただちに戦闘準備に入れ!」
銀月城の守備の鐘が狂ったように打ち鳴らされ、街全体が瞬く間に恐慌の渦に飲み込まれた。契約魔物との精神的な繋がりを通じ、遥か彼方の空から伝わってくる息が詰まるほどの邪悪な気配を、私も感じ取っていた。
これは、ただの魔物の襲撃ではない。
「かおりさん!」
小百合が怯えた様子で駆け寄ってくる。
「城門の方が……魔物が、たくさん、たくさん!」
私は素早く立ち上がり、その瞳に不吉な赤い光を宿らせた。遠くの空は一面、漆黒に染まっている——あれは黒雲などではない。天を覆い尽くさんばかりの、おびただしい魔物の群れだ!
「すべての冒険者へ告ぐ! 繰り返す、すべての冒険者はただちにギルドへ集合せよ!」
ギルドホールは怒号と悲鳴に包まれ、それ以上に絶望的な泣き声が響き渡っていた。
「もう終わりだ……【厄災級】のスタンピードだぞ! こんな規模、王都だって耐えられやしない!」
「早く逃げるんだ! 城門が完全に封鎖される前に!」
その時、銀色の鎧をまとった大柄な影が、重い扉を押し開けて入ってきた。
その男の登場に、全ての喧騒が死んだ。
S級冒険者——シェルド!
彼は険しい表情で一同を見回した。
「諸君、私は北の城門から駆けつけた。残念だが、我々は完全に包囲されている」
絶望の呻きが、あちこちから漏れる。
「だが!」
シェルドの声が雷鳴のように響いた。
「我々にはまだ希望がある! 一致団結し、連携して戦えば、必ずやこの街を守り抜けるはずだ!」
「シェルド様!」
聞き覚えのある、猫なで声がした。
振り返ると、赤石明とコノミが慌てて駆けつけてくるところだった。コノミの瞳は興奮にきらめいている——これこそが、彼女が前世でシェルドと出会うきっかけとなった、運命の出来事!
「赤石明先輩!」
シェルドは頷いて応える。
「お嬢さんが、あの噂のB級ヒーラーですな? 今回の戦い、我々には医療支援が急務なのです!」
コノミはすぐさま、完璧な淑女の笑みを浮かべた。
「シェルド様、わたくし、この街を救うためでしたら、いかなる力もお貸しいたしますわ!」
私はその光景を冷ややかに眺めていた。前世では、まさしくこの戦いで、コノミは『勇敢』な活躍によってシェルドの歓心を買ったのだ。
だが今回は、私がその化けの皮を剥がしてやる。
「ドォォン!」
巨大な衝撃音が城門の方角から轟き、ギルド全体が大きく揺れた。
「第一防衛線が突破されました!」
一人の衛兵が血相を変えて駆け込んできた。
「巨大なオーガキングが第二城門を攻撃しています!」
シェルドの顔色が変わった。
「B級以上の冒険者は、ただちに城門の支援に向かえ! 残りの者は後方の防衛と救援を頼む!」
「私が行きます!」
コノミが真っ先に手を挙げ、それから挑戦的な視線を私に向けた。
「かおりお姉様もいらっしゃいますよね? なんといっても今のあなたには、あの魔物たちがいるのですから……」
彼女はわざと曖昧に言い、まるで私の能力が邪悪なものであるかのように匂わせる。
「ええ、もちろん」
私は冷たく応じた。
「でも今回も、あなたが一番前を歩くのよ」
コノミの顔がさっと青ざめた。
「なっ……? わたくしはヒーラーですのよ、後方にいるべきでは——」
「昨日、大陸を救うためなら何でもすると言っていたじゃない」
私は彼女の言葉を遮る。
「今こそ、それを証明する時よ」
シェルドが眉をひそめて私たちを見た。
「君は?」
「私は赤石かおり。コノミの姉です」私は淡々と自己紹介した。「ですが、真の英雄とは、人の後ろに隠れて守られるのではなく、率先して前に立つべきだと思います」
「よく言った!」
シェルドは賛同するように頷いた。
「では、ただちに出発する!」
部隊が城門へと駆け出す中、コノミはまたしても先頭を歩かされ、その顔にはもはや隠しきれない恐怖が浮かんでいた。
城門広場に着いた途端、目の前の光景に誰もが息を呑んだ。
十メートルはあろうかというオーガキングが城門に狂ったように体当たりをしており、その背後には砂漠ハイエナ、毒蠍軍団、さらには空飛ぶ死霊鳥といった魔物が、黒い津波のようにひしめいている。
「お父さん! お母さん!」
突然、小百合が胸が張り裂けんばかりの悲鳴を上げた。
彼女の視線の先、城門の下にはいくつかの無残な死体が転がっていた。まさしく小百合の両親と弟だった。城門から逃げようとしたところを、魔物に殺されたのだろう。
「お父さん! お母さん!!」
小百合が駆け寄ろうとするのを、私は腕を掴んで引き留めた。
「もう死んでいる」
私は冷静に告げる。
「今あなたが飛び出しても、無駄死にするだけよ」
「でも……でも……」
小百合は滝のように涙を流し、体が激しく震えている。
私は彼女の瞳に宿る絶望と怒りを見て、機が熟したと悟った。
「復讐したい?」
小百合ははっと顔を上げ、私を見つめた。その瞳には、憎しみの炎が燃え盛っている。
「したい! この魔物たちを、一匹残らず殺してやる!」
「いいわ」
私は収納袋からいくつかの装備を取り出した。
「これを着て。私が戦い方を教えてあげる」
私は彼女に軽量の革鎧を着せ、魔法で強化した短剣と、基礎的な敏捷薬を数本手渡した。
「覚えておいて。F級冒険者が上位の魔物に正面から挑むなんて無謀よ。あなたの強みは速さと身軽さ。地形を利用して弱点を探し、一撃で仕留めるの」
小百合は武器を握りしめ、力強く頷いた。
その時、ついに第二城門が轟音と共に打ち破られた!
「奴らが来たぞ!」
誰かが恐怖に叫ぶ。
「全員、戦闘準備!」
シェルドが聖剣を掲げた。
「魔物を住民区に一歩たりとも入れるな!」
戦闘の火蓋が、瞬時に切って落とされた!
シェルドがオーガキングに突撃し、聖なる光と邪悪な影が衝突して、耳を聾するほどの轟音を立てる。他の上級冒険者たちも、それぞれ標的を選んで斬り結び始めた。
一方のコノミは、壁の陰に隠れてぶるぶると震えているだけだった。
「コノミ! 早く負傷者を治療しろ!」
赤石明が戦闘の最中に叫んだ。
「わ、私……」
コノミは血なまぐさい戦場を前にして、足がすくんでまったく動けないでいた。
私はフンと鼻を鳴らし、体内の魔物契約の力を解き放つ。
「出でよ、我が同胞たち!」
十数匹の影狼が影から飛び出し、数頭の鉄甲熊が咆哮を上げて敵陣に突っ込み、空中では寒毒蜂の群れがブゥンと不気味な羽音を立てる。
さらに皆を驚かせたのは、私が戦場にいる敵の魔物を使役し始めたことだった!
衛兵を攻撃していた一匹の毒蠍が私の精神力に触れると、その目に赤い光が走り、すぐさま向きを変えて仲間を攻撃し始めたのだ。
「馬鹿な!」シェルドが戦闘の合間に驚愕の声を上げる。「敵の魔物を操れるだと!?」
「操っているんじゃない。契約よ」
私は増え続ける魔物軍団を指揮しながら答える。
「私は彼らに自由と敬意を。彼らは私に忠誠と力をくれるの」
戦況が変わり始めた。私の魔物軍団の連携により、劣勢だった人間側が反撃に転じ始めたのだ。
「小百合! 左の毒蠍、腹部の関節を狙って!」
私は大声で指示を出す。
小百合が稲妻のように飛び出し、短剣が正確に毒蠍の弱点を貫いた。毒蠍は甲高い悲鳴を上げ、轟音と共に倒れる。
「よくやったわ!」
戦闘は丸二時間続いた。最後の人食い鬼が倒れた時、戦場は一面血の海と化していた。
「勝った……」
誰かが信じられないといった様子で呟く。
「俺たち、本当に守り切ったのか……」
誰もが戦場の中心に立つ私を、畏敬の念のこもった目で見つめていた。私は数十匹の魔物に囲まれ、さながら魔物の女王が降臨したかのようだった。
「赤石かおり……」
シェルドが私に向かって歩いてくる。その瞳には複雑な光が揺らめいていた。
「君の能力は……実に衝撃的だ」
その時、傷を負いながらも死んでいなかった死霊鳥が一羽、空中から急降下してきた。その目標は、無防備な私!
「かおりさん、危ない!」
小百合が信じがたいほどの速さで跳躍し、その身を挺して私の前に立ちはだかった。
死霊鳥の鋭い爪が彼女の肩に深く食い込み、鮮血が夜空に舞う。
「小百合!」
私が怒りに任せて手を振ると、三匹の影狼が瞬く間にその死霊鳥を八つ裂きにした。
「どうしてこんな無茶を?」
私は傷ついた小百合を抱きかかえ、声を震わせた。
小百合は弱々しく笑った。
「だって……かおりさんは、私の命の恩人だから……それに、私にはもう誰もいない。あなたが、今の私の、たった一人の大切な人だから……」
周囲の冒険者たちはその光景を見て、深く心を打たれていた。
「これこそが、本当の仲間だ……」
「赤石かおりのリーダーシップは……まさに桁違いだ……」
「彼女は魔物を指揮するだけでなく、仲間を命がけにさせることもできるのか……」
その頃のコノミはというと、いまだに壁の陰で震えており、その身には塵一つついていなかった。
皆の視線が彼女に注がれた時、彼女はようやく我に返ったようだった。
「わ、わたくしは、後方の負傷者を治療しておりましたの……」彼女は言い訳がましく答える。
「ほう?」
一人の衛兵が冷ややかに笑った。
「俺は丸二時間後方にいたが、あんたの姿なんざ一度も見かけなかったがな?」
「あんたはずっとこの壁の裏に隠れてた」
別の冒険者が指差して証言する。
「俺たちはみんな見てたぜ」
コノミの顔が真っ白になった。彼女は周りを見回し、突き刺さるような侮蔑の眼差しに気づく。
「ち、違います……」
彼女は慌てて首を振る。
「わたくしは……ただ……」
「ただ、怖かっただけよ」
私は冷静に真実を告げた。
「前世でもあなたはそうだった。いつも誰かの庇護下に隠れ、人の栄光を盗む」
「赤石かおり!」
シェルドが眉をひそめて私を見た。
「今、前世と言ったか?」
私は彼には答えず、コノミを見続けた。
「教えて、コノミ。小百合が私を助けるために傷ついた時、あなたは何をしていたの? 他の皆が血みどろで戦っていた時、あなたはどこで何をしていたの?」
コノミは口をぱくぱくさせるだけで、一言も発することができない。
誰もが理解した——このいわゆる『聖女』は、実のところただの臆病者で偽善者だったのだ。
「今日限りで」
私は傷ついた小百合を抱いたまま立ち上がった。
「赤石コノミを、私たちのパーティーから追放すると、ここに正式に宣言する」
「なんですって!?」
コノミが金切り声を上げた。
「そんなこと許しませんわ! わたくしはB級ヒーラーですのよ!」
「B級だから何?」
私は冷笑する。
「後方に隠れて、肝心な時に役立たずなヒーラーより、命を懸けて戦うF級の新人の方がよほど価値があるわ」
周りの冒険者たちが、次々と頷いて賛同した。
シェルドは私を深く見つめ、それからコノミに言った。
「赤石かおりの言う通りだ。冒険者の価値は等級《ランク》が決めるのではない。その魂の在り方が決めるのだ」







