潜入捜査官ですが、記憶喪失のマフィアのボスを騙してその妻のフリをしています

潜入捜査官ですが、記憶喪失のマフィアのボスを騙してその妻のフリをしています

猫又まる · 完結 · 21.0k 文字

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紹介

私、竹内友奈。警察の潜入捜査官。
任務はただ一つ。冷酷非情なマフィアのボス、山崎達也を逮捕すること。

――そのはずだった。

彼を愛してしまったのは、最大の計算外。
お腹に彼の子供まで宿してしまったのは、神様の悪戯?

任務と愛の間で引き裂かれていた矢先、爆発事故が彼から私と過ごした記憶だけを奪い去った。
組織からは証拠の提出を迫られ、敵対マフィアには命を狙われる絶体絶命の状況。

追いつめられた私が選んだのは、あまりにも危険で甘い嘘。

「私はあなたの敵の妻。でも、お腹の子は…」

そう囁いて、記憶のない彼の庇護下に潜り込む。
すべてを忘れても、私と子を守ろうとする山崎達也の優しさは、罪悪感で私の心を締め付ける。

でも、この偽りの日々に終わりは来る。
もし、彼がすべてを思い出してしまったら?
私が彼を裏切った潜入捜査官だと知ってしまったら?

愛と嘘が交錯する潜入捜査の結末は――甘い口づけか、それとも冷たい銃口か。

チャプター 1

午前二時半。汐見湖の船着き場。

竹内友奈は7号倉庫の二階事務所に一人で座っていた。ラップトップの画面の光が、山と積まれた財務記録の束に影を落としている。

十八ヶ月に及ぶ潜入捜査が、今まさに実を結ぼうとしていた。

キーボードの上を指が舞い、山崎家の政界との繋がりを示す資金洗浄記録の最後のバッチをコピーしていく。

取引の一つ一つが、彼らの棺に打ち込む釘だった――市役所への裏金、司法買収、警察へのみかじめ料。

「もうすぐ……」と彼女は独りごち、USBドライブを差し込んだ。

その時、彼女はそれを見つけた。

山崎達也の個人台帳のページに挟まれていたのは、小さなベルベットの箱と、彼特有の几帳面な筆跡で書かれた手書きのメモだった。

『結婚してほしい』

竹内友奈は息をのんだ。箱の中には、息をのむほど美しい一粒ダイヤの指輪があった。それは遊びの関係ではなく、真剣な想いを物語る類の指輪だった。

心臓が肋骨を激しく打ちつけた。C市で最も危険な男、山崎達也が、自分の会計士と結婚したがっている。

自分が破滅させるために送り込まれた男が、プロポーズを計画していたのだ。

「『カナリア』より本部へ」と彼女は通信機に囁いた。「証拠の回収を完了。これより離脱準備に入る」

イヤホンからノイズが走り、続いて高田捜査官の声が聞こえた。

「了解、カナリア。後処理班は待機済みだ」

竹内友奈は台帳を閉じ、指輪をそっと中に滑り込ませた。

情を移すなと訓練されてきた。だが、山崎達也が地域の炊き出しを運営し、近隣の診療所に資金援助する姿を十八ヶ月も見続けるうちに、組織犯罪に対する先入観は粉々に打ち砕かれていた。

そして今、彼は自分と結婚したがっている。

午前二時四十五分。倉庫フロア。

山崎達也のマセラティが、荷積み場の外で甲高い音を立てて急停止した。彼の直感が一晩中、危険を叫んでいた――縄張り近くで小野家の手下の姿を見かけることが異常に多い、明らかに偶然ではない。

森本議員の署名が入った政治台帳は、事務所の金庫の中だ。もし小野家がそれを手に入れれば、C市の行政の半分を牛耳ることになる。

彼が倉庫の入り口を突き破って飛び込むと、ガソリンの匂いが鼻をついた。

「クソッ」と呟き、階段へ向かいながらグロックを引き抜いた。

二階の窓から、竹内友奈は山崎達也が建物に入ってくるのを見ていた。全身の血が凍るような思いだった。彼女は小野家の爆破チームが仕掛けた時限装置に気づいていた。残り、二十八秒。

二十七。

二十六。

警察庁で受けた訓練が、逃げろと、己の身を守り任務を完遂しろと、頭の中で叫んでいた。しかし、山崎達也は死の罠に足を踏み入れようとしており、そのことに全く気づいていない。

自分と結婚したがっている男が、今まさに死のうとしている。

二十三秒。

「山崎達也!」

竹内友奈は階段を駆け下りながら叫んだ。

「爆弾よ!逃げて!」

山崎達也はその声に振り向き、衝撃に目を見開いた。

「竹内友奈?なんでここにいるんだ?」

十五秒。

「時間がないの!」

彼女は彼の手を掴んだ。

「早く――」

ドォォン!

世界が炎とねじれた金属に飲み込まれた。爆風で吹き飛ばされた巨大な鉄骨が、二人めがけて落下してくる。コンクリートの床に叩きつけられる寸前、山崎達也は竹内友奈に覆いかぶさった。

すべてが、暗転した。

竹内友奈がゆっくりと目を開けると、聞こえてきたのは監視装置の規則的なビープ音だった。病室の窓から陽光が差し込み、頭はハンマーで叩かれたかのようにズキズキと痛んだ。

「落ち着いて、竹内さん。もう安全ですよ」

手術着を着た若い医師が、彼女を見下ろして微笑んだ。

「脳震盪と打撲がいくつかありますが、命に別状はありません。ですが、いくつか追加で検査を行う必要があります」

「追加の検査?」

竹内友奈は顔をしかめながら、身を起こそうとした。

「血液検査で予期せぬことが分かりまして」

医師の笑みが深まる。

「おめでとうございます、竹内さん。ご懐妊ですよ。妊娠十週といったところです」

その言葉は、新たな爆発のように竹内友奈を打ちのめした。妊娠。妊娠二ヶ月。山崎達也の、子供。

「赤ちゃんは……無事なんですか?」と彼女は尋ねた。

「ええ、完全に健康ですよ。心拍も力強く、発育も正常です。とても幸運ですね」

部屋を仕切るカーテンの向こうから、別の患者について話し合う声が聞こえてくる。その中に山崎達也の声はなかった。

竹内友奈は尋ねた。

「私と一緒に運び込まれた……男性は、どうなりましたか?」

医師の表情が真剣なものになった。

「山崎さんは重度の頭部外傷を負いました。意識はありますが……」

彼は言葉を区切った。

「怪我による外傷性健忘症を引き起こしています。ここ十八ヶ月間の記憶がありません」

竹内友奈の頭が高速で回転した。山崎達也は過去十八ヶ月間を覚えていない。なら自分のことも覚えていない。

「自分の名前や家族のことは覚えているんですか?」

「基本的な自己認識はあります。しかし、最近の記憶、過去一年半の間に築かれた個人的な関係は……」

医師は首を横に振った。

「失われています」

竹内友奈は枕に身を預け、無意識に腹部へと手をやった。これで全てが変わる。

翌朝、高田捜査官がぱりっとした黒いスーツに身を包み、影のように現れた。自動販売機近くの人影のない隅に竹内友奈を促す。

「竹内友奈」

彼の声は氷のようだった。

「戻る時間だ」

竹内友奈は座ったまま、不味い病院のコーヒーカップを抱えていた。

「もう少し時間が必要です」

「証拠を渡せ。今すぐだ」

高田捜査官の目は硬かった。

「山崎の倉庫の爆破は全国ニュースになった。我々の猶予は閉ざされつつある」

「捜査は完了していません――」

「捜査は終わりだ」

高田捜査官は身を乗り出した。

「USBドライブと財務記録を渡せ。さもなくば、組織犯罪幇助で貴様を起訴する」

竹内友奈は彼の視線を受け止めた。

「証拠が欲しい?いいでしょう」

彼女はハンドバッグに手を伸ばし、茶封筒を取り出すと、テーブルの上を滑らせた。

高田はUSBドライブや書類が入っているものと期待して封筒を開けた。だが、そこにあったのは一枚の紙切れだった。

【出生前診断概要】

患者:竹内友奈

週数:妊娠10週

父親:山崎達也

検査:……

……

高田捜査官の顔が真っ白になった。

「一体何だこれは?」

「それは、山崎達也の子供です」

竹内友奈の声は落ち着いていた。

「彼の跡継ぎです。さあ、教えてください――C市マフィアのボスの子供を身ごもった捜査官を、警察庁が一体どうすると思いますか?」

高田捜査官は医療報告書にクリップで留められた超音波写真を見つめた。

「なんてことだ、竹内友奈。お前は何をしたんだ?」

「私は自分の資産を守ったんです」と彼女は冷静に言った。

「そして、私の子供を」

「本気で考えているのか――」

「私が考えているのは」と竹内友奈は遮った。

「警察庁には二つの選択肢があるということです。仕事をあまりにも上手くやりすぎた妊娠中の捜査官を起訴するか、それとも、この状況を全員にとって都合の良いものにする方法を見つけるか」

高田の顎がこわばった。

「本当の証拠はどこだ?」

竹内友奈は微笑んだ。

「安全な場所に」

「友奈、お前は人生最大の過ちを犯している」

「いいえ、高田さん。私は人生で最も賢明な決断を下しているんです」

彼女は立ち上がった。

「私は、私の家族を守るんです」

竹内友奈は面会時間が終わるのを待ってから行動に移した。ゆったりとした私服に着替えていた――お腹が目立たないよう、ゆったりしたセーターとジーンズを選んだ。

病院の化粧室で、彼女は十字架のペンダントからUSBドライブを慎重に取り出し、マタニティコートの特別に縫い付けられたポケットに移した。

彼女は上の階で、決して戻ることのない記憶の断片を懸命につなぎ合わせようとしている山崎達也のことを思った。プロポーズを計画していた男は、今や見知らぬ他人だ。しかし彼はまた、彼女が宿しているものを守ることができる、C市で唯一の男でもあった。

駐車場出口に向かって歩きながら、竹内友奈はガラス扉に映る自分の姿に目を留めた。

「十八ヶ月の潜入捜査」

彼女は自分の姿に囁きかけた。

「これからは、私が学んだ全てを使って、私たちを生き残らせるわ。あなたのお父さんは私たちのことを覚えていないかもしれない。でも、ママが必ず、私たちが生き延びられるようにしてみせるから」

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